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地元熊本での、新たな生活。

 地元、熊本に帰ってきました。

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 1月20日頃に帰ってきて1ヵ月ほどゆっくりできたし、さて何をはじめようかと考えているところ。帰ったときのことを思い返せるように書き留めておきます。

引っ越し準備、あっという間な日々。

 はじめての引っ越しの手配は(これまで会社や家族に助けられて引っ越してできていたから)不慣れなこともあり、あっという間に進んでいった。
 価格の調整を試みたり不要品を処分したり、梱包したりとばたばた。
 引っ越し直前で見積もりをグンと引き上げられるというプチ事件が起こりましたが、これは今回の教訓として活かそう。
 うまい話には裏があるし、選択肢は多い方がよい。それに諦めなければ、なんとかなったとだけ。

引っ越し当日

 引っ越し前日から徹夜での作業でした。大学の定期試験以来のそれは、35歳のおいちゃんには結構身体にこたえた。。
 ようやく物を出して、大家さんとのやり取りを済ませたところで、同僚に車で成田空港近くのホテルまで送っていただきました。サプライズ訪問だったこともあり「ここに住んでいたんですね」という会話の違和感が。
 重い荷物を運びながら電車で行くはずの成田への道。この6年間の東京生活で過ごしたルート(三軒茶屋→代官山→渋谷)を振り返り話しながら、笑顔いっぱいにしてもらえる存在がいたことが有り難かったなぁ。

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 いつ買いに行ったのやら、お土産も頂いて心温まる時間。ホテルまでたどり着いて、お礼のLINEと明日の準備を済ませて就寝。

東京から熊本への移動

 翌朝、なんと寝坊。ホテル室内に鳴り響く電話の音。
 何度も内線で鳴らしてくださっていたようです。ホテルの方、ごめんなさい。。
 予定していた時間に起きない僕を起こすため、家族がホテルのフロントの方に協力をお願いしていたのだそう。
 チェックアウトの際に平謝りとありがとうをお伝えして、飛行機の時間には何とか間に合いました。

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 緊急事態宣言下ではあったものの、飛行機で成田から福岡へ。福岡空港から博多駅に移動して熊本行きの新幹線に乗り換えた。
 熊本駅に着いたら、鈍行に乗り換え、家族が待つ最寄りの駅まで行って合流。前回帰省して1年ぶりの再会だった。

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 途中、電車に乗る人数の少なさ、1時間あたりの本数の少なさ、エスカレーターの乗り方、ホームで待つときの並び方。
 どれもこれも戸惑った。20代に生活した福岡と、高校生まで育った熊本なのに。

"東京から"地元に帰るということ

 まずぶつかったのは、感染への不安。
「東京から熊本に帰ってくる。」
 家族には喜びが大きいものの、家族と働く方や学校の同級生、遠い親戚にとっては良くない知らせですよね。
 誰かに会ったわけでは無いが、東京で3〜5月頃に感じていたそれを自分に向けられる日がくるとは。。

 家族とも話し合い、翌日にPCR検査を受け、結果は陰性。しばらくは静かに暮らすことにした。
 検査を受けさせてもらえた病院に、かかりつけ医として診て頂いている。説明が要らないし、事情も理解した上で診てもらえるから安心できるしね。

熊本でのテレワーク

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 仕事は引っ越した後、1月29日の最終出勤日までリモートで引継ぎや商談に臨む。
 バタバタとその日までの2ヵ月ほどを過ごしたこともあり、いろんな方へきちんと挨拶もせず東京から熊本へ帰ってくることになりました。
 最終日の挨拶メールを読みすぐに電話をかけてくださった方、丁寧に返信をくださった方が多々あり、嬉しいやら寂しいやら。
 体調も年間通して安定しておらず、至らぬところもあったが取引先に恵まれたことに感謝。

熊本に17年ぶりに帰ってきた気づき

 そんなこんなで地元、熊本に帰ってきた。
 実に17年ぶりの地元生活がスタートした。子どもの頃から変わらない景色もあったり、1箇所だけ変わっていたり。変わった場所は地震の影響を受けていることを後から知る。
 東京で暮らすようになり、地元が遠くなっていたが、その間に地震、豪雨と闘った熊本。まずは知るところから始めようかとしているところ。

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 あとは、メシがうまい。これは育った味だからうまいのもあるが、家族と毎日食卓を囲んで食べることが1番の理由。祖父や伯父は減ったけれど、姪や甥が増えて賑やかになった。

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 独身の伯父さんな僕は勉強したり遊んだりを一緒に過ごしたり、洗濯物を干したりしまったりと自宅を警備して過ごしているところです。

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
 長くなりましたが、東京生活の終わりメモでした。今日は熊本も午後は寒い。みなさん風邪にも気を付けてお過ごしくださいね。

ここまで読んでくださりありがとうございます! サポートしてくださった分は、ひとりの再スタート準備に。