諦めても、叶う夢はあるみたい。

フェイクニュースかと思ったら、本当のことだった。

地球規模のオゾン全量が1960年(人為起源のオゾン層破壊物質による大規模なオゾン層破壊が起こる前)レベルまで回復する時期は、北半球の中・高緯度域で2030年頃、また南半球中緯度では2055年頃と予測されています。
by 環境省(2022.12.27)
https://www.env.go.jp/press/press_00985.html
オゾン層が回復に向かっているらしい。

心底、驚いた。

オゾン層が回復するということにも、
その報告が一年以上も前になされていたことにも。


環境破壊なんて、
私が小学生の頃から問題視されていた。

けれど、大人たちや世の中は、
日々の暮らしを豊かにすることに夢中だった。

当時は貧しいから仕方がないと思っていたのに、
国家が豊かになるほどにお金が正義になっていった。

環境は大切だけれど、社会はそれを望んではいない。

私は、早々に諦めることにした。

貧しくても、豊かでも、
自分の生活が脅かされない限り、
理想なんて欲望には敵わない。

私には、社会を変える力なんてない。

社会が変わらないなら、理想のために、
損をするような生き方はしたくない。

そんな利己的な理由で、前時代的な
環境に負荷がかかるライフスタイルを
当たり前に享受してきた。

私が、コンビニのビニール袋の有料化を嘆いたり、
プレゼントでもないのにラッピングしてもらっている間に、
オゾン層が回復し始めていたなんて…

申し訳ないし、ありがたい限りです。

カーボンニュートラルや、SDGsに至っては、
環境に対するハイレベルな世相に、感動した。

いつの間に、こんなにも素晴らしく豊かな
意識に、時代に、人類になったのだろうか。

私が気づかなかっただけで、
生活を楽しみながら、環境に配慮して生きることが、
当たり前になっているのかな?
一体、いつから??

セクハラに気づかない同世代男子と同じだ。
私も見事に老害でした。残念ながら。


私は、何もしてこなかった。

スーパーにエコバッグを持参するくらいなもので、
人生の殆どを環境破壊に加担してきた。

なのに、北半球に限れば、
10年以内にオゾン層は回復する見込みらしい。

その情報を知った時、
ちょっと不思議な気持ちだった。

先ず、疑い、それから、高揚した。
ただ、純粋に、ものすごく、嬉しかった。
何もしなかったという罪悪感はなかった。

希望というのは、こういう感覚なのかもしれない。

現実はなにも変わっていないし、
未来はあいかわらず漠然としていて、
不安に霞んでいる。

なのに、そんな見えない未来に、
ホッとして、安心していた。

地球より生活の方が大事だし、
社会も時代もこんなだし、
私が地球のためになることをしたって、
何も変わらない。そう思っていた。

なのに、こんなにも、他意なく嬉しい。
不確定の未来が、ぼんやりと明るく感じられるほどに。

それが、私の目指していた未来。

ずっと願い続けていたことに気づく。
諦めた未来を、可能性を。

だから、
何もしなくても、嬉しかったし、
何もしなかったからこそ、
感じられる嬉しさが気持ちよかった。

環境意識の高い私を生きていたら、
どこかで自分の成果と驕っていただろうから。

私は何もしなかったのに、私以外の人々が奮起し、
社会が、意識が、地球に寄り添う方向に変わった。

この世界を生きる人々は、地球と共生する意思があり、
うんざりしていた社会は、感動するほど意識をリフトアップした。

なんて言うか、人類、凄くないですか?

進化というより、人間の底力。
私以外の人類を、リスペクトしたい。

そんな人間を育んでいる社会も地球も、
私が思っている以上に、素晴らしい世界なのだろう。

私の狭い了見が、世界を貶めていただけ。
未だに狭いので、全部は見えないけれど。

世界を疑ってきたけれど、
案外、信頼できる世界なのかもしれない。

諦めても、願いは叶う。

人の知性は、奇跡と同じくらい
パワフルなものなのかもしれない。

ルネッサンス!


私たちが進もうとしている未来を
私も望みます。

全員でなくとも
私が無自覚に願っていた未来を
多くの人が望み
その方向に目を向け
その未来が主流になっていることを
幸せに感じています。

未来のために力を尽くしている人々と
それを支持する人々に感謝いたします。

私自身が諦めた未来を繋いで下さってありがとう。

その未来が今よりよいかわかりません。
個々の価値観で変わるものだから。

これからの未来に幸せを感じられる人が
多いことを願っています。

私もそうあるよう努めます。

未来が幸せと共にありますように。

fumori

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