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自我を変えるのではなく、自我が安心できる価値観を生み出すことにした。

私の自我は、保身のために存在する。

「愛されたかった私」という最強の
インナーチャイルドでもあるため、
寂しがり屋で、承認欲求も人一倍強い。

彼女がいると、望む現実が反転する。

幸せになるための選択をしているのに、
何故か、不幸せな現実に見舞われたりする。

変わりたくて、価値観を変えたり、
傷を癒そうとしてきたけれど、未だに現役。

なので、自我を変えようとするのではなく、
私の視点を変えてみることにした。


私には、二つの命がある。
人としての本質と、人の愚かさを赦すもの。

人の命は有限で、儚い。
だからこそ、
命を守ろうとする本能を
理性でコントロールすることは難しい。

自分を優先するということは、
他者を犠牲にする場合もあるということ。

過剰な保身は、愛に背く行為だけれど、
過不足のボーダーを見定めることは難しい。
だって、人間だもの。

なので、うっかり愛を裏切ってしまう
私の愚かさを赦す存在がいる。
ということにしました。

神仏や、ご先祖様、内在神、真我、天使、
ハイヤーセルフみたいな存在です。

愛に背いて、欲得を選んだり、
見て見ぬふりを決め込んだりする
弱くて、狡くて、愚かな私を赦し、
決して見捨てない。

そんな存在がいる、ということにすると、
もう一つの視点が命に宿るのです。

間違いを犯す人と、その間違いを赦す存在。
愚かな人と、愚かさを慈しむ視点。
その二つの視点に適う目的が、
命に求められる役割なのかももしない。


不完全な人間を肯定し、
あるがままの醜い本質を認め、
人類を、愛し慈しむ眼差し。

素晴らしいですよね。

比較せず、ジャッジせず、
自他を区別せず、
あるがままを尊重する。

ただ、無敵と思われる神の視点にも
無限だからこそのデメリットはあってさ、
現実を肯定するが故に、変化できないこと。
個や保身や理不尽という概念もないので、
失われる命に固執しないこと。

逆に、そこが自我のメリット。

これまでデメリットとしか思っていなかった
個であること、有限であること。


有限の個としての命を大切にできないなら、
今はない未来を思い描き、行動することも、
自分と同等の命が他者に宿っていることも、
わからないだろう。

赦し、認めて、慈しみ、与えることはできても、
実際に行動することは、人でなければできない。
命の儚さを知り、他者を大切に思うことも。

なので、
人に求められている役割って、変化すること。

自分のためだけでなく、
誰かのためにもなる変化なら、最高。

現実に抗わず、あるもの全てを認める。
より良い未来のために、行動する。

それが、二つの視点が交わるポイント。
命の役割なのかもしれない。


ただ、私の自我は、保身の権化。
なによりも変化を恐れているわけです。

なので、どうしたら現実に抗うことなく
変化を選べるかを考えてみました。

私がネガティブなのは、保身のため。
保身のためには、現状維持がベスト。
行動して、変化なんかされてはたまらないわけです。

そこで、自己否定、自己不信、無価値観の登場です。
これらがあれば、行動なんてできません。

ネガティブな自己評価を選んだのは、私。

なので、選び直すことは可能なのですよ。
変化するためのポジティブな価値観を。

自分を肯定しているし、
自分を信頼しているし、
自分には計り知れない価値がある
ことを知っている。

自我とは対極にあるもう一つの視点から見た私は、
たぶん、そんな感じなのです。信じ難いけれど。

現実に対する不信感から、自分を否定して、
行動することにストップをかけてきた。

けれど、現実を全肯定する視点を手に入れたら、
自分を卑下する必要がなくなるというか、
卑下したら辻褄が合わなくなるのです。

現実は、相対的な価値観で成り立っているから。


なので、自我を再設定することにします。
変化するために。行動するために。

現実は、パーフェクトな最適解。
今ある全てを、肯定する。

それを、認識の前提とします。
ネガティブな自我の文句は、スルーしましょう。

同時に、自我が安心できる価値観を採用します。
これです。たぶん。

私が求められていたのは、
拗らせた自我を変容させるために
価値観を書き換えるのではなく、
頑なな自我が安心できる価値観を
考えることだった。
そんな風に思えるようになりました。

現実が辛かったのは、
自我を変えようとした私への反発。

よりよい人生や幸せのために、
自我を断罪してきたけれど、
赦されるべき人間の本質だった。

人生のために、幸せのために、
犠牲にしてよいものではなかった。

変えるべきは、自我ではなく、
私の価値観。愚かさを赦すこと。
赦されていることを知ることだった。

自我は、不可欠な命の一つ。
自我が反発する時は、
それを赦すための価値観がないというサイン。

そう思って、自我を見守ってみようと思う。
いつか、慈しみの眼差しを持てるように。

 fumori 

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