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物語を終わらせる勇気について。

捨てられないのは、
欲しいと思う動機によるものなのかもしれない。

必要か、大切か
という基準で手放せるのは、必要なものだけ。

大切かどうかは、未練ととてもよく似ている。

なので、モノには
作り手から始まる物語が宿っていることにして、
今の自分は、そこに共感しているかを考えてみた。

すると、買うときの心境の違いに気づいたのでした。

物語に共感し、
主人公にふさわしいと感じるから欲しくなるもモノ。

ストーリーに感動し、
これがあれば主人公になれそうな気がするから欲しくなるモノ。

2つはとてもよく似ている。
自分の魅力や力をアップさせるために
物の力を借りるやり方は、同じだから。

けれど、ベクトルは逆。
物語を体現している自分にフィットするから欲しい。
セルフブランディングのための力を、物語から得たい。

モノを愛するためなのか?
モノに込められた物語に愛されたいのか?

与えるか、与えられるか。
愛するか、愛されるか。
主体的か、受動的か。
体現するか、演じるか。

主体的な動機で欲しかったものは、
手放しやすいのかもしれない。

私に相応しいから欲しいモノは、
今の私には相応しくないから手放そう
に変換しやすい。
とてもシンプルな関係性。

愛してくれそうなモノとは、
そもそもが依存から始まる。
なので、ややこしい。

今必要でなくても、
当時は愛してもらった恩がある。
愛された喜びがある。幸せな記憶がある。

愛されたと感じられたことが、たとえ一瞬でも、
愛されることを望んでいる限り、
それは、かけがえのない記憶となる。

データではなく、彩られた記憶。

喉が渇いている時に与えられた水の美味しさは、
その水が何であるかに関係しない。

水道水でも、天然水でも、
地上では手に入らない聖なる水だとしても。

愛が欲しい時に与えられたそれは、
依存だろうが、支配だろうが、
同情だろうが、義務だろうが、
真実の愛だと思い込む。

そんな過去に愛された記憶が、
モノに宿る。

新たな物語を、私が作り出す。
そして、捨てられない今に続いている。

未練を残すモノは、買わない。
必要なもモノと、愛せるモノだけにしよう。
今日から。

いいな、欲しいな、と思うのは、
物語に共感している時。

愛されるためのモノは、
必要性や、愛するためだとかに錯覚しやすい。

それを持つのは、どっちの私?
それを愛しているのは、どっちの私?

理想の私?
ただの私?

どれだけ高機能で、コスパが良くても、
使うのは、ただの私。
愛するのも、ただの私。

愛されることが好きで、面倒くさがりで、
やってもらいたがりの「ただの私」が、
気を使うことなく、自然に愛せるモノなんて、
この世にあるかどうかも怪しい。

たぶん、私が愛せるモノは、
とても少ないのだと思う。

捨てることは、たぶん、
私が愛せるモノを探す行為なのだと思う。

愛されるためにモノを買い、
愛することを知るために、
愛せないモノを捨てるのか。

なんとも、身勝手なこと。

モノを捨てる罪悪感は、
愛されたいと言う我欲のために、
物語を利用するだけして、
愛せなかったことへの後ろめたさ
なのかもしれない。

愛してもらったのに、
愛を返せなくてごめん。
利用して、ごめん。
ズルして、ごめん。

愛してくれて、ありがとう。
嬉しかったよ。

あなたと出会えたから、今ここに立てた。

世界の理不尽に、嘆き、絶望し、
不平不満を撒き散らすことしかできなかった私を、
救ってくれて、ありがとう。

あなたに宿る物語が、
あなたを愛する作り手の想いが、
力を与えてくれた。
命を繋いでくれた。

希望のなかった未来に、
愛ある世界を見せてくれた。

愛してくれて、ありがとう。

捨てるために必要なのは、
愛する力なのかもしれない。

愛せないモノを愛さないでいる勇気。
同情や優しさと、愛を見分ける力量。

愛された物語を終わらせる勇気。

そんな気がしている。

fumori

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