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12月28日『善性列車』

12月27日に『羅小黒戦記』を見たあと、知人とサイゼリアで夕食を食べた。映画の考察もそこそこに、哲学や倫理についての話をする。

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2皿とも収めようとしたら中途半端になってしまった。

例の『谷村ノート』の件や反出生主義の話、ヴィーガニズムの話、ウィトゲンシュタイン(むずかしい)やクワイン(むずかしい)といった分析哲学の営みの話をした。あとはメタ倫理学の話。それから「善や悪は存在するか」みたいな話題を、先の献血ポスターの問題などを例に議論した。こうして話を聞いてみると、哲学は知識じゃないんだなと思う。「哲学する」という行為。久しぶりにバチバチの議論をしたので楽しかった。

「善悪とはなにかに与えられるものではなく、その瞬間の価値基準(これもスペクトラムだが)の趨勢(単純な量ではなく、価値基準を与える暴力の力関係)によって決まる。たとえば1862年以前は、奴隷制度は悪ではなかった。だから絶対の善悪の価値基準は無い(というか善悪という区分そのものがない)」という主義があるらしい。私も確かにそれらしいなと思ってはいるものの、自身の根っこからこれに基づくのは大変難しいなと思う。無意識のうちに善悪を判断してしまうから(この主義が正しいと思っているわけではないです。これは重要なこと!)。

勁草書房のメタ倫理学マップ。かなり見やすいし、なんとなくわかりやすい気がする(わからない)。

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反出生主義の話の中でデリダについて言及したときに、「なぜ“わかってる風”な人はデリダを『デ↓リダ↑』と呼ぶんだろう」という話をした。確かに“わかってる風”な人って単語を尻上がりに発音する。どうして尻上がりだけなんだろう。尻下がりじゃだめなのか。どうして尻上がりだとそれっぽく聞こえるんだろう。

そういう話をしながら終電に乗っていたら、ぜんぜん違う方向の電車だったらしい。30分くらい二人して気づかなかった。おい!! 仕方がないので、途中駅で降りて始発まで居酒屋でおしゃべりしていた。二人ともお酒を頼まずソフトドリンクだけ注文していたので、最悪の客だったろうな。

居酒屋では、二人で延々とインパクトのあるTwitterのユーザーネームを考えていた。以下に一例を示します。

・ギヤボックス
・涙(なみだ)
・ギラギラ丸
・ザ・ウルフ
・義母神
・俺の父
・天満宮(てんまんぐう)
・即戦力
・ニルヴァーナ
・夜の輝き

途中で「あ、これファミ通町内会だな」と気づいた。

終わりです。

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