大好きな配信者の話をする!

孤独と鬱憤とインターネット

小学生の頃、チャーリーとチョコレート工場を観てひどく嫌な気持ちになった。最後、家族と引き換えにチョコレート工場をあげようと言われたチャーリーはそれを断って「家族最高」みたいなことを言って終わった…と思う。

私は家族仲が悪かった。両親が別居し、離婚し、父親と絶縁状態となることで問題が解決というよりは消滅するまでずっと悪かった。

虐待されていたとか、食べるものがなかったとかいうような飛び抜けた不幸ではないが、幸せに眠る日より嫌な気持ちで眠る日の方が多く、嫌な気持ちの原因は家族だった。住んでいた場所は飛び抜けてではないがそこそこ裕福で幸せそうな家庭が多かった。平凡に幸福な子供に囲まれた平凡に不幸な子供だった。

だから、「宿題が嫌だ」とか、「学校に行きたくない」とか、ちょっとした愚痴を言う友達に混じろうと

「父親がいなくなってほしい」

なんて言うと、さっきまで軽口を叩いていた子たちに、何か言ってはいけない深刻なことを言ったかのような態度で「家族にそんなことを言ってはいけない」なんて言われたものである。平凡な不幸は平凡な幸福に理解されることはなかった。

小学生の頃の記憶のほとんどは孤独と惨めさとやり場のない鬱憤だ。

何か嫌なことがあったときに軽い愚痴を言える相手のいない孤独と、それを言おうとするとわかってもらえないどころか悪いものにされる惨めさ、そして、幸福の上から当たり前のように石を投げられることへの理不尽なやり場のない鬱憤。

死んでやるほどの度胸や潔さもないから、ただ死なないことで生きていた。だから疑いない家族賛美のような綺麗なコンテンツに嫌悪感を感じた。

どうして欲しかったんだろうか?多分、「そうなんだ、それは大変だね」と誰かが言ってくれれば、それだけで随分と救われた気持ちになっただろう。いや、そうでなくても、似たような鬱憤を抱えて生きている人間がいるところにいるだけでも良かった。だから私はインターネットにはまった。初めてインターネットに触れたのは2008年頃。まだアングラな雰囲気が色濃く残ったインターネットは、似たような鬱憤を持った人たちのいる居心地のいい地獄だった。

カウンターカルチャー

YouTubeの設立が2005年であり、私が初めてインターネットに触れた頃はまだYouTuberというような人たちはおらず、インターネットで広告収入を得ること自体身近ではなかった。

今では大衆的であるが当時まだアングラだったものといえばゲーム実況である。

任天堂では2013年からYouTubeではContent ID[21]で自社の収益になる広告を付けることを条件にプレイ動画の投稿を許諾していた[22][23]。また、2014年12月からニコニコ動画でも動画投稿を公認し[24]、2015年1月からはYouTubeで上記の広告収益を動画投稿者と分け合うためのサービスも開始した(Nintendo Creators Program)[25]。2018年11月29日に自社のプレイ動画投稿のガイドラインを制定し、ガイドラインに従っていればYoutubeなどでの収益化も可能になった[26](それに伴ってContent IDの利用やNintendo Creators Programのサービスは終了した)。

Wikipedia 実況プレイ

2013年から任天堂による段階的な承諾が始まるまでは、黙認されて栄えた表には出ないコンテンツだった。カウンターカルチャーとして好まれた側面が強かったので、明るいコンテンツになる過程では既存ファンからそれなりに反発があった。

ゲーム実況が表向きなコンテンツになる体制ができた2015年にリリースされたマリオメーカーをめぐっては「マリオメーカー問題」なんていう言葉も生まれた。当時の空気感を象徴する動画を一つ引用したい。

問題なんて大層な名前がついてもその本質は、マジョリティからはみだしたマイノリティの界隈が、マジョリティ向けに変わっていったというだけの話である。

当時の既存ユーザーの多くは大衆が好むコンテンツを嫌う傾向があり、チャーリーとチョコレート工場で私が嫌な気持ちになったのと近からずとも遠からずだと思う。マジョリティだからこそ享受できる明るさや幸福に対して嫌悪感があり、それにより自分の好きなコンテンツが展開される場が侵食され置き換わることに忌避感があった。

だからもこうがウェイ系(今よりもっと侮蔑的ニュアンスが強かった気がする)配信者をバカにする動画は最高だった。人気者になってもアングラ側の文化で話すもこうはヒーローだった。収益と結びつく以前のゲーム実況と言えば、マジョリティに支持されるものに対するカウンターカルチャーとして好まれる文化としての側面が大きくあったと思う。

ご存知の通りもこうは表向きになる流れにうまく乗って現在は企業案件もよく受けている大衆的な人気者になった。今日話したいのは時代の流れに乗って表の人気者になれなかった方の人だ。

(余談だが、私がもこうを知ったのはゲーム実況が収益と結びつく前の彼がまだ、うまくいっていない不満足な現実を昇華したインターネット上でのカリスマとしてだった。彼の最高傑作はブログの「バイトで副店長にマジ泣き」シリーズだと思っている。初歩的な人間関係に苦しむインターネット上でのカリスマという存在自体が時代を象徴するようで、それがありのままの苦悩を綴った文は鬼気迫るものがあり引き込まれる。)

ムク

私が一番好きな配信者であるムクを知ったのは2015年頃、ゲーム実況を取り巻く状況が変わっていくのを感じながら既存コンテンツを漁る中見つけた。

東方の最高難易度のLunaticをプレイする技術に加え、実況も面白い。内容はうんこ、ちんこなどの下ネタをひたすら言うものであるが、男はそういうテンションのときにこういうのを聞くとすごく笑ってしまうのである。わかるだろ?高度なプレイをしながらのトークとしては最高レベルだった。実況全体にどこか心を掴むものがあった。

すっかり心を掴まれた私は、ムクの実況動画を一つずつ見ていくのだが、あるところで、コメントに違和感を感じる。

この人は何かをやらかして嫌われている

界隈から好かれている投稿者であればあるべきコメントがないことであったり、あるいは、肯定的なものでも嫌われ者でなければつかないようなコメントであったりだ。例えば、「だれが何と言おうとも俺はムクが好きだ」なんてコメントは、炎上した人や多くのアンチがいる人にしかつかないだろう。そのような、動画のコメントが荒らされては荒らしが消されたような痕跡を彼の動画全体から感じ取った。好きなものはどんどん調べる質なので調べていると「藤崎瑞希」という単語を見つける。どうやら勘は当たっていたようである。

藤崎瑞希

「おいどうしたクサレオタクども。まんまとサムネイルに釣られたってか。ゴキブリホイホイやな。」

知っている人は知っているかもしれない。そう、藤崎瑞希はニコニコ動画の釣りでよく無断転載されていた彼だ。(もしかすると、今は釣り動画自体通じないかもしれない。ニコニコ動画ではサムネイルにカーソルを合わせても今のYouTubeのように別シーンに変化したりしないので、動画と全く関係ないサムネイル、特に性的なもので騙すような動画がよくあった。)

藤崎瑞希は2007年頃からYouTubeとニコニコ動画に投稿をはじめた人物である。これは黎明期であり、参考程度にHIKAKINHikakinTVより前に開設)の最も古い動画の投稿日が同年7月、YouTubeで一般ユーザーが広告収入を得られるようになったのが2012年である。FaceBookもまだなく(日本版は2008年リリース)、インターネット上に顔を出すこと自体がタブーのような雰囲気の中、顔を出して過激な主張をする動画を投稿していたことにより一部で熱烈な人気を博した。

藤崎瑞希の動画のリンクは貼りたいが、本人によるものは削除済みであり現在あるものは無断転載のみなので控えておく。転載されたものなら調べればすぐ見つかるはず。私は好きすぎて全部10回以上見ているので本当はすごく貼りたい。

2007年7月を最後に藤崎瑞希名義の動画投稿は最後となり、一か月後には全ての動画を削除する。(fujisaki11名義のYouTubeチャンネルは残っている。)

2008年9月にムクの名義でゲーム実況動画の投稿をはじめる。声が似ていることから藤崎瑞希と同一人物でないかというコメントがつくものの、本人が否認していたこともありはじめは荒らしコメントのように思われていた。しかし、ニコニコ動画の仕様変更により投稿者が同一であることが確認できるようになり、同一人物であることが明らかになる。

その後はムクの動画や配信の中で藤崎瑞希はNGワード扱いとなり、藤崎瑞希を含むコメントにムクは怒りを露わにすることもあった。

ムクは動画投稿や配信(ニコ生)を続ける中で度々もめ事を起こしては謝罪、引退、復帰を繰り返すが、2011年を最後に動画の投稿と配信を停止している。

ムクには黒歴史として忌避されていた藤崎瑞樹であるが、それを見た私はがっかりするどころかますます彼に惹かれていった。

動画の内容は「クサレオタクをぶったぎり」に始まり、ビールを吐いたり、サッカーのユニフォームを燃やしたり…Vlogの先駆けでありながら、いまでいう炎上系の先駆けであった。断っておくと私は現在の炎上系や迷惑系といったものに人並に嫌悪感を感じるが、それは他者への中傷や迷惑を自己の利益に替えているからである。大して藤崎の時代には動画収益という概念はまだなく、当時の動画投稿者は金銭とは別の感情に突き動かされていた。それは自己顕示欲であり、鬱憤であり、創作意欲であり、あるいは彼がよく使う言葉である「純粋に人を楽しませようとする気持ち」であったのだと思う。私もそんなその混とんとした激しい魅力に惹きつけられたうちの一人だ。

すこしおどおどしているが、それでいて自信過剰で己惚れがあり生き生きとしていた。現実に苦しみ鬱憤に満ちてネットにいる存在として、一目見てこの男は自分と同類だと直感した。それと同時に、傲慢さや怒りといったものも含めて豊かに感情を表現する彼は、仮初のインターネットの居場所でとはいえ輝いていた。醜くのたうつ蛹のようでありながら煌々と輝く星のようでもあった。

ムクブログ

私が藤崎瑞希/ムクについて知った時点で最新の彼のコンテンツはブログだった。2015年時点で1年前の2014年5月が最後の投稿日である。

遡ってみると第一に東方や他の動画投稿者への苦言というよりは暴言に近いような投稿が多く見られた。これには、東方と東方実況者としてのムクのファンとして少しショックを受けてがっかりした。だが一方で、ムク/藤崎瑞希という人間を私はさらに好きになっていった。

それは暴言と並行して投稿されているムクの近況からだった。綴られていたのは苦悩に満ちた近況であった。

大学を中退してから何度も就職してはやめてを繰り返していること。父親が鉛筆で書いた履歴書を清書して再就職を目指す惨めな日々について。最期の職も無断欠勤して辞め、現在(当時)また無職であること。

追い詰められると攻撃的で口が悪くなることや、そうなっている本人の苦しみはよくわかった。なぜならそのときの私自身こと追い詰められた人間だったからである。そのときの私はというと、現実逃避を重ねた先で友人と揉め事を起こして孤独になり、世界が救いのない絶望にまみれたものに見えていた。

私は孤独と不安、苛立ちを感じていた。そして、ムク/藤崎瑞希の感じる孤独と不安、苛立ちをよく理解できた。接点はなく私が一方的に知るのみであるが、別の孤独な存在に奇妙な親しみを感じた。人間は共感する生物だ。孤独は人を殺す。他者の孤独に共感したかったし、それでいてムクの文には力があった。非難されるべき点があったとしても、ムクの文ほど私の胸を打つものはなかった。

そして2016年、2年ぶりの投稿となったのが復活のM ~空白の2年間~である。

全四回のこの投稿の第一回目は近況について。彼の見ている世界がありありと浮かぶような鬼気迫る文章だ。激しい落胆と怒りの奔流が自分のことのようにぐいぐいと引き込んでくる。やり場のない感情を吐き出した言葉は心の奥に響くものがある。

そして最後の第四回は藤崎瑞希の秘話。黒歴史としていた藤崎時代について数年を経て語られている。

空白の2年間とかではない…ムクとして常に付きまとってきたこの『ムク=藤崎瑞希』に関する疑惑…俺の東方実況者としての明るい未来を破壊する事となった藤崎瑞希という影…
だが東方実況を引退してからもう5年以上の時が経っている中で今更かもしれない…今更かもしれないがこの事実に向き合う時がようやく来たと今の俺は考えている。何時までもこの事実から逃げていてもしょうがない。だから今回『復活のMシリーズ』の最終回としてこの話題を提唱させてもらったのだ。

復活のM ~空白の2年間~ ④

小学生までは道化を演じてムードメーカーとして愛されていたのが一転、中学生から対人の苦手さが表に出て、大学を中退するまでを孤独に過ごす。大学を中退した無職の状態で空虚さから逃れるために藤崎瑞希として動画投稿を始める。

確かに以前までは藤崎瑞希は黒歴史だったと思う。
しかし今は黒歴史などとは考えていない。俺が歩んできた確かな人生の1ページだったし、俺が輝く事ができていた数少ない期間だったと今はそう思っているからである。

復活のM ~空白の2年間~ ④

藤崎瑞希を黒歴史として活動していたムクとしての最後の動画投稿から人間関係の軋轢に苛まれ職についてはやめてを繰り返し5年、藤崎瑞希を輝いていた時代として再認識した形でブログは綴られる。

黎明期の動画投稿者藤崎瑞希、そしてトップ実況者ムクの時代の栄光への郷愁に基づく尊大な自尊心、そして現在の状況への諦念と自傷にも似た投げやりさがこの文にはある。一度黒歴史とした過去を輝いていた栄光の一部として認める心境には諦念と絶望があったのだろう。何か壮絶なものを見た気がした。

憤怒と窒息、淘汰された人間らしさ

なぜ自分がここまで彼に惹かれるのか。境遇や人間の性質の類似による共感はもちろんある。私は劣等感にまみれてカードゲームだけが得意で趣味にしか自己を肯定する拠り所を見いだせない少年だった。東方のLunatic実況という狭いところではあるが、確かな才覚を発揮していた彼と自分、何が違うのか。

だがそれとは別に、自分にないからこそ惹かれる部分に、自由闊達に表現される彼の感情がある。

藤崎瑞樹/ムクはしょっちゅう怒っていた。

作品やその作者に対するリスペクトの欠如、他者への攻撃性、スルースキルの低さ…どれもいい結果をもたらさない避けるべきものであるという一般論に同意する。だが、それをしている人だからといって私は必ずしもその人を嫌いになれない。

藤崎瑞希/ムクは、調子に乗って己惚れるところもあり、人を楽しませようという気持ちもあり、承認欲求はじめ様々な欲があり、そして、しょっちゅうアンチに激怒していた。彼はずっと本音だったと思う。尊大なところや己惚れたところはあったが、いつも根っこには突き上げる感情があり、本心で語っていたように思う。傲慢でありながらも相手の目線まで降りて行って怒っていた。彼の魅力を一言で言うならば人間らしさだ。

今のデジタルなポピュリズムの時代、人前で怒りを出すことは命取りになってしまった。不適切な発言や態度と見られたものは、すぐに拡散されて記録が残る。笑って怒ってという人として当たり前のことができない世界になってしまった。一度人前で感情を露わにして怒ったりしたら終わりだ。

どこか、最近の栄えているコンテンツに冷たさのようなものを感じることがある。穏やかで差しさわりのないトピックでとりつくろわれた表層的なあたたかさには、おそらく永遠にその人の内面に触れることはできないのだろうという突き放されたような寂しさを感じる。

カントは人間が互いの人格を目的として尊重しあう理想「目的の国」を提唱した。カントの理想主義は現実味の乏しいものと言われることがあるが、一方で多くの人を惹きつける。それはカントの主張は私たちの直感的な正義感によく一致するからだろう。しかし現代はどうか。

炎上しない、デジタルタトゥーを作らないという目的のために、多くの人と人の接触が手段になり下がった。気に食わない相手はただの数字として見て対等に扱わないことが美徳とされる。アンチを無視することは、ある種の人間性の淘汰である。怒りという攻撃的な感情は、相手を対等な目的として見ることにより発現する感情であり、そこに私は人間らしさを感じるし、ネガティブな一人と数字として無視するよりも温かさを感じる。

藤崎瑞希/ムクはしょっちゅう怒っていた。アンチにガチギレしていた。いつも彼のコンテンツには突き上げるようなエネルギーがあった。商業のための手段ではなく、それをやりたいからやるのだという激情が込められていた。そのうちに占める鬱憤や怒りは大きなものだった。

二度目になるが、私は迷惑系ユーチューバーを肯定しているわけではない。人並みに不快感を感じる。それでも私が藤崎瑞希にどうしようもなく惹かれたのは、彼がトラブルメーカーであり、その中で自己嫌悪と自尊心が同居し、苦しみそれが昇華され生まれたコンテンツがたまらなく好きだからだ。今トラブルメーカーとして有名になればそれだけで広告収入を稼げてしまう。おそらくそうなれば怒りは本音から収益のための手段に変わっていくだろう。そうすると、一時的なものではあるかもしれないが、成功者になってしまう。その怒りは手段になり下がっている。それは私の愛したものではない。

多くの人にとって藤崎瑞希/ムクは迷惑な存在だったのかもしれない。東方ファンとして彼のようなスタンスのユーザーに触れるべきではないのかもしれない。しかし、私はそんな存在を愛おしく思うところがあり、またそのような存在を排除した世界に息苦しさを感じるのである。

おもろいこと書くやんけ、ちょっと金投げたるわというあなたの気持ちが最大の報酬 今日という日に彩りをくれてありがとう