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帰り道は猫町

学生の頃、萩原朔太郎『猫町』に出会った。クレヨンハウス大阪店の棚で、パロル舎の本を購入した記憶があるものの、何がきっかけで読もうと思ったのか、ちょっと思い出せない。だけれど、学生時代に住んでいた坂の町で、猫町的な体験をしたことは鮮明に覚えている。猫町的という部分を一言で言うなら、迷子状態の人間が感知する不思議といえばいいだろうか。方向感覚のズレにより引き起こされる空間認識の逆転体験である。もしかしたら、私が『猫町』を手にとったのは、その体験と呼応する感覚が描かれていた本だからなのかもしれない。
卒業後、司書となった私は、北白川にある勤務先の大学図書館のほど近くに『グリル猫町』というカフェを見つけた。この作品を愛する店主は、たくさんの「猫町」本を店内に置いていて、私が持っている金井田奈津子装丁の本もその中にあった。休み時間に来店してしまったため、注文したカレーが出来上がるまでの数分が長く感じられ、時計の音は大きく響いていた。

萩原朔太郎『猫町』のあらすじをざっくり説明すると次のような感じになる。方向音痴な主人公がとある温泉町の山道で迷い、いつもと違った方角から町に降りてしまったことにより幻を見る。白昼に猫だらけの町を垣間見、この世界の反対側にあるかもしれない世界に心を飛ばす。

私のはじめの猫町体験は、駅から扇の形のように坂が伸び、さらに頂上付近で分岐している町での出来事だった。大正期に開拓された山の町は、頂上付近にモダンな噴水広場とモミの木があって、町のシンボルになっていた。真っ直ぐ伸びる坂の途中に住んでいた私は、分岐する坂道で迷うのを怖れ、いくつかの決まった道を通る習慣がついていた。しかし、滅多に通らない尾根筋から噴水広場に降りてきた時、まるで不思議なものを見たかのような感覚に陥った。この町の噴水広場は2箇所だけのはずなのに、目の前には鬱そうとした木々に囲まれた第3の噴水広場がある。しかし、それは別方向から見た第2噴水広場の姿だった。90度違う角度からは、これまで視界に入らなかった急な坂道や邸宅が見えて、全く見知らぬ町かのような印象を与えていただけだった。
それからは、いつもの坂道ではない坂道を上り下りするようになった。行きと帰りでさえ見え方が異なる坂の町では、路地が一つ違うだけで迷子感覚を楽しむことができたからだ。あれから約20年、この小さなワクワク感を私は長い間忘れていた。

しかし、8月の初めの帰り道、いつものルートから逸れた私は、再び猫町的な体験をした。バスを降りると、そこは河岸段丘の一番高いところに位置している。私は河岸段丘の上にある町を抜けて急坂を下り、帰途を辿る。その日はなぜか、町を真っ直ぐに抜けずに、左に折れてみた。
見知らぬ町は、かつて私が住んでいた関西の住宅地に少し似ていた。一つひとつの家々は、古びてもかえってモダンな佇まいが浮き彫りになるかのように、街灯に照らされていた。適当なところで、今度は真っ直ぐに進む。突き当たりを右に行ったところで、自転車とすれ違った。夏の夜の路地は静かで、自転車の走行音と虫の音がよく響いていた。初めて通る路地は、藍色の空を背景に大きな向日葵を見せてくれた。その道を辿っていくと、大きな坂道のてっぺんに行き着く。坂の上には大きな夜空が広がり星が小さく瞬いていた。目の前に広がる新しい風景が心に与えたインパクトに比して、私がその日起こしたアクションは、帰り道を左に曲がってみたという、ただそれだけのことだった。

日常は変えられなくても、目の前に映し出す風景は塗り替えられる。何か特別なものを見ようとしなくても、角度を変えるだけで全く別の景色が目に飛び込んでくる。ただの空間認知だけでも、新しい秘密の場所を知ってしまったかのように気分が変わる。夏の夜の風が、すっと涼しく感じられた猫町的な時間だった。

◼️参考文献
・萩原朔太郎『猫町』パロル舎、1997年。
◼️参考ホームページ
・グリル猫町
https://www.kyotokan.jp/read/my-local-guide-kyoto-01-06/