何も言わないことと、対立を恐れず口出しすること。

性別とは関係なく、
全ての人の中のには、
女性性と男性性があると言う。

女性性は、感情。直感。
男性性は、思考。理性。

知識としてはあったけれど、
漠然としていた二つの違いに
線引きができた。

他人に口出ししないことが、女性性。
敢えて口出しするのが男性性。

そう言うことにしてみたのだが、どうだろう?


世界は、相対的な価値観で成り立っている。

だからこそ、より良くあろうとして、
悪に打ち勝とうと思って来た。

けれど、善も正しさも欲だった。

正しくありたいのも、
善いことをしたいのも、
良い人でいたいのも、
悪や誤りと同じ欲。

他者のためだとしても、欲なのです。
相対的な価値観は、どれだけ倫理的で、
道徳的であっても、欲なんです。

欲の対極にあるのは、愛です。たぶん。
対極の価値観に立ち向かえるのは、
絶対的な価値観だから。

あるがままを全肯定する愛。
対する欲は、今を否定し、
不足にフォーカスする視点。

肯定と否定。
不変と変化。

全てをあるがままに肯定する
愛の視点は素晴らしいものだけれど、
変化を選べないという弱点がある。

対して、欲は対立を生み、
相対的な価値観の間で揺れ動くことで、
絶えず変化を生み出している。

欲は、人の本質。
変化するために与えられたギフト。

愛は、人の本質を赦すもの。
対極の価値観で揺れ動くことが人の定め。

欲に囚われ過ちを犯すのも、人の性。

だから、何をしてもいいわけではなく、
ちゃんと良心の呵責に苛まれます。

それを赦す存在が、愛なのです。
だから、絶対なんです。

愛が憎しみに変わったりする
人間とは異なる愛なのです。

実は、数日前、
コンプライアンス無視の発言をされまして、
それはもう頭に来ることがありました。

その方の発言については、
許す気は更々ないのですが、
愛の視点はから見ると、
私も彼も悪くはないのですよね。

どっちも正しく、どっちも間違いではないのです。

これまで、ムカつくのは、
私の中に腹を立てる価値観があるからで、
それを変えることで、心を乱さないように。

と、相手を責めず、仏のような気持ちで
自らを顧みるよう努めてきました。

が、あんまりにも理不尽で、
どう考えても相手を擁護できず、
悶々とした後、気づきました。

私も彼も、
自分の世界で物事を見ているから、
相容れないのだ。

相手の立場になって考えられないから、
対立することになる。

聞き流せないのは、
自分の世界を守りたいから。

相手が自分の世界を犯しているから。

欲の世界にいるから、
譲れなくなるんだよね。

それだけ、
相手の世界と向き合っているということ。
世界が侵食しあっている。
ぶつかりあった箇所が、壊れている最中。

愛の視点から見たら、
どっちも間違ってないのよ。
どっちも正しい。

だって、
価値観も立場も違う人間なんだから。

コンプライアンス無視だと腹を立てたところで、
相手がそこに価値を置いていないなら、
ルールなんてないも同然。

いい悪いじゃなく、
人ってそういうものなのだ。

自分にとって都合の悪いルールは、
無視しがちだから。
痛い目を見なければ、変われない人もいる。

何より、私自身がそうだもの。

生きることに苦労してるのは、
自分に都合のいい世界を押し通そうと
しているから。
わかっていても、変わらない。

そして、そんな私だって、
愛からしたら、悪くないんだよ。

世界が小さいだけでさ、
一生懸命、生きているんだよ。

理解できない人だって、
同じように自分の世界を生きている。

対立すること自体が、無意味なのよ。
どっちもそのままでいいんだもん。

違う世界なんだから、
それぞれの世界で生きていればいいのよ。

ぶつかりそうになったら、離れればいいし、
接触したら、謝るもよし、闘うもよし。

喧嘩してはいけない。
腹を立ててはいけない。

そんなマイルールがあったから、
息苦しかったんだ。喧嘩上等です。

愛から見れば、何でもありだもん。

愛は人の理解を超える概念だから、
良心に背いたら、報いは受けるけれど。

人が争うのは、世界が違うから。
自分と同じ欲の視点で、
相手を見ているから。

自分を見るのは、欲の視点でいい。
変化するのが、人の本分だから。
欲の視点がないと、成長も進化もない。

自分以外に対しては、愛の視点を使う。
相手の世界を尊重するというのは、
自分には理解し難い世界観を否定しないこと。

受け入れるのではなく、
相手を思って口出ししない。

多分、これが女性性の特徴。

逆に、対立を引き受けても、
相手のために口出しする。

これが、男性性らしさ。

自分の世界にとって、
言葉はとてつもないパワーアイテムだ。

世界を感じるのは、感覚や感情だとしても、
言語化し、解釈することによって、
経験から知恵を生み出してゆく。

言葉がそれぞれの世界を構築している。

だからこそ、他者の世界も、
言葉によって認識しようとしてしまう。
理屈に合わないと、争いになる。

誰もが正しい世界で生きているから。

けれど、他者の世界に、
私の言葉は通用しない。

世界は、自分の言葉でできている。
自分のルールと価値観が最優先される。

他者の言葉は、無力だ。

だから、自分の世界を守るために、
相手の世界を否定しない。

その女性性の選択は、
自己犠牲的に相手を受け入れているのではなく、
互いの世界平和のために、関わらないだけ。

男性性は、相手のためを思い、主張する。
自分の正しさを認めさせたいという欲もある
けれど、
黙ったまま見過ごせば、相手に害が及ぶ。
敵役になってでも、止めなければならない。

そう考えると、男性性の方が優しいのかも。
女性性は、現実的。要領のよさ。

言うべき時は言い、
それ以外は、共感しつつ、踏み込まない。

それが、社交のルールなのかな?

全く逆のことをやっていた。
そりゃ、人が苦手なはずだよ。
嫌われることしかしていないのだから。

言葉を間に受けたら、
世界が対立するのは、当たり前。

言葉を無効にしよう。

腹の立つ言葉より、
相手が私のためにしてくれたことに注目する。

ためになることをしてくれているなら、
腹の立つことを言われても、差し引かず、
感謝してみよう。

その上で、社交をする。
相手の世界に踏み込まず、
共感できるところはする。
嘘にならないように。

これができたら、私は相当、
社交スキルが上がるのでは?

大凡の人と、うまくやれそう。
人生の苦痛が、大幅に減りそう。
人生、楽勝モードかも。

そんな希望のために、
命を使ってみようと思う。

fumori

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