見出し画像

結局のところ、結果はあまり重要ではなく、自分の世界の見方によるところが大きい

好奇心旺盛で海外旅行など活動的に色々な体験をしている人に、会話の流れで少し自分がちょうど気になっていたことについて、実際のところを聞くことが出来た。

「あなたはとても好奇心旺盛で、色々経験したり、旅行などが好きなようだけど、結婚をしていた時に、自分のやりたいことが出来ないというようなジレンマはあったの?どんな感情だった?」

私は、自由や新しいこと、学ぶことが好きである。
選択理論心理学の5つの欲求のテストをした時にも、"自由"と"楽しみ"の欲求が高い結果になった。

そんなこともあって、そんな私が結婚をすると、どんな気持ちになるんだろう?そもそもこんな私には結婚は向かないのか?と気になっていた。私に似て好奇心旺盛のこの方はどうだったんだろう、と気になって聞いた。

そうすると、こんな回答が返ってきた。
「不思議なことに、子供が生まれると、自分の関心自体が別人のように変わるんだよね。"子供にどんなおもちゃを与えるとどんな反応があるのか"、”哺乳瓶はどんなものを与えるとどれくらいミルクを飲むのか”など、関心自体が"子供"に移るから、"今まで好きだった旅行にいけない"というような気持ちは全く芽生えなかったんだよね。"子供”についての知識を得たり、取り組むこと自体が本当に楽しかった。」

なるほど。
勿論誰もがそうではないとは思うものの、確かに、環境が変わると、自分は別人になるものなのかなあ。

_________________________________

その夜、私は姉の家に行った。
私は、家族や子供が好きだが、自分の目標ややりたいこともあるので、
あまり家族と会いすぎると、自分のやるべきことが進まなくなってしまうからと、最近は少しバランスを取るようにしていた。

姉が、先月産まれた甥にミルクをあげるところだったので、
「私にやらせて」と頼み、ミルクをあげた。

ミルクを一生懸命に飲む甥っ子を見つめていた。

・・・・・

「ずっと見ていられる」

と思った。



それだけではない。
「もっと色んな事をしてあげたい」
「いつも幸せでいて欲しい」
「その為に私はこんな人でいたい、なりたい」
などと思った。笑
(エゴには気をつけよう笑)

その後ろで長男が一生懸命遊んで楽しそうにしている。可愛いなあ。

ああ、なんて幸せな時間なんだ、と思っていた。

さっき、家族と会いすぎると自分のやりたいことが進まない、
と困ったように思っていた私はどこへやら。笑

ああ、さっき聞いた話は、こういうことなのかな、と少し思った。

自分のやりたいことなんて、
環境や状況が変わると嘘みたいに変わるのかもしれない。

__________________________________

環境や状況が変わることで、
今自分の大切にしていることが保てなくなる、崩れる、というような不安が湧くけれど、
実際には、環境や状況が変わると大切なもの自体も変わる、という方が正確かもしれない。

環境自体が、"私達が大切と思うこと"を作り出しているのかな。

以前もそう思ったことがあった。
コロナが流行して、リモートワークが普及した時、
私は自分の幸せについて考え始めた。
ライフワークバランスについて考え始めた。
この間まで先のことなんて考えずに目の前の沢山の予定に奔走していたというのに。
そして、ミニマリストになった。
この間まで服を沢山持っている事が喜びだったはずなのに。

周りを見ると、
同じように考える人が多いように見えた。

環境や状況が変わると、
その影響を受けて、関心ごとが変わっていくのかも。

それにこれまで、人生を振り返ってみて、
環境や状況が変わって後悔をしたことが一度もない。

それが別れなど一時的にはネガティブな経験でさえ、時間が経つと、それで良かったと思っている。その経験が私にいつでも教えを与え続けてくれて、感謝の気持ちしかない。

兵庫県から長野県の小学校に転校することが告げられたあの日、友達と離れることが悲しくてあんなに泣いたけど、その後、転校しなければ良かったと思ったことはない。

人生が、進まなかった方の道を歩んでいたらこうなっていましたよ、という答え合わせが出来てしまうものだったら、確かに後悔する事はあるのかもしれないのだけど、そうではないから、比較しようもないし、なんだかんだ、その時は、目の前の環境や状況がすべてで、それ以外は無いので、ただ目の前の状況をより良くしようと夢中になる。

きっと、何を選んでも、今後も同じようになる。

そうすると、躊躇することにあまり意味は無いのかもしれない。
何を選んでも結局意味があったと思うから、
維持したい現状に、もしかしたら、こだわらなくても良いのかもしれない。
あまり考え過ぎないで勢いでいくのも1つ手なんだろうか。

私は、バンジージャンプの上でずっとうじうじしているような状態かもしれない。
でも、背中を押されて落ちてみると、何かものすごい達成感があるかも。
(いや、バンジージャンプだけはやっぱり絶対に嫌だ。)

あらかじめ完璧な選択と分かるなんていうことは無いから、
もうその完璧を事前に確認しようとすることは降参しても良いのかもしれない◎

選んだ選択を正解にしてきたじゃないか。
そのことに、そろそろ自信を持っても良いのではないか◎

自由が制限されるとかなんとか言っていたけれど、
自分だけで出来る範囲で新しく学ぼうとするより、
結婚する、というような環境変化を取ることの方が、
よっぽど自分の好きな"新しいこと""学ぶこと"の幅が広がって面白いかもしれないしね。


少し話は逸れるが、今読んでいる「やりぬく力」という本にこんな事が書いてあった。

__________________________________

どの職業でも、「天職」と感じている人の割合は変わらない。

仕事だと思うか、天職だと思うか、
それは職種の違いによって生じるものではなく、
大切なのは、本人が自分のやっていることを「どう思っているかだ」

天職との出会いは、完成したものを見つけることではありません。受け身の姿勢ではなく、自分から積極的に行動することが大事です。たとえば清掃員でもCEOでも、職業に関係なく、どんな人もつねに自分の仕事を見つめ直して、問いかけることはできるはずです。この仕事はどんなふうに、他の人々とつながっているだろう? 世のなかの役に立っているだろうか? 自分のもっとも大切な価値観を表しているだろうか?

__________________________________

この事から、私が、目の前の状況や環境、選んだ選択が何であれ、
自ら積極的に行動し、そこに意義を見出すことができさえすれば、
選んだ道はすべて豊かに出来る、
と考えることが出来るのかもしれないと思った◎


合う人を探す、
自分の理想や譲れないことを守る、
それも確かに大事だけれど、
同じか、もしかしたらそれ以上に、
どんな時も、
今の状況や環境を正解にする為の努力をすることが大事かもしれない。

また少し話は変わるが、
「思いやりというのは、他人の幸せを自分の幸せに転換できる技術」という考え方を知り、今週はその事を自分にインストールしたいと思って過ごしているのだが、"甥っ子にミルクをあげている時間"、"それ"が、"それ"なのかもしれない。
"思いやりによって、自分の幸せが拡張した"ということなのかもしれない◎

そういうイメージを持って、思いやりを持って相手と接することで、
結婚やパートナーとの生活も、自分だけの幸せを超えてどんどん幸せが拡張していくのかもしれない◎


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?