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愛されたかった私がいることのメリット。

現実がタイトなのは、たぶん、
保身を最優先に設定しているから。

私の未来や可能性よりも、役に立つことで、
存在を証明しようとする困った奴だ。

トラブルを引き起こす原因のくせにら、
私の役に立っていると自信満々なのは、
傷ついた過去を守っているから。

「愛されたかった私」という過去の幻影は、
今でも私を怯えさせ、心を縛る。

現実は、恐ろしい場所。人は裏切る。
信頼したら、傷つくだけ。

彼女を守るためなら、自我は手段を選ばない。

たぶん本音は、
彼女を被害者ポジションにしておくためかな。

保身の最適解は、現状維持。
これまで生き延びてきた、という実績がある。
未来は、より良く変化する可能性もあるけれど、
安全ではなくなる。

だから、
愛されたかった私の恐怖や不安に漬け込んで、
変化させないようにしてきたのだろう。

なら、愛されたかった私を
利用できなくさせればいい。

現実は、最適解。
いつだって、今はパーフェクト。

そのポジションから、
愛されたかった私を見直してみよう。

母は、私が求める愛を満たそうとはしなかった。
とても寂しく、嫌われていると思ってきた。

けれど、それでよかったのかもしれない。
と、思える理由を探してみよう。

私は満たされなかったけれど、
母の立場からしたら?

私の求める愛が、
自己犠牲を強いることだったとしたら?

自分を犠牲にして尽くすこと。
それは、愛ではない。

我が子に愛を与えるのは、母親なら当たり前。
そんな既成概念にとらわれていた。

私が求めていた愛は、犠牲を払わなければ
与えられないレベルだったのかもしれない。

父への、家族への献身や義務を果たすことで、
母の愛は摩耗して、一番弱い立場の私を吐口にした。

それは、私にとって間違いのない事実。
母にとって、私以外にいなかった。

立場が弱くて、愚かだった。
そして、私なら母の悪意を
撥ね付けることができたから。

母が、自分自身の悪意に
気づいていたかわからない。
おそらく、無自覚だったと思う。

優しく、同情的な姉に言わなかった
のだから、わかっていたのかも。

私になら、吐き出しても問題ない。
同調はしない代わりに、
心が傷つくことはない。

母には、そんな思い込みがあったのかも。
ボロボロに傷つきましたけどね。

ただ、思うのだけれど、
もしも母が私が望む愛を与えていたら、
今の私は、どうなっていたんだろう?

満たされた心で、今よりも世界の全てを
深く深く愛していたかもしれない。

その深度で人を愛するということは、
本当に幸せなことだっただろうか?

深すぎる愛は、狂気に近い。

愛情が深ければ、同じくらい
愛のある人を選ぶかもしれない。
逆に、愛されることより、
溢れる愛を注ぐことに喜びを感じる
かもしれない。
愛の足りない人を求めてしまうかも。

愛は自分の中にしかない。
与えられ、傷を癒やして、自分の中にあることを
気づくきっかけにはなるけれど、気づくのは本人だ。

それまでは、愛を注ぎ続けても、報われないまま。

愛されたい人を愛することって、大変だよね。
私が言うのもなんだけれど。

愛の献身を、自己犠牲にすり替える人がいるけれど、
それは、愛ではないと思う。

誰かを犠牲にする幸せは、相手を不幸にする。
罪悪感を抱いて苦しむか、悪意に乗っ取られるか。

愛されずに傷ついたけれど、
だからこそ、愛されなくてもいいと思えた。

「我慢して愛されるくらいなら、
あなたの愛はいりません」

私の根底には、そんな信念があったらしい。

愛されるために、自分を偽ることはしない。
自分を偽ってまで、愛することはしない。

それが、私の愛のスタンスだった。

この冷めた距離感は、
過剰な愛を求めてしまう私にとっての
安全装置だったのかもしれない。

大切なのは、愛することより、
自分を偽らないこと。

母は、私に対して、
偽りのない愛を注いでいたのこもしれない。

母が愛せない私は傷ついたけれど、
母の愛は保たれ、健全な愛を注がれた。

なら、反抗的な私の態度も、
少しは母の役に立てたのかな。

現実的な母の献身には、感謝している。

子供サイドの視点がない一方的なもので、
温かな心の交流はできなかったけれど、
嫌われても平気だったから、
思い切り喧嘩はできた。

心の成長にとっては、
反面教師でしかなかったけれど、
母から愛されなかった私がいたから、
自身の愛を裏切ろうとする自分と戦うことができた。

迎合し、受け入れられようとした自分を
嫌悪することで、踏みとどまることができた。

愛に見せかけた無意識の不幸の擦りつけを、
愛ではないと見破り、母を拒絶できたのは、
愛されない私のおかげだ。

母の自己犠牲で愛されていたら、
私自身を犠牲にすることが愛だと
勘違いしていたかもしれない。

母の不幸を愛さなければと、
引き受けてしまったかもしれない。
母だけでなく、である人全ての。

その生き方は、私の幸せではない。
私は愛されなくてよかったのかもしれない。

そう思うことにしてみるよ。
もちろん、本当は愛されたかったけれど。

過去は、前世。
事実は変わらない。
変えられるのは、解釈だけ。

納得できる理由があれば、
同じ過去でも幸せになれる。

なら、過去を幸せにしてゆこう。
少しづつ。

fumori

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