見出し画像

愛せない自分を、愛さなくてもいいと思えるようになったこと。

自分を愛そうと思った。

それができるのなら、
現実で何も成せなくても、
理想の自分になれなくても、
いいと思える気がしたから。

けれど、
どれだけ愛そうとしても、
愛せない私がいる。

例え、愛せない私が、
愛する人に愛されなかった
過去のパターンでしかなくても。

頭では理解している。
記憶による解釈でしかないことを。

価値観や認識を変えれば、
愛せるようになると思っていた。

けれど、
自分の全てを愛することは出来ない。
わかってしまった。
諦めがついた。

誰かに愛された自分なら愛せるけれど、
誰にも必要とされない私は嫌い。

愛されないとわかっているから、
偽らなければいられない自分がいる。

恥じているし、嫌悪しているし、見下している。
存在する価値などないし、
存在しない方がよいとさえ思っている。

そんな誰にも愛されない自分を愛そうとした。
けれど、私は全ての自分を愛せない。

それが、結論。

それ以外の選択肢がないことに気づいて、
肩の荷が降りた。


世界は、美しいもので溢れている。
だからこそ、
醜いものが目について仕方がない。

それと同じこと。

愛せる私がいるなら、
愛せない私がいても、当然。

全てを愛することより、
愛せない方がナチュラルなのかもしれない。

愛せない自分をどうにかして
愛そうとするから、おかしな事になる。

愛せないのなら、愛さずにいればよかった。

愛せないが本音なのに、
心が動かないのに、
理屈で愛そうとしていた。

愛されない自分に耐えられなかったのかな。
愛されるべき自分に憧れた。

だから、変わろうとした。
直視できないまま、理想を演じてきた。

けれど、そもそも耐えるものじゃない。
元々、そういう本性があるということ。

本性にいいも悪いもない。
あるのは、社会にとっての善悪だけ。

愛する私がいるなら、愛せない私もいる。

愛せない私は、愛する私がいるという証拠。

無価値観も、存在否定も、
価値ある自分と、存在肯定があればこそ。

±0の世界観なら、
あるべき自分でいなくていい。
愛せない自分を、愛する必要なんかない。

本音が、社会性に欠けていようとも、
腹黒くても、卑怯でも、狡くても、
そんな基準で自分を縛らなくていい。

その時々、感じるように感じていればいい。

ジャッジする声に、萎縮したり、言いなりになったり、
機嫌をとりにいかなくてもよかったんだ。

うるさいって、喧嘩売ればよかったんだ。たぶん。

キャラに押し込めようとする
自我の支配に抗えなかったことが、問題なのだ。

愛そうが、愛せまいが、
どちらでもいいことなのかもしれない。

本音をコントロールさせないでいられるなら、
なんだっていいのかもしれない。

fumori

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?