蛇の目傘

朝から空は曇り模様だった。気象予報アプリによると十一時から本格的に雨が降るらしい。当てになるかどうかはわからないが。僕はいつもの紺色の傘を持って出かけた。

僕みたいに傘を持っている通勤客が多かった。電車の中はむしむししていて、窓が結露している。

こんな日にみんなどうして同じような紺色の傘を持ち歩くのだろう。もっと晴れやかな色の傘を差せばいいのに。しかし僕を含むくたびれたおっさんたちには青空色の傘はどうも不似合いだ。曇り空に似た色でいい。

乗り換え駅で降りてまっすぐに階段へと向かう。かさばる傘を右手から左手に持ち替えたとき、何か違和感を感じた。誰かの身体をついてしまった感覚がする。

「あ、すみません」

 後ろには誰もいなかった。ただ、傘の先にえぐり取られたような真ん丸な目が刺さっていた。

 誰の目だ? そういえば昔ネットニュースで、傘の先で目を突き刺された男性が失明したと言っていた。そんなことを僕はやってしまったのか。僕は誰の目を刺した?

目玉の瞳孔がぴこーんぴこーんと光りだす。まさか爆発でもするのか?

なぜだか手放すことができない。手に傘が張り付いているような感覚だ。視覚を失った恨みはそれだけ深いのだろう。目玉の意志を感じる。

駅構内にあるコンビニの傘コーナーに目がいった。こんな日には傘が飛ぶように売れる。傘置き場には廃棄の傘が山のようにあるのに。

そうか。あの中に紛れ込ませたらどうだろう? 僕はこの傘から一刻も早くさよならしたい。

僕は傘置き場ににじりよりそっと傘を手放そうとする。頼む。他の傘たちと一緒に成仏してくれ。

だめだった。僕を離そうとしない傘。しかも目玉の点滅は速くなるばかりだ。もう時間がない。

両目をぎゅっとつむり覚悟をしたそのときだった。

「それ、僕の傘ですよね?」

 やせた男性が傘を引っ張ってくる。僕の手から傘が離れる。

「そうです! あなたの傘です!」

 僕は何度も何度も頭を下げた。そういうことだったのか。あれはあの男性の持ち物であの目玉は単なる飾りだったんだ。同じような色だものな、分からなくもなるよな。すっきりした。さて、乗り換えをして会社に行こう。

 どーん。コンビニから爆音がする。

「僕は悪くない」

 だってあの目玉はあなたを選んだんだから。

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