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やりたいことと、お金を稼ぐ理由が違っていたらしい。

やりたいことをして、お金を稼ぎたい。

そう願うようになってから随分経つけれど、
未だに噛み合っていない現実を生きている。

上手い話なんてないように、
思うがままの現実なんてものもないのだろう。

ただ、ここまで食い違うのも
不思議でならなず、改めて考えてみた。

結果、やりたいことと、
お金を稼ぎたい理由が違っていたのでした。


時間や場所や社会通念に縛られず、
自由に好きなことをする。

眺めのいい場所にいたいとか。
自然の音を感じていたいとか。
同じ場所にいたくないとか。

それが、私のやりたいこと。

それに対して、お金を稼ぐ理由は、
・生活
・楽しむため
・やりたいことをやるための費用
・快適さを買うため
・働いていないと気まずい
・自分に自信が持てる
・やりたくないことをやらずにすむ

後半は、自我の保身。
私と言う物語のキャラを演じるためのルール。

なので、何のためにお金を稼ぐのかと言えば、
「現実的な生活を快適に楽しむための自由を手に入れる」

「現実な生活」とは、
命を養うために、生きながらえること。

食うに困らない稼ぎを得たら、
快適さとか、自由とかもあればいいな。
そんな程度でした。

自己実現とか言いながら、
お金の概念が昭和のまんま。
貧乏なまんま。

なので、満たされてしまっているのかも。

リッチではないけれど、夢は叶っているし、
憧れの生活をほぼ満喫しているのですよ。

自覚は全くないけれど、
潜在意識からしたら、大満足なんです。たぶん。

むしろ、何が不満なのかんからないくらい
幸せでいてくれるのかもしれません。

現実を変えようとして、失敗してきたのは、
圧倒的な幸福感を失いたくないから。

なら、このままでいいのかな?

別にやりたいことで稼げなくても、
やりたくないことでもさほど負担なく稼げたら、
それでいいのかもしれない。

理想を言えば、そりゃ、
好きなことで稼ぎたい。

けれど、
私のやりたいことって、状況なんだよね。

好きなことですらない。
夢中になれるほど好きなことなんて、そもそもない。
承認欲求を取っ払ったら、何もない。

褒められなければ、何もしたくない。
そんな子供のまま。

だから、幸せなのに苦しいのかな。

決定権を持っていない。
自由を知らない。
自分を生きる幸福を知らない。
自分が何を好きで、何が嫌いかさえわからない。

誰かが望む偽りの自分しかいない。
役割しかない。
条件しかない。

空っぽなのだね、私も。


やりたいことと、お金を稼ぐ理由は、別。

私のやりたいことは、理想の環境にいること。
眺めが良くて、場所に固定されない状況でいたい。

それで、どうやって稼ぐ?
想像もつかない。

稼いだお金でやりたいことは、
安全で、快適で、自由な生活らしい。

日々の暮らしがやりたいこととなんて
思っても見なかったけれど、納得。

幼い頃、我慢してきたことへのリベンジ。
豊かな家庭生活に、憧れていた。
おかずがたくさんある。
シャワーがある。
旅行に出かける。
外食をする。

今となっては、当たり前のこと。
飛び上がるほど幸せでもないし、
家でゴロゴロしている方がいいとさえ思う。

結局のところ、
幼い頃の不満を満たしているだけなのかな?

満たされない思いに、苦しんでいるだけなのかな。

好きなことで稼ぎたかったのは、
幼い頃の不満に気づいて欲しかったから?

望んでいるのは、土台。
日常生活に安心して、満足できること。

健康で、人間関係が良好で、
生活に困らないだけのお金があって、
不要なものがなくて、
自分で決めることができる。

誰かが望む人生ではなく、
自分の好きが詰まった生活。

私が望む自己実現って、
そのくらいささやかなことなのかもしれない。

快適な生活する。

それができたら、自分を知ることになる。
やりたいことで稼ぐとかは、それからかもしれない。

快適な生活をしよう。
自分にとっての要不要を知ろう。

先ずは、そこから。

fumori

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