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昼間からビールを飲むことへの言い訳について。

いつだって、自分を責める私がいる。

こんなことをしていては、ダメになる。
まだまだ頑張れる。
もっと努力しなければ。

で?

そうやって、自分を高めて、
私は何を手にしたかったのだろう?

認められたかった
→愛されたかった
→安心していたかった
→ここにいていいと感じたかった

つまるところ、
生きていていいという実感みたいなものを
誰かから与えて欲しかったらしい。

嫌われることなく、
誰かに優しくして欲しかった。

これが、私の積年の願い。

それ以外は、さして重要ではないというか、
たぶん、命よりも大切。

人は社会的な生き物と言うけれど、本当だった。

ずっと私には価値があると思い続けてきたけれど、
結局、周囲が敵だらけでは実感できない。

周囲に優しくされないと、
自分の価値って認められないのね。

仕事中に、お喋りに興じている人の方が
会社の評価が高いとか、そう言うことなのだろうな。

与えられた仕事をするより、
職場を円滑に進められる人の方が、有益なのだ。

それだけ、貴重なのね。

コミニュケーション能力の低いから、
社会のニーズがないのだね、私は。

納得しました。


私がいる場面、現実に、いつも安心していたい

それが、私の願い。

そのために、
優しい世界を望んでいる。

私が世界に求めているのは、優しさ。

自分以外をジャッジしてばかりなくせして、
私には優しくして欲しかったのね。
まぁ、本音よね。

変わらずに、周囲が優しくなってくれたら、
最高だもの。

けれど、世界は内面の反映なので、
私が優しくならないと、世界は変わらない。

逆に、私が変われば、世界も変わる。

なら、優しくなろう。
そう思う。


世界観を変えよう。

社会から求められるキャラを演じるのではなく、
個性を生きて、それを社会が尊ぶ。

個性的でありながら、互いの世界観に干渉しない。
無関心ではなく、侵略しない。

そんな世界観がいい。

他者のためが、自己犠牲にならない。
自分のためが、他者を犠牲にしない。

それができたら、素晴らしいな。

利己的なのは、人の性。
今ある豊かさは、犠牲の上に成り立っている。

それを手放すことはできるだろうか?

問われているのは、覚悟ではなく、バランス。

自分も良くて、世界もよい。
利己的であり、利他的でもある。
そんなグレーゾーンな私なのではないかな?

なんて、理想の世界について語ってきたけれど、
そもそもは、休日だからと、
昼からビールを嗜んでいることへの言い訳なのでした。

なにはともあれ、ビール最高✨

fumori

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