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小さな港町で

 もうあたりは真っ暗になり、しんとした冷たい空気が僕らを奮い立たせた。日が暮れる前、午後四時くらいにはその日の野宿地を決めなければいけない。だがこの日は行けどもいけども、ただ広々とした薄気味悪い道が続くだけだった。沿道に面した床屋さんの夫婦が、物珍しそうに顔を出しホットの缶コーヒーを二つくれた。上にパーカーを羽織っていたものの、ハンドルを握る手が寒さで限界だった。缶コーヒーの暖かさを手でじんわりと感じた。四国に根付くお遍路文化のおかげか、総じて四国の人は優しく、その暖かさが身に沁みた。
まだいける、まだここじゃないと、もうほとんど無心でペダルを漕ぎ続けた。気づくと宇和島から入った内陸の終わり、太平洋側の方まで迫っていて
そこからの道はかなりの急な下り坂になっていた。自分たちがいかに高台を走っていたのかが目に見えてわかる。

身震いする思いで、草陰に立ちションして覚悟を決めた。ここを下るしかない。そこから極めて操作の難しいリヤカーと自転車にまたがり、微弱なヘットライトと頼りないブレーキに全てを預け、駆け下りた。
対向車がやってこないことを祈りながら。
真っ暗闇に続く下り坂は、あまりに静まり周りには人家も何もない崖だった。春先の夜の風を切った。

そういう時は、死への恐怖と生きていることを肌で感じる。

長い長い坂を下り終わった後、最初に見えてきた聞いたこともない土地に入った。通ってきた大通りから逸れて、小道を海の方に行くと港が見えてきた。平坦な道に出て少し心に余裕が出てきた。すると寒すぎたせいだろうか、全てを通り越し、気持ちが高ぶってきた。
生きてる‼︎
自転車を漕ぎながら空を見ると、今まで気づかなかったが星が降るように出ていた。その瞬間、自我が払拭され星々に身体が呼応して、まるで自分が星と繋がってるような感覚を得た。なんとも不思議な体験をしたのだった。

小さな港があって、その近くに煌々と光っている道の駅があった。営業は終わっていたけど、夜釣りにきている家族づれやキャンピングカーで泊まっている夫婦などがいた。今日はここで寝かしてもらうことにした。

小さな町の中心地までスーパーを探しに自転車を漕いだ。リヤカーは切り離しおいて行く。そこで夜ご飯の調達をする。あったかくて手間のかからない煮込みうどんだ。全く車通りのない道を、思いっきり駆け道の駅に戻った。
あまりに人目につかないところにリヤカーを移動させ暗がりの中で野菜を切る。そしてバーナーで沸かしたお湯の中に入れ最後に麺を入れて煮込む。温かさが身にしみて今日1日の疲労が癒される。
ようやく話す元気も戻ってきた。すかさず友人がお代わりのうどんを作る。
味に飽きが来てしまっては仕方ないので、卵などをいれ工夫する。
この旅では、漕いでは食べ、漕いでは食べの連続だ。腹に何か入れないと動けなくなる。
次第にストイックになって食べるために漕いでいるような感覚に
陥る。食べることが何よりも大切で、最大の喜びだ。ご飯を食べ終えると、疲れが溜まっていたのでそれぞれ寝袋にくるまり寝た。長い1日だった。

日の出が港から見えて凄くいいと聞いたので、その時間に起きようと思っていたら、寝過ごしてしまった。
七時くらいだろうか。日はもう登っている。僕らが寝ていたところは、パン屋が隣にあった。仕込みをしているパンのいい匂いが、立ち込める。そこのパンを二つぐらい買って、朝ごはんにする。

そのあとリヤカーを邪魔にならないところに置き、海を背にして長い階段を登って行く。そこには太平洋を一望できる黒潮温泉という温泉がある。
昨日の汗もすっかり流し、申し分ない天気で心地いい日だ。風呂から上がるとお昼少し前、お腹が空いて来た。リヤカーはそのままにして、昨日のスーパーの方の町の中心街のほうへいく。

海から程ないところに少し大きな神社があった。海を背に右手側に回って行くと、なにやら人だかりがある。
吸い寄せられるようにしてそっちの方へ行く。おしゃれなカフェを見つけた。なにやら楽しげな町だぞと思いつつ、折れ曲がった道を道なりに進むと、一際目立つ商店街があっった。その名も土佐久礼大正市場。僕らは全然知らなかったが、それなりに有名な市場である。漫画「カツオの一本釣り」の舞台である。それともう一つ、僕らはようやく気づいたのだが今日は日曜日だった。どうりで人の入れがいい訳だ。
僕と友人はいっぺんにこの街が気に入った。
旅を続けていると、いろいろな地域の街の成り立ちや雰囲気で感というものが働くようになる。あえていうならばそのセンサーが二人同時に、何かを感じ取った。商店街の一件に入って、カツオのたたき丼を食べた。高知県の名産だ。始まったばかりのシーズンだが、しっかりとした味でお腹も心も満たされた。日に余裕があったので、即もう一泊することを決める。寒さに耐えかねていた僕らは、町で唯一のゲストハウスに泊まることにした。
一回道の駅に戻ってリヤカーをつけ、神社の近くの海岸まで持ってくる。
日は高く眠たい時間帯だ。二人の所持金が全然ないので、リヤカーに積んで来たスパイスで即席チャイ屋を開こうということになった。またスーパーまで牛乳を買いに行く。
強い風の中、水道が近く人目に着くところにリヤカー屋台を設置する。荷台をテーブルがわりにする。

お湯が沸きスパイスのいい香りが漂って来た頃、小さな看板をたてた。
始めてもなかなか人は近づいてこない。遠目から見て笑いながら通り過ぎて行くだけだ。もっと全面にチャイ売ってます、と売り出したほうがいいのだろうか。なんて考えていると案の定おばちゃんが「なにやってるんけ、もっと大きく書かなきゃわからんじゃろ」と言って来た。また別のおじいちゃんは「面白いことやってるな。チャイってなんだ~?」とやって来て砂糖は入ってますよというと、「俺は糖尿だからなあ」
と少し寂しそうにとぼとぼ帰って言った。
あまりに飲んでってくれる人がいないので、僕らがどんどん飲んでなくなってしまいそうだ、と思っていると一人のおじいちゃんが来た。
「おお美味しいな」と言いながら500円だまを入れてくれた。
これで牛乳代はなんとか。
今日のところはもうお終いにして、片付けるかと思っていると
また別のおじいちゃんがやって来た。なにをするわけでもなく海を眺めている。近くに座っていたので、残ったチャイを一杯持って言った。
もちろんお題が欲しいなんていう下心はなしで。
ありがとうとしきりいうお爺ちゃんは、自分の昔話や息子や孫の話をしてくれた。その顔のシワは、土佐久礼の街の歴史を克明に刻んでいるようだった。僕がそのお爺ちゃんと話しているわずかな時間で、友人は若者と話している。同世代くらいだ。なにやら一瞬のうちに打ち解け、会話が弾んでいた。僕はお爺ちゃんとのスローな会話からするりと脱し、耳を傾けた。
19歳で僕らより二つ年は上。ここ土佐久礼に住んでいて、僕らが昨晩寝ていた道の駅でアルバイトをしていて、その帰りだそうだ。
いつもこうして暇があると旅人やお遍路さんに声をかけているらしい。
友人はラッパーの話で盛り上がり、聞けば聞くほど面白そうな人だった。ちなみにこのお爺ちゃんは彼のお爺ちゃんだった。
オーストラリアやアメリカに留学に行った話やそこで海外のラッパーにハマった話、進路の時期にはもがき悩み苦しんだ話、矢継ぎ早にいろんな話が飛び出した。中でもよかったのが、高三の夏この後自分はどうするかを問い続けていたときのことだ。
迷いながらもサーフィンに明け暮れていて、沖に向かって一生懸命に波をかき分けていたら、手に何かがかかった。びっくりしつつも急いで目を開けると、遠い異国の地から来たと思われるラスタカラーの布だった。
それは彼が好きだったボブマーリーを彷彿とさせ、右手でそれをつかんだことで、未来のそれをも掴んだのだった。「自分はボブマーリーの生まれ変わりだ。じゃそのボブマーリーはなにをした?」そこからインスピレーションを受け、それが進むべき道を切り開くきっかけになったという。「じゃあ俺もこの街に残って何か貢献しようか。で考え抜いた挙句、大好きな海を守るためにはまず森からだろうという考えに行き着いた。」
その後高知県香美市に新しくできた林業大学に通って、山師を志しているという。

留学を経験している彼にとっては、生まれ育った故郷であっても、狭い地域にすぎないのではないか?という僕の疑問は軽く吹っ飛んだ。すごいテンポで展開が進んで行くので、本当にこの調子で道を決めたのだろうか。
それにしても劇的な出会いである。
僕と友人は、彼のそのストーリーに引き込まれた。
チャイ屋でチャイは売れなかったけど、面白い出会いがチャイを介して生まれた。そうしてしばらく座っていると、寒くなって来た。


そこで彼から「お前らくさそうだから、風呂でも連れてってやるよ」という嬉しいお誘いがあった。言われるがまま、リヤカーを引いて彼の家までついて行った。そこからタオルだけ持って、彼の車に乗り込んだ。「俺ら今日の朝風呂に入ったんだけどな。」と内心思ってたことは、口には出さなかった。


 本日二度目の風呂に浸かり、いろいろ僕らを面白がってくれ、穏やかな気持ちになって街に帰ってきた。そこで突然出会ったのにもかかわらず、夜ご飯までご馳走してくれた。家にあげてくれ、金目の煮付けやチャーハンなんかをパパッと振舞ってくれた。そこには彼の家族がいたのだが、この街で消防士をしているお父さんの話が印象に残っている。武道家でもある彼は、さすがに体格が良く、お酒まじりに仕事のことや武士道の心持ちのはなしを聞かせてくれた。厳しさの上にある優しさを含んだまっすぐな眼差しに、背筋が少しだけ伸びたことを覚えてる。「泊めてやれないけど」と言って袋に詰めた白米をくれた。食べ物を恵んでくれる人は、偉大だ。

それから彼に連れられ、昼間いた港に戻り、彼の友達が集まっているとこに連れてかれた。正直言って心底疲れていたし、同世代は苦手なのでなるべく離れたとこで、ただ星ばかりを見ていた。彼らはおもむろにタバコをふかしながら、車が揺れるくらいの音楽を流してた。その時間は何も生み出さず、僕らが彼の友達と会話することもなく、過ぎた。こうしたフラストレーションだけをためた若者の行き場は、海べりか公園と相場が決まってるようで、全国どこに行っても同じ景色を見る。そのことに少し悲しさを覚えた。この町でのこの町ならではの出会いと、ある種普遍的な若者像との出会い。それから宿の息子が、彼らと同じクラスの子だったことも添えておく。それはあまりに狭すぎる町だ。

僕らはまだ旅が続くので、とか言って今日一日の礼をいって別れた。宿までの自転車を漕ぐ間、もう会うことはないんだろうなとぼんやりと考えて。

翌日、その町を抜けた。おそらくこの町は変化せずに淡々と日々の営みを続けるだろう。そして僕らは通りすがりの一旅人に過ぎない。土地の人と旅人が出会い、色々な話を交わした。という一行に収まってしまうような話かもしれない。でもぼくの中では、彼や彼の家族の優しさに出会い、一瞬町の真髄に触れたような気がしたことと、小さな地域特有の狭さの両方を見た。あるいはその両面性が町の姿なのかもしれないが、小さな心地悪さと収まりの悪さを感じた。

そして逃げるようにして、そそくとこの町を出た。


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