【テイルズ】FF16が賛否されている今だからこそ話したい事

どーーーもまどやよ。
FF16、売れていますね。古豪の復権というのはJRPGファンの僕からすると非常に嬉しいことで これを期にJRPGの文化がまた1段階すすんでくれたらいいなぁ なんて思っている。
ちなみに僕はPS5は持っていないので全く手を付けていないが友達のプレイを見せてもらったりなんならネタバレありのレビューまで読んでなるほど~となっているのだが、僕は多分プレイしたらかなり好きになるタイプのゲームなんだろうなと感じている。
特にストーリーの賛否の否が「暗すぎる」「救いようがない」「感情移入できない」みたいな作品に胸が踊ってしまうのだ。
しかし僕は決して王道や明るいが嫌いなわけではない。むしろ好きだ。
そんな否の部分に燃えてしまう自分がどこから始まったのかを考えていた時にシリーズをやり込んできたテイルズを軸に考えたら良いのではないかと思い、プレイしてきたテイルズの事を振り返りながら自分の中にある感情を探っていきたいと思う。

では、いってみよう。

※ここからはテイルズシリーズをクリアしていることを前提としたネタバレをガッツリ含みます。

テイルズの前作、アライズを思い出す

一番近い内にクリアしたテイルズはやはり最新作のアライズであった。
アライズの記事、実はプレイ中に書いていたのだがクリア後の感想を書いていない。
理由は端的、テイルズオブアライズは僕にとってしりすぼみな物語であったからだ。
というのも当時書いた記事を読み返したのだが「水の国に入国しようとしている」と書いてあり、水の国は巡るべき国の最後の場所であった。
僕が面白いと思ったのはこの水の国の王との決着まで。
そこまでは痛快で考えさせられるストーリーと世界の行く末の事を考えていたのだが、その後急に宇宙に飛ばされ上位存在から一気にスケールの違う話を聞かされる。
正直に言ってあっけにとられてぽかーんと言った展開で思考が止まってしまった。
クリアした後にテイルズファンの二人と会議したのだが、全員の感想は同じ「スルドブリガ(地上での王権戦争)まではおもしろかったけど・・・」
地上にいた頃はパーティのキャラも際立っていたし関係性を追いかけるのも面白かったのだが、上位存在が出てきてからはその辺も大味というか
求めていたJRPGの良さでなくなってしまったなと感じた。
周回要素もなくなってしまっていて、もう一度プレイしたいと思ったことは今に至るまで一度もない。何度も所持している過去作を引っ張り出しては定期的に遊んでいる僕が、再びこのゲームを起動することはなかった。

なんというかこのゲームを遊び終わった時に感じたことこそが「今のゲームって技術に寄り添いすぎていないか?」というものだった気がする。
すげえ映像を見せたいからゲームを作る
すげえシステムと作り込みを見せたいからゲームを作る
そんな事じゃなかったはずなんだ。
マジですげえゲームって言うのは時間を忘れて遊んで心の底から楽しいと思えるもんだ。
FF16を「映画のようなゲーム」と開発が豪語しているが、「ゲームとしてどうなんだ?」と思ってしまった人達が苦言を呈しているのであれば
感じた気持ちは少し近しいのかもしれない。

今度は近くに遊んだ作品ではなく、自分が好きだったテイルズを思い出してみようと思う

何回やっても泣く「テイルズオブハーツ」

ハーツの感想はザックリにしようかと思う。
というのもハーツは所謂「王道」「世界を救う」「愛と心のチカラ」みたいな作品であり
コレを振り返ったところで「そりゃ好きだよなあ」としかならんのです。
取り分け好きである理由は「愛と心のチカラ」から逃げずに真正面からぶつかった作品であったところにあるだろう。
ハーツは名前の通り心の物語であり、主人公たちの素直な感情の変化や心の成長を楽しむ物語
それを「これでもか」というほど真正面から捉えた作品である。
人によっては気恥ずかしい様な話なのかもしれないが、その小っ恥ずかしいテーマから逃げずにど直球を投げられる事は称賛に値するし
DSでプレイするに当たってのドット絵の温かみ等とも重なってとてもアツい物語が楽しめる。
ちなみにCG版とリメイクが出ているが個人的にはアニメ版原作をおすすめしたい。いや、リメイクもいいんだけどね、カルセドニーとか仲間になるし。
でもやっぱりアニメ版原作が一番没入感高いかな。

これでもかとキャラを追求した「テイルズオブレジェンディア」

これ、正直テイルズの中でもそこそこ影薄いんじゃないかなっていう作品なんですよね。
PS2次代の代表作といえば「リバース」「シンフォニア」「アビス」辺りだと思うし
レジェンディアの何が良いかって、世界観とキャラクターの作り込みと音楽なんすよ。
ただ数あるテイルズの中でもバトルがおもんねぇから人に勧めづらいのよね。
ちなみに主題歌とは別に「蛍火」という挿入歌があるが、これがシリーズ中でも屈指の名曲(僕調べ)でアライズのOPが後半で変わる演出はこれもあって好きだったなぁなんて。
レジェンディアのヤバいところは「キャラクタークエスト」にある。
ゲーム本編をクリアしてうおーーー!!ってなってたら急に各キャラクターのキャラクエが開放されるのだが正直言ってこっちが本編なんじゃないかというくらいの完成度とボリュームで実装されている。
どのキャラのクエストもマジで最高なんだけど、個人的にはノーマのキャラクエが大好き。本編でふざけちらかしてたムードメーカの仲間思いな一面とかが後から見れるのってめっちゃいいよね!

賛否の代名詞?「テイルズオブエクシリア2」

テイルズ屈指の賛否両論作品ことエクシリア2
前作エクシリアの続き物となっており新主人公の二人組を操って前作の主人公達のその後を追っていく話。
つまりこれは「ちゃんと作りすぎてしまったファンディスク」なのだ。
結果ちゃんと作りすぎてしまった為ナンバリング作品であるという軸が強くなってしまい「テイルズとしてはどうなんだ」という批判が多く上がってしまったんだと思う。
もうちょっとコンパクトに後日談として2クールのアニメとかになってたら多分評価は全然違っただろうに。
とまぁそんな様にキャラクター掘り下げ系が三度のメシより大好きな僕にとってはMAX楽しめる作品となっていた。
設定としては「if」の世界が別な世界として固着してしまい、その枝分かれした世界に養分を持っていかれて正規の世界が危ういので剪定をしようという話であるのだが
当然もしもの世界にはいい結果もあるわけで、そういった世界を破壊する能力を持った主人公ルドガーが世界を壊す痛みを知りながら仕方なく世界を壊しまくっていくと言うファンディスクっぽいテイなのに内容が激重な一作である。
本作はマルチエンディングとなっているのだが
トゥルーエンドは別な世界から来てしまった主人公の未来の娘エルを守るため主人公が犠牲になり、数年後成長して活躍するエルの姿を描く話。
これはとても綺麗な話なのだが、問題はノーマルエンド。

仕方なくエルを差し出した主人公は今まで所属していた会社の社長とか諸々を色々あって倒していたため新たに社長に就任し今回の件の後始末に追われる日々。
そんなある日、社長ルドガーの元にある女性が面会に訪れる。
社長室に入ってきた女性を見てルドガーは驚きの表情を見せる。
エルの面影を見せるその女性はラルと名乗った。
そしてルドガーは安堵の表情と共に涙を流し、エンディングムービーは終わる。

ルドガーは無事正史世界でも後の奥さんと出会うことができたと言うことですね。

このエンディング、要は「一緒に頑張ってきたエルは失っちゃったけど未来の奥さんとは出会えて、これからこの世界でのエルが産まれてくるんだね」って言う話なんすよ。
テイルズ的には「一緒に頑張ってきたエルは失っちゃった」と言うところがどうしてもダメポイントっぽくてトゥルーエンドではエルを守ってルドガーが消えるんすけど
正直僕はノーマルエンドのほうが好きです。平行世界系の作品としての伏線回収がめちゃくちゃ綺麗にされているし、正史の世界にいたエルはイレギュラーな存在だから本来はこのエンディングの方が「正しさ」を重視しているんですよね。ちゃんとエルも産まれてくるし。

エクシリア2で僕が一番好きだったのはこの納得のエンディングがノーマルエンドなの!?っていうビックリに尽きるのかなと。
そもそもエクシリアのキャラ好きだからそこもちゃんと楽しめた事は前提だけどね。

賛否どころか否だらけ!?「テイルズオブゼスティリア」

はいどーもお待ちかね。
正直この記事を書こうと思ったのは「ゼスティリアについて語りたいから」の一本です。ここまでの話は前座です。あんまり考えたりこだわったりして書いてないです。
強いて言うなら読ませようと思って書いたんですけどこっからはマジで語りたいことを書くので逆に読ませようという気はないです。
もう既にゼスティリアに対して否定的な気持ちで受け入れる態度がないなら回れ右して下さい。

僕はゼスティリアが大好きだ。
世界観、テーマ、戦闘 どれをとってもかなり好きな分類に入る。
特にこの作品が投げかけたかったテーマ
人と天族と穢れと憑魔
そして導師が背負わされた使命
時に諦めたり切り捨てなければいけない覚悟
どうしても割り切れないくらいに大きな世界が背負った負債
これらを片付ける作品のシメで示されたのは「一筋の光」であった。
要は「本当にどうしようもなかった世界が主人公達の努力によって一縷の望みが繋がった」ところまででこの作品は終わってしまうのだ。
僕個人としては、それがすごくよかった。
RPGの世界では、誰かが犠牲になったり最後には割り切れない正義がぶつかり合ったりするけど
最後には決着が付く 犠牲の上に平和が形成される 悪は滅ぼされる
それが当然に語られることがベースな中で
ゼスティリアはラスボスとの決着が「その場しのぎ」でしかないのだ
そんなスッキリしない話を評価しろってのか!?と思うかもしれないが
それこそがまさに「一人の人間の一生」なのではないかと思う。
坂本龍馬は池田屋事件で凶弾に倒れたではないか。
これは皆が史実である事を認識しているから
はたまたその後の結末を歴史の教科書で知っているから
坂本龍馬の物語が暗殺で終わっていても納得するんじゃないだろうか
ゼスティリアにおいてスレイがしたのは、そういう意味合いのある「第一歩」だったのだと僕は思う。
だからこそうまく行かないこともたくさんあるし、目をつむらなければならなかったことがたくさんあって
それこそが人間臭さであると僕は思う。
RPGの綺麗すぎる終わり方に納得がいかないとは決して言わないが
こういう「一人の一生」を描いたRPGもあってもいいではないかと思う。

例の評判に挫けず最後までサブクエストまで舐め尽くして好きじゃなかった人達の中に
「アイゼンが救われなかったのが納得行かない」と言う人が結構いると思う
確かにベルセリアをやって戻ってくるとあのイベントは本当に悲しい
だがあのイベントの真意は「兄に執着していたエドナの心境の変化」を見せる為のものだったと思う。
エドナは世界の行く末に興味がなかった。
ドラゴンと化した兄アイゼンの事を思い続け、遂には添い遂げる気持ちですらいたのではないだろうか。
そんなエドナをスレイは外の世界へ連れ出した。
今まで他の天族の声にも耳を傾けなかったエドナが、世界を識り、人を識り、そして
大切な人は兄だけではないと知った。
アイゼンを倒した後のエドナの心境は多分、辛かっただろうと思う。
ただ、倒す(眠らせる)こともできずに苦しんでいるのをただ見続けるよりは
もう終わらせてあげた方がよかったんだと、弔った後に気付けたんだと思う。
そしてそれをするだけの力を付けたスレイや仲間に感謝をし
もう後ろだけを見る事はやめようとエドナは一歩前へ進んだのだと思う。
新しい仲間と、仲間が生きる世界を守るために。

と言う5億都合の良い解釈みたいな話をしてみたが
まぁこれが伝えたかったんならもっとちゃんと語れよって思うし
サブクエに収めんなよって思ってるけどね。
正直真意はわからんけど、こういう解釈もできるんじゃないかなぁっていう提案です、提案。

ゼスティリアはね、本当にただただ割り切れないんですよ。
その割り切れない生っぽさが伝記っぽくていいんす。
歴史上で悲劇の死を遂げた英雄のお話とかが好きな人はゼスティリア好きになってくれるんじゃないかなって思う。

〆に

とまぁFF16をダシに好きなゲームを語るだけの記事になってしまったわけだが
ネタバレレビューなり評価なりを聞いた今でもFF16はタイミングがあればプレイしてみたいなとは思っている
プレイしてみた感想って、やっぱり違うだろうしね!
その時に僕の目から見えるFF16ってどんな作品なんだろう。
ワクワクが止まんないね。
あとコケ気味だったからってテイルズ出すのやめないでね そろそろ新作発表待ってるからね もうテイルズってだけで僕はやるんだからね。

以上、まどでした。



じゃあね。

















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