価値のある私なら、なにをする?

考えていることは違っても、
求めているのは同じこと。

いつだって、私以外になりたがる。

なりたい自分があるのは、
無価値な自分を補完したいから。

私は、自分に価値を見出せないでいる。

認めても、赦しても、
愛する価値があるとは思えないらしい。

らしい、というのは、自覚がないから。
自分を愛そうとして来た挙句の無価値観だから。

どれだけ言葉に気をつけても、
考え方を変えようとしても、
根付いてしまった無価値観は変わらない。

なら、考え方の根底には、
「自分のことを無価値と思う私」
がいることを、自覚しておくしかない。

なりたいと思う時は、
自分を否定している時。

こんな自分が嫌だから、
別の誰かになりたいのだ。

なので、発想を変えてみよう。

「価値ある私なら、何をするだろう?」

なるではなく、すること。

価値ある自分を自覚できるまで、
価値ある自分になろうとせず、
価値ある自分なら何をするか?

それを、自問してみよう。

価値があるなら、なる努力はいらない。
ただ、無邪気に、望むことをするだけ。

心に従うことができますように。

無意識が考えていることは、
私の本心ではない。

「無価値な私」をベースに導かれた答えだ。

「愛されたかった私」がそうだったように、
全ての発想は、設定した自分に基づいている。

なので、
設定されていない自分ならどうするか?
を考えてみよう。

価値のある私なら、何をする?
愛されている私なら、どう思う?

fumori

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