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自我の天敵。

私の自我は、キャラの寄せ集めだ。

面倒なキャラは抑圧し、
都合の良いキャラだけをまとめて、
自分ということにしている。

自我は、私であって私ではない。
社会を生きるのに、都合の良い私だ。

その割に生きにくいのはさて置き、
それぞれのキャラを取りまとめる
中間管理職としてはもちろん、
経験によって選別することも自我の仕事だ。

たぶん、最初に選ばれたのは、
生存欲求を満たすための利己的な私。

奴らは、狡賢く、小賢しく、損得で動く。
自身の利益の最大化こそが正義なので、
自己中で、我儘。
まぁ、嫌われるよね。

そこから、愛されたい欲求が強まり、
人から好かれたり、求められたり、
褒められたりする自分を強化した。

利己的な私を隠すための善人キャラの誕生。

上部だ、偽善だと、散々こき下ろしてきたけれど、
お人好しキャラの原型はあったように思う。
お節介が当たり前の田舎育ちですしね。

善人キャラのいいところは、
我慢さえできれば、波風は立ちにくいこと。

自分より他者を優先してくれるから、
自我にとってはコントロールしやすいこと。

弱点は、影響を受けやすいため、
自我だけでなく、他者にも支配されやすいこと。

善人キャラだけでは利用されてしまうけれど、
内側には計算高い私が控えているから、大丈夫。

そう思っていたのだけれど、
善人キャラでも嫌われちゃうし、理由わかんないし、
いつも我慢しているから、ストレスフルだし、
利己的な私を吐口にして、責め立てるし、
世論ぶちかまして独善的に裁いてくるし、
自我としては、善人キャラに非はないはずなので、
利己的な自分の力を削ってゆくしかなく、今に至る。

利己的な自分を、次々と牢獄に閉じ込めて、
善良な自分で太刀打ちできなくなると、
呼び出して、暴れさせて、望まない現実から逃げる。
そんなことを繰り返していた。

嫌われるたびに、裁かれる私は増えてゆき、
心の中は牢獄だらけになってしまった。

狭いし、苦しいし、不幸だし…

ここまでして人から好かれなきゃならないの?

人から嫌われないために、生きてゆくの?

こんな人生に、何の意味があるの?

逆ギレした私は、内心の自由を取り戻すことにした。

牢獄の扉を開け放ち、
人から嫌われる利己的な私を解放した。

鍵は開いているのに、出てこない奴らもいたけれど、
ほぼ、自由にできたと思っていた。

けれど、そうじゃなかった。
まだ、いた。ラスボスが。


自我は、思考の産物。
言葉によって成り立っている概念。

自我は、言葉を操ることで、
実在しているように思わせる。

それが、自我の持つ魔力。

善人キャラも、対極にある悪人キャラも、
善悪という基準を採用することで生み出されている。
善し悪しの論拠さえあれば、従わせる事ができる。

自我にとっては、一番御し易いキャラたちだ。

利己的な奴らは、善悪ほど楽ではない。
自分を優先することが絶対だから、理屈が通じない。
しかも、小賢しい。

奴らを論破するのは面倒でも、
利害が一致すれば、交渉は簡単。

奴らの目的は、メリットの最大化。
つまり、メリットの消失が、弱点。

メリットがあると唆したり、
メリットが失われるとか、デメリットが多いとか、
ちょっとした恫喝で、共同戦線をはれる。

味方にできれば、善人キャラなんぞより
遥かに心強い同志になる。

が、ラスボスは…
何というか、相性が悪すぎる。

善悪や損得では、測れない。
理屈どころか、話が通じない。
判断基準が、言語ではない。

そもそもの理が違う。
思考や言語の範囲外を生きている。

自我にとっては、理解できない存在。

なんのメリットもないのにやりたがる。
人から笑われても、嫌われても、気にしない。

だって、やりたいんだもの。
だって、面白そうじゃん。
だって、気になるじゃん。
心が動いちゃったんだから、しょうがないじゃん。

理由なく行動したがる。なぜ?
不可解で、無秩序で、意味不明。

たぶん、好奇心とか、冒険心とか、
未知への興味みたいなもの。

私の好奇心は、
自我によって要らない私に振り分けられていた。

しかも、牢獄なんてわかりやすい場所じゃない。

ただの通路にしか見えない場所にある隠し扉。

存在していることすら、消去されていた。
要らない。いてはいけない。

だって、デメリットしかないじゃん。こいつら。
by自我。

自我は、言葉を操る者。

それは、記憶さえ書き換える力があるということ。
更には、記憶を消すことだってできるということ。

感情すら、言語化しなければ認識できない。

気分が悪い。つまらない。不快だ。不幸だ。

そう感じる理由さえ、嘘かもしれない。
自我にとって都合の良い解釈をされているだけなのかも。

自我が、言語化を拒否したり、記憶を消去すると決めたなら、
起きたことさえ、なかったことになる。

データそのものが、読めなくなってしまうから。

恐らく、今ある私の好奇心は、
自我にとって制御可能なレベルにボリュームダウンされている。

奴こそが、自我にとって唯一の天敵だから。

記憶を消し、存在しなかったことにして、
言語化せず、別の理由を当てがって、
目を逸らそうとし続けてきた。

だから、「死にたい」だったんだ。

もちろん、私は死にたくなんてない。
けれど、そう言っておけば、
私はビビって、近づかなくなる。

自由の範囲を勝手に狭める。
無謀なことは選ばなくなる。
過去のトレースで満足するようになる。
自我、大満足。

大した理由もなく、
やってみたいから、なんて気楽な動機で、
とうてい成功しそうにないことや、
身近な人がやっていないことをやりたがる。

自我にとって、
私の好奇心は、モンスターなんだ。

好きなことがわからないのが、不思議だった。
開けられる限りの扉は、解放したはずなのに、
欲は深い方なのに、
なぜ、なにも望めないのか?

存在しないことにしているから。
全力で、なかったことにしている。

利己的な私のその奥に、そのコアにいる体験したい私。

何のメリットもなく、大した理由もなく、
人から笑われることも厭わない。
成功するとか、失敗するとかより、
とにかく、やってみたい。

やってる自分に興味がある。
それを体感できると思うだけで、ゾクっとする。
命を無駄遣いしても、経験したい。

そういう抗いがたい欲求が、
私にもあるのかもしれない。

恐れすら興奮に変わる何かを体験してみたい。

それが何かはまだわからないけれど、
ま、あるなら、よかった。

命は、生きる一択。
この命は、今も生きる理由を生み出している。

生きることに理由なんか要らないんだろうけれど、
自我は欲しがりだから。

自我の天敵である私のやりたいことに、
自我にとってよい理由が見つかるといい。

そうしたら、どっちの私も幸せだ。

やる理由じゃなく、探すのは興味。
心動かされるもの。

お金にならなくても、
人から変に思われても、
私がやっていて面白いと思えるもの。

誰かのマネだっていい。
ありきたりでもいい。
上手くなくてもいい。

本当にささやかなこと。
単純な好奇心を満たすもの。
それに出会えますように。

私の願いが、叶いますように。
私たちの願いが、叶いますように、だね。

fumori

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