わたしたちの出産記

わたしの名はユ。32歳初産婦。助産院で子どもを産んだ。これはわたしの陣痛が来てから出産までのキロク也。

【1.これは陣痛?】

11月某日、全ての仕事がようやく片付いた36w6d。

ああ、これで完全に産休だ!明日はランチだ来週もランチだランランラン♪と、浮かれていた矢先…

AM0時(37w0d)

なんか腰が痛い。

うー痛いなー…でも、寝たら治る。ビッグバンセオリー(海外ドラマ)を見て寝落ちしよう。ぐー…(ほんとに寝た)

AM3~4時

腰の痛みと頻尿で起きる…何でこんなに腰が痛いのか。意味がわからない。あ、もしかしてこれって前駆陣痛ってやつ?(最近の妊婦友達のラインでもっぱら話題のアレ!)

そういえば、昨日届いた『妊娠と出産の本』(←良書!)に、前駆陣痛が腰に来る人もいるって書いてあったな。そんな時は、キャットポーズか、かくれんぼのポーズで痛みが抜けるとか書いてあった!

よし、早速実践…効いた!痛み抜けた―!さすが!読んどいて良かった!(また寝る)

…しかし痛い。そんな時はスーパーヒーロー小豆カイロ!痛いところは小豆カイロで温めればよいのだ!ああ、温めたら楽になった。さすが…(再び寝る)

…しかしすぐに目覚める。痛い。小豆じゃもう力不足だ。お風呂を温めよう。お風呂場に這って行く。ピ。「おいだきをします」。

お風呂はまだ温まらないのか…。ビッグバンセオリーをまだトライしつつ、体位変えてたらもう体にイヤホンコードが絡まって最悪。ぐるぐるになって、もうわたしは一体何をやってんの。

あ、もうすぐ6時だ。。夫を起こそう。

「ケムたん(夫)、腰が痛い」

ケム飛び起きる。

「大丈夫?カロナールを飲もう」

(え。カロナール・・・。あんな史上最弱の鎮痛剤?無理だよ無理だよ、ロキソニンを、ロキソニンをきめたい!←妊婦厳禁。てゆうか、わたしの腰をさすって!)言いたいけど、ちょうど痛みがきて声にならない。

ケムがカロナールを探している間もわたしはずっと、体位を変えたり、痛い痛いと転がりまわったりしていて、ケムは、それを嫌そ~な顔してみていた。

・・・「ねえ、ユさんそれ陣発してるんじゃない?」

え。陣痛?

えええ?そんなわけは一切ない。これはきっと前駆陣痛だ。だって、予定日12月だよ?今はまだ11月だ。前駆陣痛は一か月くらい続く人もいるらしい。(しかしこの痛みが一か月も続いたら最悪すぎるけど。)しかも妊娠と出産の本にも、前駆陣痛が腰に来る人いるって書いてあったもん!それに体位変えると治るし!!

言い張るわたし。

「それは、体位を変えて治ってるんじゃなくて、間隔的に痛みが引いてるだけじゃないのかな・・・」

いや、ほんと体位変えると治るんだよ!びっくりするくらいスッと引くんだから!間違えた体位を向いても引かないんだよ!断固として言い張るわたし。だって本当にそうだったんだもん!(そもそも寝ていた人に何がわかるのだ!)

そんなこんなやり取りしている間にお風呂が溜まった。もう、痛みをとってくれるのは、絶対にカロナールではなくお風呂だ。入ろう。

チャポン

お風呂・・・神・・・!!!

ああ、すっと痛みが引く!一生ここに入っていたい!体がふわっと解き放たれた!全身の疲れをいやしてくれるようだ!

気持ちいい~・・・・・・・・

しかし、おそってくる痛み。

ん?

お風呂に入って気付いた。痛みは腰だけじゃない。お腹も痛い。

しかも、体位を変えれないからよくわかるけれど、この痛みは間隔的だ。

目を合わせる二人。

ケム「T先生(助産師さん)に電話しよう。」

T先生の電話はすぐには繋がらず、わたしはラインで大体の症状を送り、ケムには留守電を入れてもらい、トイレに行った。

そしたらそんなタイミングでコールバックがきて、ああ早く出なきゃなんて思って拭いたら、わ、と驚いた。

薄い血がついとるがな。これはきっと、よく聞くあれだ。あれ。そう。おしるしではないか?

T先生に、ラインで伝えたことも含めて大体のことをざっと話し、それとたった今トイレに行ったら、血がついていたことを伝えた。

それらをふんふんと聞いた後、先生はこういった。

「なるほど。じゃあS病院(助産院の提携病院)に…いやまだ9時前だからな…。とりあえずうちに来てください。うちからだったら救急搬送もできるし。

このままお産になるかもね」

・・・救急搬送・・・このままお産?

てことは、ほんとにこれは陣痛?

たった1時間前まで、今日ランチは行けるかどうか本気で悩んでいたのに、お産になる・・・!?

まだ状況が掴み切れていないわたし。ケムは今日仕事休んでくれることになった。ありがたや…。

とりあえず、身支度、そして今日ランチを予定していた友達にキャンセルのラインw、そして入院グッズに必要そうなものをとりあえず段ボールにポンポン突っ込んで後で持ってきてもらうことにし、タクシーを呼んだ。

(とはいえ、陣痛の合間にしたくしてるから、すべてスローモーション)

タクシーからのぞく窓の外の景色は、秋の高い空と、まだ少し残っている朝焼けでとっても澄んでいて、繰り返す痛みを感じながらも、すっごくきれいな日だなあ〜なんて、ぼんやり思った。


【2.助産院に到着】

助産院に着くと、ドアを開けて迎えてくれたT先生は、心配そうな顔をしてわたしを見て、「結構辛そうだね」と言った。

早速診察台に上がって、エコー。あかちゃんは元気で無事。よかった!そして体重は2600あった。やった!!予定日より3週間も早かったのでびくびくしていたけれど、未熟児は避けられほっと一安心。少しだけ早いけれど体重もしっかりあるし、何とかイケそうだ。

二人になるとケムは、あーー2500超えててよかった~と言い、安堵の表情を見せていた。本当に陣痛だったなんてねと二人でびっくりし合った。

いやはや…ほんと、何でこんなに早くなったのだろうか。赤ちゃんのことは、妊娠の段階から全てそうだけど、こちらの都合や予想通りになんて、まるでいかない。

T先生は「お腹すいたでしょう。朝ごはん食べたら」と、朝ごはんを用意してくれた。

助産院のお庭の見えるリビングルームにて、さんさんと日差しが差し込む中、ケムが行きがけに作ったおにぎりと、先生が持ってきてくれたお味噌汁や和え物などを食べた。

美味しいなあ・・・ケムが作ってくれたおにぎりは、元気がでる。助産院のごはんも優しい味で本当に美味しい。途中お腹が痛くなるたび中断しつつも時間をかけて完食した。

そしてケムは入院グッズを取りに、そして職場に少し顔を出しに一旦戻っていった。いよいよお産が始まる。

その日助産院は満室だったのですぐにお部屋には入れず、わたしは分娩室でNSTを取ったり、仮眠を取ったりしながら待つこととなった。

(分娩室と言っても、分娩台などはなく、お布団が敷いてあるリラックスできるお部屋である。)

波のように寄せては返す痛みに顔をしかめつつも、この時は仮眠する余裕もあったし、間隔も結構空いてた気がしてる。

痛みが抜けると、とたんにちょっと暇だなみたいな気になり、今日遊ぶ予定だった友達や、来週、再来週会う予定だった友達、妊娠を気にかけてくれていた友達やらに報告のラインをしていた。また痛みが来ると中断してしまうのだが。

ああ、こんなに早く陣痛が来るだなんて…。つい最近の妊婦友達のライントピックは、本陣痛と前駆陣痛の区別なんてつくのか一体だったけど、やはりつかなかった。やっぱりつかないよ絶対!とライン。出産は未知数だ。

お部屋も、まだまだベビーが住むようなセッティングにはなっていないし、つい三日前、ユザワヤに行っておくるみに必要な毛糸を買って、無料講習でびっちり教えてもらったのに、まだリボン幅しかないw

おちびさんはわたしに似てスロースターターな気がしていたけれど、全然そんなことはないみたいだな。

陣痛は本当に波のようにやってきて、あっ来る…という感覚がだんだんわかってくる。来るとどんどん痛くなってきて、お腹がカチカチになるのがわかる。

お腹が収縮しているのに、痛いのはなぜか腰で、そこを助産師さんやケムが優しくさすってくれるととても楽になる。

なんならさすってくれなくてもいいし、当ててるだけでいい。さらには自分の手でもいい。当てていると、手が痛みを吸い取ってくれるような感じがして、とても楽になるのだ。

何で何だろう。とても不思議だが、手にはほんと、ハンドパワーよろしく力がある。

ああ、痛い。でも、死ぬほど痛いわけじゃない。こんなに皆にやさしくされていい痛み(?)なのかよくわからない。← 

ただ、ゆっくりとその痛みは、すこーしずつすこーしずつ自分の体に実感として蓄積していっている。

暖かいお部屋で、寝たりラインしたり痛みを我慢したり、そんなこと繰り返していたら、結構暑くなってきた。

そんな時、T先生に、「今何がしたい?」と尋ねられたので、「少し外の空気が吸いたい」と答えると、それはいいねとOKを出してくれた。

ケムと一緒に助産院の裏の畑道を散歩。朝見たすがすがしさと変わらず、切なくなるくらいきれいな秋の空で、もうすぐ夕方という頃合だった。

何でもない話をしたり、気持ちがいいね~と言いあったり、この野菜は何だろうと話したり、痛くて立ち止まったり、ゆっくりゆっくりと散歩した。


【3.本陣痛はツライ】

夜になり。

痛いなあと思いながら耐えるのでは効かなくなってきて、「イテテテ・・・」と声に出すようになった。

陣痛の間隔をしっかり調べてないからと、ケムは、じんつうまだかなというアプリをダウンロードして、陣痛が来るたびにチェックをしてくれた。大体8分くらいの間隔だった。

陣痛は、かなり規則的で、わたしは陣痛の間隔でグーグーと寝ていたらしい。8分経つときっかりと、「イテテテテテテ・・・」と言って起き、痛みが抜けるとまたグーグーといびきをかいて眠り、また8分経つときっかり「イテテテテ・・・」と起きだしていたそうだ。

痛みで起きたら、ケムが「すげぇ」と言っていた。うーん人間の体って面白い。

気が付けば陣痛は5分間隔に。

痛みの間隔が狭くなってきた。

そして痛みは強くなってきた。

さらに、痛みが抜けるまでの時間が長くなってきた。(=ずっと痛いに近い)

この辺りはもう最悪の一言。陣痛は結構痛い。思ってたよりもずっと痛い。

「ああまた来た。もう来た。ほんとにほんとに来ないで。勘弁して~」

「あああもう健康な体がほしい。今すぐほしい。健康は大事だ」

「もう絶対に第二子は産まない。絶対だ。」

頭の中はこんな感じ。

それくらい、痛い。今まで痛い痛い言ってきてた妊娠のマイナートラブルなんて、全く大したことなかった、この痛みに比べれば。マイナートラブルの総本山が襲ってきた感じ。

そんな時、つい先日出産を終えた友達から、出産のワンポイントアドバイス的な、これがあった方がいいやら、これをしといた方がいいやらのとても親切なラインが届いた。

(予定日が12月なのでまだまだ先と思ってる)

全くお産知識を詰めてないわたし。これから控える分娩について、「いきみ逃しの方法」やら「分娩室に持ってくといいもの」やら色々書いてあるけれど、、、

そもそもいきみ逃しって何?!初見ですけど!急いでググるが短い間隔で陣痛が来るのでよく調べられない。

持ってくといいものも、ほぼ持ってない(笑)まあ、もう仕方がない。

丸腰で行こう。自分の野生の力を信じるのだ。

陣痛はますます痛くなり、もう、「イテテテ・・・」じゃ収まらず、「いたいいたいいたいいたい・・・」と口にするようになった。

T先生が、腰をさすりながら、「いたいね、今が一番痛い」と言いながら腰をさすってくれた。ああ、よかった、今が一番か・・・。そして、お風呂に入ろうかと提案してくれた。

やった、お風呂は神だ。お風呂様なら何とかこの痛みを和らげてくれる。

そして、本当にお風呂は神だった。入ったらスッと楽になった。お風呂はラベンダーとゼラニウムのアロマオイルでとってもいい香りで、さらに先生は、レモン水を作ってくれた。(神は先生か!)

香りはとっても癒されたし、冷たくて、分厚くきったレモンの入ったお水は、本当に美味しかった。それに、妊娠中は冷たいものを控えていたので、冷たいお水は久しぶりの感覚だった。ああ、体に染みわたるとはこのこと。。

お風呂でまた陣痛がきた時、先生は触診をし、子宮口がだいぶ開いていることを教えてくれた。(確か、7、8センチだったと思う)

おお、そんなに開いてるとは!朝は懐疑的だった陣痛だけど、良かった、お産は進んでいるみたいだ。

お風呂では先生と取り留めのない話をした。内容は・・・共通の知り合いの話とかだけど、長く喋ったわりに他は全く覚えてない。ただ、何だかリラックスした気分で話をした気がする。

おっぱいを先生がマッサージしてくれて、ちょっとじわっと母乳が出てきた。わあ、わたしの体は今もまた急激に変化している。

最初は気持ちよく浸かっていたが、次第にお風呂でも痛みが取れなくなってきて、さらにはのぼせそうになったので、這うようにしてベッドに戻り(もう普通には歩けない)、もうお風呂様では取れなくなった痛みとベッドの上で戦うようになった。

お風呂様でも取れなくなった痛み。。ということは、これはもう完璧にこれ以上は手の施しようがない。

このあたりからだろうか、ケムは腰をさするかわりに、手を握ってくれるようになった。

また、「いたいいたい・・・」と言いながら、ケムの手をぎゅっと強く握って痛みに耐えていると先生が、「そろそろ分娩室に移動しようか」と言った。


【4.いよいよ分娩!】

分娩室まで歩いて行ったのか、這って行ったのか、もはや記憶があやしい。

ただ、その頃はお腹とか腰以外にも、なぜか体のありとあらゆるところが痛くって、一体どこでカバーしたらいいんだと思った記憶がある。

分娩室に着いたら、溶連菌(だったかな?)の点滴をさしてもらった。

点滴はじゃまだった。最初は一応抜けないように気をつかいながら動いていたけれど、陣痛が強くなると、もう点滴を気にしていられなくなった。

分娩室では、気が付くと、もう二人、助産師さんが増えていた。

さて、分娩室には来たものの、どうやったら産まれてくるのか、はたまた今どの程度産まれそうなのか、全く掴めない。

ケム曰く、分娩室でも最初の方は、陣痛の間隔で寝てたよとのことだった。その辺もあまり覚えていない。ただ今考えると、数分単位で深く眠るってすごいなと思う。

分娩室のお布団の上で、最初に寝転んだ時の、横向きに寝そべった姿勢のままわたしは陣痛に耐えていた。先生は、足の間に何か台のようなものを挟んでくれた。少しだけ楽になった。

どれくらい経ってからだろうか、先生が「次から陣痛が来たら、いきんでいいよ」と言ってくれた。いきむっていう言葉を使ったかな?そこら辺も覚えていない・・・。うんち出すように、とかも言われたかもしれない・・・。

さて・・・いきむ・・・って何!?HOW??

とりあえず、言われた通り、うんちをするような感じで踏ん張ってみた。

しかし、わからない。何がわからないってそう・・・踏ん張る目的地(?)と、加減がわからないのだ!

ただ、うんちというから、おしりの方めがけて力を入れた。

しかし・・・わからない。例えるならば、この扉は、1の力で開くのか、10の力で開くのか、それがさっぱりわからない!そして、どこからこの扉が破けるのか、それもわからないのだ!10の力を使ったら、この扉は壊れてしまうのではなかろうか。

まずはレベル2~3くらいの力でいきむものの、さっぱり産まれそうな感じがしなかった。

ああ、本当に産まれるんだろうか、ケムの手をきりきりと握りしめながら、陣痛が来るたびに声を出して踏ん張った。陣痛は早く去ってしまう。いきむ時間は体感的にはそう長くない。このペースだから降りてこないのだろうか。陣痛が去っても辞めずに頑張るべきなのだろうか。色んなことがわからない。

いきみ始めてしばらくした時(しばらく、とか、少し、とか全部体感的なことだから実際わからないけど)・・・パシャンと水風船が破れるように、生暖かい液体が、わたしの太ももを勢いよく濡らした。あっ、破水した!

というか、そういやまだ破水してなかった!忘れてたー!でも、破水したってことは、わたしのお産はちゃんと進んでいる!

よし、頑張るぞ、とここで少し頑張る気持ちが強くなった気がする。

陣痛が来るたびにいきむ。レベル4~5くらいにはあげた気が。しかし、産まれない。

ただ、ここでようやく陣痛の意味がわかってきた。陣痛に合わせてわたしはいきむ。この陣痛がこないといきめない。何もない状態で、このいきむパワーは産まれてこないのだ。こんなにキリキリと手を握り、声をあげるほどのパワーは。(この時はまだそこまで声をあげてなかったけれど)

ただ、出てこない。出てくる気がしない。だって・・・サイズ感が全然ちがうもん!

どう頑張っても、この大きいお腹にいる赤ちゃんが出てこれるとは思えない。小さな穴に無理やりバスケットボール押し込もうとしてるような、そんな感じ。こんなん無理に決まってる。

出てこない。どうやっても出てこない。こんなにいきんでも出てこない。てゆうか、出てくるとも思えない。どうしたらいいんだろう。

「出ない。出ない。」わたしが話しかけると、「大丈夫、出るよ。進んでるよ。」と先生が声をかけてくれる。その言葉に、「良かった進んでるんだ・・・」と安心する。

でも、出ない。どうやっても出ない。

「出ない。出ない。」また声をかける。陣痛のたびに声をかける。「大丈夫、進んでるよ。」と返してくれる。それを繰り返す。そのうち、その声はケムが掛けてくれるようになった。

その言葉だけを頼りに、お産を進めていた。そのうち、先生の声掛けはほとんどなくなった。声掛けは全てけむたんがしてくれるようになった。わたしは、ケムの手と、声だけを頼りに、やってくる陣痛とともにいきんだ。どんどんレベルを上げていった。

でも・・・出ない。出るのか、本当に。体が辛い。休みたいのに痛すぎて体が休ませてくれない。どうしよう。もう、お腹を切るしかないのでは。ああ、でもここ助産院だ・・・お腹切れないじゃん。今から救急車呼んで病院に搬送される時間あるのかな。赤ちゃんは大丈夫かな。病院までの道まで頭に浮かぶ。

いや、無理だわ。今から病院搬送なんて。もうここは麻酔も打ってくれないし、お腹も切ってくれないし、わたしが頑張るしかない。

本当に、ここが病院だったら、わたしはきっと「もう無理なんでお腹を切ってください」とか、「麻酔してください、お願い」とか言っていたと思う。あ、何もないじゃんと思ったからこそ、その時腹を括れた。

頑張るしかない。

どんどんレベルを上げていきんだ。

ああ、もう、どうやったら出るの。あ、そうだ、ラマーズ法とかやってみる?やり方しらないけど。←

何となく、ひーひーふーとか呼吸してみる。(なんちゃってラマーズ法効果なし)

あ、そういや友達が言ってたいきみ逃しってなんだったんだろう。なんで逃すんだろう。もう、いっか何でも・・・。

あー何でわたしはもっと呼吸法だとか、いきみ方だとかを前もって勉強しておかなかったのか、わたしのバカバカ。

どんどんレベルを上げる。強くなる陣痛。大きくなる声。腰が痛い。痛い痛い。何も言ってないのに、いつのまにか熱いタオルで腰とおしりを支えてくれてる。とても楽になる・・・。

そして先生が、「少し体勢を整えよう」と声をかけてきた。

えっ、今から少し動く?無理無理!動けない!痛い!すぐには動けず、二回くらい陣痛が来た後、「もう少し後ろに来れる?こう、体をまっすぐにして・・・」と、再び声を掛けられ体勢を整えた。と言っても、横向きのまま、壁ときれいに垂直になるように少しだけ体をずらした。

そこからお産が一気に進んだ。

「壁に手をついて、壁を押し上げるような感じでいきんでみるといいよ」と言われ、そういきんだ。大きなものを持ち上げるような感じ。

「赤ちゃんの頭に触ってるよ」と言われたのは、壁に手をつく前だったか後だったか。忘れてしまったけれど、先生はそう言った。

え!赤ちゃんの頭に触ってる??

頑張らなきゃ、出さなきゃ!

そこからはまた一気にレベルが上がった。多分9くらいまでいってたと思う。大丈夫なんだろうかと思いながら。今まではいきむ声も、息の混じった声だったが、「うあーーーー」と、力強い声に変わった。

赤ちゃんが下がっているのがわかる。でも、そっからが長い。こんなに時間をかけて赤ちゃんは大丈夫なの?

「赤ちゃんは大丈夫?」と聞くと、「大丈夫だよ。その調子で」と返される。よかった。大丈夫なんだ。

でも、出ない。赤ちゃんは出てこない。今一歩何かが足りない。やはりお腹を切らないと。あ、いや切れないんだった。

頑張っていきむ。でも、出てこない。「赤ちゃんは大丈夫?」「大丈夫だよ。」今度はこの繰り返し。

どのタイミングだったかはわからない。ただ、少しずつ陣痛の間隔が広くなってきてる気がしていた。力が蓄えられる。

腹を括らないと。

もう括ってるはずの腹を、さらに括るぞと決意した回がどこかにあった。

長めの間隔をしっかり休んだ後、わたしはレベルを一気にあげた。赤ちゃんを出さないといけない。

レベル10はもう超えてる。もうどうなってもいい。力を振り絞った。

赤ちゃんがそこまで来てる!ほんとに後少しのところに来てる!実感でよくわかる!でも、外にはまだ出ない。ああもう!出さないと!出さないと!出さないと!

大きな声と共に、多分レベル100くらいな、血管がやぶけそうな力を出した。

そしたら・・・

めりめりめりめり

赤ちゃんの頭が出てきた!!!!

髪の感触を感じる!

出た~~~~~~~~~!!!!!!!!

あああ赤ちゃん!!!!

しかし、周りは、「やりましたね!」「かわいい女の子ですよ!」みたいなテンプレート文は一切なく、もくもくとしてる。なぜだ!?なぜ一緒に喜ばない!?

そしたら・・・

「まだ、体全部出てないよ!頑張れ!」

えっ・・・

まだ全部でてなかったんかーーーい

落胆。しかし、落ち込んでる暇はない。切り替えの早さがわたしの長所。よし。わかった。全部出す。全部出そう。そして次の陣痛・・・


ウワアアアアアアアアアア


その時、まるでウォータースライダーに押し流されるかのように勢いよく出てきた。生暖かい赤ちゃんと、生暖かい液体が、どばっと出てわたしの間を滑り降りてきた。

そして・・・・・・


ンネーイ ンネーイ


赤ちゃんの泣き声。

産まれた~~~~~~~!!!!!!

11月某日AM1:04(37w1d) 2618グラムの女の子が産まれました。母子ともに無事の安産でした。(これが安産か!)


【5.あとがき】

わたしは分娩時間は21時間で(陣痛の間隔が10分になってからカウントするんだそう)、分娩室に行ってからは、2、3時間だったそう。

ラストスパートは経産婦なみに早かったと口々に言われた。頭が出てから、初産婦はもっと時間がかかるらしい。

会陰も切れたり裂けたりすることはなかった。ただ、最後出てくる時、勢いよく出てきたので、擦り傷みたいになってしまったらしい。まあでも、大したことはない。

安産だった。安産でこれかと思うと、難産はちょっと想像したくもない。

産まれた赤ちゃんは、お腹の上にのせられた。お腹にのせられた赤ちゃんは、バタバタと手足を動かして、それが、お腹の中で動いていた、あの感じで、「あ!」と嬉しい驚きがあった。

あなただったんだね!

繋がった気がした。

わたしが赤ちゃんに最初に抱いた感想はそれだった。

この子がお腹にいたんだ。そしてこうしてお腹の上に出てきてくれた。思っていたよりずっと大きくて、しっかりしてて、元気で、、、お腹の中でこんなに大きくなってくれたんだと思ったら、とっても嬉しかった。

その晩は赤ちゃんがぴとりとわたしにくっついて、ケムと三人、川の字になって寝た。

赤ちゃんは小さくてあったかい。さっきまでお腹の中にいたのに、今はわたしの横で寝ている。寝返りをうったらつぶしちゃいそうでこわい、それくらい儚いわたしの赤ちゃん。

入院の6日間、同じお部屋で赤ちゃんと寝起きして、いつもすぐそばに赤ちゃんがいた。

わたしはこんなにも心から湧き出る可愛い!という感情に出会ったことがなかった。

げっぷをさせようと、赤ちゃんを抱くと、赤ちゃんの頭がわたしの肩にのっかって、その小ささとふわふわとした髪の毛と赤ちゃんの匂いに涙がでた。

わたしはこんなにかわいい子をお腹の中で育てることが出来たんだ。そして、自分でこの世に出すことが出来た。女性としての力をまっとうできた気がして、心の底からの喜びと、達成感と、赤ちゃんに会えた嬉しさでいっぱいだった。

入院の6日間、いつも夜寝る前に、出産の時のことを思い出していた。

産まれるまでの間は、本当に痛くて痛くて、それはもう最悪で、人生で一番痛い時間が、どんどん自動更新していくような感じだった。やめてほしい、止めてほしいと思っても、止まることはない、有無を言わさず先へ先へ連れて行かれるような気分だった。

でも、あんなに痛くて辛くて最悪な出来事を、入院中わたしは思い出したくて仕方なくて、寝る前にはいつも出産の時のことを思い出しながら目を閉じていた。

時間が過ぎるごとに、日にちが経つごとに、記憶が薄れていくのは、焦りに近い気持ちだった。この素晴らしい出来事が、指の間から零れ落ちてしまうようで。。。なんとか繋ぎとめようと、毎晩毎晩思い返しながら眠りについた。

陣痛のことを書きながら思った。

きっと赤ちゃんも覚悟を決めていたんだね。

赤ちゃんとわたしが一緒にタイミングを合わせて出てきたんだね。

ほとんど指示されないお産だった。でも、みんなに助けてもらいながら、わたしは赤ちゃんを産むことができた。赤ちゃんと二人で。

赤ちゃん、わたしに素晴らしい経験をありがとう。わたしのもとに来てくれてありがとう。

どうかこの世があなたにとってとても楽しいものになりますように!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?