見出し画像

不思議な夜のこと

パシュパティナートというところに行った。
ネパールに着いて何日目の夜だったかは分からない。
シヴァ神を祀るヒンドゥー教の寺院だ。ネパールでは最高の聖なる土地で、
インドからも巡礼にやってくる。ネパールには60の民族と70の言語があり、複雑な文化が根付いている。

僕がお世話になった家族はヒンドゥー教のネワール族だった。

この日僕たっての希望で、ここを訪れた。
川沿いにいくつかの大きい寺院があり、死体を焼いて流すところや
神聖な祈りを捧げる場所があった。
なるべく近づいて見たかったため、真っ暗闇のなか川を渡り、
何やらすごい爆音で音が流れる方に向かった。
すると今まで見えてなかっただけで、おびただしいくらいの人が
闇の中を取り囲んでいた。そして音楽や火を操っている男たちの動きに合わせて
祈りを捧げている。まるでこの世界を包み込んでしまうような響きだ。

こうして毎日、祈りが捧げられているのだろうと思うと、ただただ人間の持つエネルギーに圧倒されるだけある。

画像1

なぜだかこっちも神聖な気持ちになってその輪の中に入ってしまいそうになる。
僕は取り立てて宗教を信じてはいない、と思っている。でもどこかでこのような暮らしと密接にある信仰に憧れがあるのかも知れなかった。

ネパールを旅していて気がついたのは、本当に暮らしの中に宗教・祈りが浸透していているということ。
ご飯を食べるかのように祈りをささげ、街角のあらゆる所に大小様々な寺院がある。
様々な民族・文化・カーストをといった背景を持つ人が暮らしているのに、ヒンドゥー教も仏教も調和していることに驚いた。

日本にいるとどうしても宗教は、あまり良くないイメージを持ってしまいがちだ。
実際僕の中にも宗教に頼らずに行きていけるのなら、それでいいという感覚がある。
しかしここに来て一つ考えたのは、宗教と一概に言っても自然の側にある宗教とのちの人間が作り上げた宗教とでは全然違う。自然の側にあるネパールで見たような信仰ならばどれも本物だろうということ。

自然の中にあるものがたまらなく大切なものなんだろうな、とつくづく思う。
ネパールで出会った人たちは皆自然と密接に、自然体の笑顔と柔らかさを見せてくれた。

さっき渡って来た橋を一度渡り、火葬の現場をみたいかとニルマラに聞かれた。見たい、と言った。するとニルマラも間近で見るのは初めてらしく、恐る恐る近づいていく。
僕はその後ろからゆっくりと近づいていく。
河岸が階段状になっていて、その一部が火葬場だ。と言っても平たいスペースが少しあるだけ。
もう実際に絶えず煙が上がっていて、白い布に包まれた遺体はかろうじて形が確認できないくらいに燃えカスになっていた。枝の中に足のような黒い塊が見えた。

僕がここに来たかったのは、死を目の前にして自分がどんな感情を覚えるのか知りたかったからだ。

画像2

一人の人間が物語を終え、目の前の火葬場で焼かれ灰はこの皮に流されて行く。
輪廻転生を信じて切るヒンドゥー教ではこの川に流されるのが一番理想の死の形である。
そしてこの川は聖なるガンジス河の支流だ。

そんな死の現場に直面してもなお、僕は涙は出てこなかった。意外だった。
これはこれとして受け入れられている自分がおそらくいて、極めて自然な行為のように感じられた。
輪廻転生を彼らが信じているからだろうか。自然の側のルールに沿っているように感じた。

空気が張り詰め、シンとしていて気がつかなかったが隣にいたニルマラは込み上げてくるものを抑え、静かに涙を流していた。
不思議な夜のことだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?