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苦しみは、愛。手放すのは、感情ではなく執着。

なぜ、これほど苦しいのか。
どうしたら、ここから逃れられるのか?
何を手放せないから、苦しんでいるのか?

愛するという事は、
ただそこに、目の前に、
心の中に存在していて欲しいという願い。

それだけでいいのなら、
何を体験したくて、恋におちるのだろう?

視線が、こちらに向く歓び。逸れる悲しみ。

自分の存在が、相手の中にあるかどうかで、
気持ちが右往左往する。

ポジティブとネガティブな感情の交錯。

なら、恋でなくとも、日常茶飯事だ。
現実に歓び、苦しむ事で、心を揺らし続けている。

本当に、何のために生きているのだろう。

感情は、自分を知るためのものらしいけれど、
こんな苦しみと引き換えに
得なければならないものなのかな?
得る価値なんて本当にあるのかな?

生きるだけなら、寧ろ、
感情なんかない方が楽なのに、
耳にした歌声に、情緒は勝手に反応する。

芸術は、素晴らしくもあり、
心底、恐ろしいものだと思う。


なぜ、私はこうも情緒的なのか?

不安になりやすい特性はある。
些細な事を悪い方へ膨らませる妄想癖なら
負ける気はしない。

それは、私の中に、
不安の種が眠っているから。

何かにつけて、過去の恐怖が今に不安を生み出す。
過去の感情が、今と結びついてしまう。

なら、手放したらいいのに。

今に悪影響を与える過去に、何の価値がある?

苦しみと引き換えにしてでも、
手放したくない何かが私の中にあるとでも?

私は、過去のネガティブな感情が嫌いだ。

良識とか、良心とか、
あるべき姿ではない私が裁かれた痛み。

この世界が私の存在を許さないなら、
そんな私も世界も要らない。

楽に生きたいのに、
消し去ることのできない過去の体験。

怒り、悲しみ、恨み、憎み、
全ての苦しみと共にあるもの。

なぜそれが、
私の中にあり続けなければならないのか?

もしかしたら、
それが愛だからかもしれない。


よくわからない愛を語って申し訳ないけれど、
愛と呼べる程こなれてはいないけれど、
苦しみや悲しみや憎しみの前には、
この世界に対する好意があった。

そんな私の好意が受け入れられなくなって、 
辛く感じて、心が痛んでいる。

拒絶された好意が、恐怖であり、不安の種。

なら、私は、世界も自分も愛していたことになる。

私は、誰に愛されたかったのだろう?
本当に愛されたかったのだろうか?

そもそも愛していたのに?
世界を愛せるほど、愛されていたのに?

この世界のことが好きだった。
その好意が拒絶され、傷ついて、
世界に絶望し、愛せない私を生み出した。

愛されなかった私ではなく、
愛する対象を失った私だったのでは?

愛を知らなければ愛する事は出来ない。
愛がなかったら、傷ついたりしない。


幼い私は、とんでもなく自由だった。
自由な世界が大好きだった。

私の好意が、他者の世界を侵略し、
自由は我儘という言葉に変わった。

私は、何も変わっていないのに、
自由で愛される子供から、
我儘で言うことを聞かない子供になった。

どちらも私なのに、
世界からの評価が変わった。

愛する世界から、
愛せない世界を生きることになった。

愛されたかったのは、
世界を愛せなくなったから。

愛する世界を失ったことを、恨んだ。
そして、世界と私に絶望した。


苦しいのは、愛があったから。

愛されないことではなく、
愛する世界を失ったこと。
この世界を愛せなくなったこと。

愛していたいという願いが、
苦しみだったのかも。

だから、捨てられなかったのかな。

無自覚に世界を愛することは、
すごく幸せなことだったから。

能動的な愛は、幸せと不幸せを生む。
なら、もうそんなら愛も幸せもいらない。

ただ、目の前に愛する世界が存在していて欲しい。

現実が私をどう扱おうと、どう解釈し、
どんな価値があるかをそれらしく突きつけても、
へーって眺めていたい。

どう言われたって、私は何一つ変わっていない。

変わろうと思っても、できなかった。
せいぜい、変わったフリをするくらい。

三つ子の魂百まで、だ。

変わろうが、愛想良くしようが、
現実は好き勝手に言ってくる。

現実の言いなりになったところで、
失った世界は取り戻せない。

私が愛した世界は、
ただの私でいることでしか体感できない。

純度100%の私でない限り、
私は世界を愛せない。

愛する世界を取り戻すために、
私以外になろうとしたけれど、
世界から遠ざかるだけだった。

私の苦しみが、私の愛だった。

手放せなかったのは、愛だから。
失ったら、愛せなくなるから。

愛せない未来の不幸をさけるために、
ずっと今ある苦しみを選んできたのかもしれない。

苦しみが、愛だった。
能動的に愛して、失ったのなら、
それは、私の愛ではなかったのだろう。

目の前の世界にある何か、誰かではなく、
目の前に世界があること。

愛の初動は、存在していること。

そして、愛を存在させる最低条件が、
あるがままでいることなのだと思う。

ただの私に還ろう。

世界が私を裁くなら、勝手にさせておこう。

私は生まれてから、何一つ変わっていない。
何も得ていないし、失ってもいない。

全てがある世界をあるがままに、
私の愛を疑う事なく、愛する私と共に生きてゆこう。

私の愛を信じていよう。

fumori

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