「捨てる」効能。

「毎日ひとつ捨ててみた」を始めて、4日目。

唐突に、意識が変化した。主にお金について。

100円のものには、100円の価値がある。
そりゃ、そうだろうよ。疑う余地もない。

なら、
100円で100円以上に有益なものの方が、価値がある。

コスパの良いものを買うことこそ、
良い買い物だと思っていた。

けれど、
ものを捨てる際に、コスパって無関係だ。

捨てる基準を、必要なもの、大切なもの以外
にしてみたら、値段が入る余地なんてなかった。

もちろん「もう使わないけれど、高かったしなぁ」
と言う未練は、むくむくと湧き上がってくるし、
どうにか手元に置いておく理由はないか、
全力で探している。無意識に。
もう使わないと、わかっているのに。

いる、いらないは、
要不要という理性ではなく、未練との戦い。
欲望との主導権争いなのだ。

使わないのに捨てられないのは、
欲望に人生を委ねてきたから。私の場合はね。

寂しさや悲しさに溺れ、
ものを得ることで誤魔化してきたのだと思う。

絶え間なく過去からやって来るネガティブな感情から、
逃げたかっただけだったのかもしれない。

もちろん、当時の私にそんな自覚はなかった。

ちょっとしたものを買って、気分を上げて、
沈みがちな気持ちを底上げしたい。
そんな欲望を、自愛だとか思っていた。はは。

ま、当時の私が救われたのなら、価値はあったのかな。

捨てることは、私にとって死闘だ。

必要でも、大切でもなくなったもの。
縁がなくなったもの。

けれど、未練はたんまり残っているもの。
それが、捨てるものの正体。

情念を断ち切らない限り、捨てることは出来ない。

情も欲も深い私みたいな人間にとっては、
全力を使い果たす覚悟で挑む行為だ。

片付け如きと、軽く考えてはいけない。
片付けのできない自分を責める必要もない。

心に影のある人間にとって、
捨てられないことの方が当たり前なのだから。

過去から逃げずに、欲望に溺れずに、
自分で自分を癒すことが出来るようになって、
やっと、ものを手放せるようになるのだと思う。

ものを捨てることで、
ものを捨てる基準ができた。

ものを捨てる基準ができると、
ものを買う基準が変わる。

捨てる必要がないものを買えるようになるから、
未練や欲望やネガティブな思い出と争うことがなくなる。

片付いた部屋にいるとスッキリするのは、
捨てさせまいとする欲望と争わずに済むからかも。

それだけで、日常が平和になる。
幸福度も、上がるだろうね。

片付けが下手なら、
捨てない買い物をすればいい。

おまけでもらった趣味じゃない
ボールペンでさえ捨てられないのだから、
うっかり買ってはいけないタイプなのだ。

気軽に捨てられない自分を知ったので、
迂闊に買うことはやめましょう。そうしましょう。

fumori

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