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俺たちはゆでエビと違って人間だし生きている

先日友人の家でドラフト(MTGの遊び方のひとつ)をして遊んだ。昼は寿司をとった。

8人でシェアして寿司を食うと、ウニ、中トロ、いくらのような人気かつ高額なネタは「〇〇食べるね」と、親しき中にも礼儀ありという感じの会話が発生する。さて、そんなとき、だれもが無言で了承を取ることなく食べる不人気なネタがあり、その中にゆでエビは含まれるだろう。少数のゆでエビがすごく好きな人もいるだろうが、そういう人が「ゆでエビ大好きだから全部食っていい?」と言ったら私なら快諾するし、なんなら積極的に申し出るべきだと思う。それが最大多数の幸福である。

いやしかしだ、でもエビってそういう食べ物か?数合わせでしかないのか?そんなことないだろう。例えばエビがいる場所がチャーハンの中だとしようじゃないか。エビが入ってると嬉しくないか?エビが乗った部分をスプーンに乗せ口に運ぶときはなんか特別感や高級感、高揚感がある。通常の5倍ぐらいの量までは入ってれば入ってるほどうれしいと言えるものだろう。そう、つまり、人気ネタだけは寿司、それと一緒に卵やエビのようなシャリに乗っていても特別嬉しくないものはチャーハンとして提供すればいいのだ。それで解決だ。それが最大の幸福を実現できるエビの使い方だ。

なに?屁理屈を言うな、寿司の話にチャーハンを持ってくるんじゃないって?わかった、じゃあエビフライ寿司やサラダ巻きを考えてみようや。回転寿司での王道メニューである彼らは確かに多くの人にとって人気ネタに比べて見劣りする。だが、子供など異なるユーザー相手に人気者だ。ナンバーワンじゃなくてもオンリーワンという言葉がぴったりである。

じゃあなぜ出前寿司のゆでエビがあんま人気ないネタとして数合わせポジションに甘んじて入っているかといえば、相対的なコストとパフォーマンスだろう。チャーハンであれば原価の安い米が大半で、相対的に原価の高いエビに特別感がある。一方で出前寿司は高価なネタが基準であるため、エビのコストは比較的低く、生のネタが大半なためゆでエビは保存コストもよい。それでいてなんか無難だからだ。フライやサラダと違って、高級感を損ねたりしない。

こうやってゆでエビについて考えていて思った、人間みたいだな、と

いるだろう。能力は低くないが周りがもっとできるためにできない扱いを受けるのに甘んじている人。雇用主としてはちょっとできない奴だけど、他の奴よりも安い給料で使えるしいっか。まあ別に迷惑なことはしないし一応人数として使えるという感じ、まるで出前寿司のゆでエビのようじゃないか。彼らが寿司からチャーハンに飛びだす度胸がなくても、こんなふうに言ってみたとしよう、「自分、フライになってみたいっす」とか「サラダに挑戦してみたいっす」とかである。するとどうか。「いやいや、そんなチャラついたネタねえ…うちはシャリにネタでやってるから。フライとかサラダとかはダメ。」同調圧力が殺しに来る。「そんなこと言われても、自分加熱されてるんで…」と説得を試みても、状況の違いをもろともしない天才、もとい加熱された人気ネタのうなぎやあなごに心を折られることもあるだろう。でも違う、そんなあなたも別の場所では力を発揮して評価されることができるのだ。

あるところでダメな奴扱いされていた人が環境が変わり、力を発揮して評価されることってあるじゃないか。あれは寿司の上からチャーハンの中への転生みたいじゃないか。いや、わかる、だれもが寿司のトロやチャーハンのエビのような主役になれるわけじゃない。でも、エビフライ寿司やサラダ巻きのような、その世界の第一人者にならなれるかもしれないのだ。

俺たちは既に死して調理され提供された寿司のゆでエビとは違って自分が輝く場所を探しに行くことができるのだ。こうして、自分に合う場所を探し、少し勇気を出すことの重要性をエビから実感した。

おもろいこと書くやんけ、ちょっと金投げたるわというあなたの気持ちが最大の報酬 今日という日に彩りをくれてありがとう