短編 「ワールド・エンド・ガーデン」

 春の午後の光を受け、虹色に輝く硝子の切っ先の向こうに、折れたクレパスのようなビルが見えた。鉄筋の露出したコンクリートの塊は、アスファルトを割り、繁茂した蔓性の植物に絡め取られ、緑色の巨人の佇立した後ろ姿を思わせた。大きな青空に抱かれ、がっくりと肩を落として、彼は何を哀しんでいるのか。ところどころ春を称えるように、といっても、かの白き花は枯れることなど決してないのだけれど、咲き誇る真白の花弁が、かなしみの答えのように、新緑の巨人を彩っている。
 それは、ニオイバンマツリに似て、白くはかなく小ぶりな花で、けれど、青くはならず、百合に似て、はなやかで香り高く、象徴的であるが、それ故に、シンボルたり得ない。
 それは枯れることなく、咲き続け、一年に一度だけ花びらを落とし、器を新しくする思い出の擬態。積年のほこりのように積もり続けた花びらは、世界の底に降り積もり、とけない雪の重みで、世界を塗り染める。だが、かくべき雪もなく、雪をかくべき理由もない。
 花はただ、枯れないように、と願いをかけて、小さなビーカーの内に育てられた、人造物だった。願いを見届ける人は既にない。
 花は、いつまで咲き続けるのだろうか。世界を埋めて、青の惑星を白く染め上げて、そして?
 ぬるい東風にあおられ、窓のサッシへ蟻のように集う花びらは、踏み荒らされることのない処女道だった。風に蝟集し、風に離散する、その道は、刻一刻と新しくなっていく。一秒前のかたちを忘れ、三日後の自分さえ知らない。ただ寄り集まり、姿を変える、奇妙なアメーバ。偶然と、きまぐれと、乱数が刻むワルツを踊る。
 鋭く欠けた硝子片の上に乗り、くるくると回ってみせた花びらは、ふっと力を失い、室の中へ滑り込む。
 まったく同規格の机が三十ほども並ぶ部屋、その窓際に向かい合わせで並べられた机と椅子。オセロといくつかの菓子袋が無造作にうち捨てられた、その上に、花びらは滑り落ちた。
 かつて学び舎と呼ばれた、その場所は、歴年の風化によって、ひどくおちこぼれていた。
 棟の南東は大きく崩れ、建物の至るところに嵌めこまれた硝子窓は、そのほとんどが割れ、欠け、砕けている。廊下に散らばった透明な記憶の欠片は、水晶窟の鉱脈めいて、稲妻をかたどる。錆が浮き、鉄臭さを撒き散らす無数のロッカーの集合体。名札入れに残された何名かの苗字と、風に揺れて、かたかたと音を鳴らす、半開きの扉。
 そこは既に死んだ場所だった。崩れた壁や天井が切り開いた日向に、飛び込んできた種が芽吹き、フローリング敷きの教室を庭園へ似せる。学舎は砂浜に打ち上げられた鯨の死体のように、朽ち果てるのを待っていた。
 かたん、と椅子が静寂に爪を立てた。オセロ盤に乗っていた花びらは、その音におびえたように、床へ落ちる。
 四つ角を白が埋めたオセロは、格子の中を縦横に並ぶ。一つ二つと、わずかにずれつつ、置かれた白黒の石に触れた手の跡が、うららかな春の日差しに浮き上がるようだった。
 オセロの手合いに、よほど差があったのか、四つ角を占拠する白の他は、黒の石がほぼ全てを占め、もう打つべき石のなくなった場所には、花飾りのヘアゴムが置かれていた。
 白石の代わりにオセロ盤に根を下ろしたヘアゴムは、くるりと二重巻きになり、それはちょうど指の太さほどの輪っかで、子どもらしい憧れと遊びの婚姻のようだった。
 オセロ盤は鏡合わせの机の、三分の一ほどを占めている。他は、ほとんどが菓子のゴミで、恐らくはオセロを楽しみながら、それらを口に運んだのだろう。開け口は、広く空に向かって、開かれている。花のように咲いた、菓子群の空き箱、空き袋は、死んだ学舎で唯一、人の息吹を感じさせた。
 チョコレート、サラダ味のスナック、焼き菓子、ポテトチップス、ラムネ、グミ、ガム、赤いパッケージの炭酸水。多くが食欲を増進する赤色で、チョコレートにはリラックス効果と書かれた文字、高級感を漂わせる深い青に、金色の縁取り。ひっくりかえった空き箱には、迷路となぞなぞの印刷がされ、解答は箱の底面にあった。
 ここにいた誰かは、果たして、何日ほど、この学舎に留まったのだろう。或いは、何時間。
 彼女たちが使った机の他、約三十の机と椅子が注目を集める黒板には、その昔、春が訪れる頃、また夏が始まる季節、また年の瀬に、恒例的に行われたであろう、落書きが、そう小さくない黒板の面積、その全てを埋め尽くすように、白、黄、赤、青、緑、五色のチョークを色鮮やかに使い、花、星、海、希望が描かれていた。
 右端に、最後に書き込まれたであろう文章が、小さく、しかし、色とりどりの落書きに劣らない存在感で、残っていた。
『わたしたちは元気です』
 かつて来て、やがて去った、人のぬくもり。力尽き、朽ちようとしている学び舎に、遠く旅した誰かが書き残した、ほんの小さな一行が、確かにそこにあった。
 白い花、けっして枯れることのない花が、世界を飲み込む直前、その刹那、奇跡を願った人類の、最後の足跡として、私はそれを記憶する。
 春の午後のこと。やがて天気は移ろい、雲が雨を連れてくる。砕けた硝子の突端が、雨下する滴を受け止め、光る。雲は空をわずかに染めて、降るのは細かな天気雨。狐の嫁入りとあだ名された雨の下、こぼれる空の青さが、無人の春を慰めた。

 夕立が、降っていた。
 滅び、打ち捨てられた古代都市の如き入道雲の直下は、夏の熱気すら雲散する雨の帳であった。空間を埋め尽くす弾幕の嵐。こまやかな針のように、雲霞の壮麗な肉体からこぼれおちては、地面を濡らす。
 砂浜には、大地が貯え損ねた水が、川となっていた。白い砂の上に、身悶えするように蛇行する、水の色の蛇は海へ、海へと流れ込む。乱立した水の蛇は離れ合い、集い交わし、砂浜の自在に切り分ける。白い洲が現れては、別の蛇に侵食され、肥え太った蛇が大きく砂を削り取ると、そこには真新しい砂の島が出来上がった。
 それらはまるで、砂浜に刻み付けられた一対の足跡を消すために、そして、砂の土地を移譲し合っているように思われた。
 足跡には水が溜まり、白の帆布の上に、永遠に刻まれた鏤刻のようであったが、華奢な少女の足の薄さの半分もないそこでは、ある一定水が溜まると、堰堤ははかなく、足跡はくずれた。
 海岸線に沿って、舗道が紆余に敷かれていた。歩道と車道をへだてた段差には水が溜まり、暗渠へと流れ込む水は、かなしい魔獣の叫びのように、号々と音を立てた。下水はなんなんと雨を飲み込み続ける。アスファルトに浮いた脂は、虹色のマーブル模様を描き出し、それまで清い、透けた色をしていた水は、排水口に飲み込まれると同時に、黒く腐食する。濃い夕立の帳の中、路の灰色は一層暗く、小暗い暗渠の道は殊更に陰鬱な色を見せていた。
 息苦しいほどの密度で降り続いていた夕立が、ふっと軽くなった。雨の色が目に見えて明るくなり、雲が西へと流れていく。西の方角には海があり、神の定めた方程式のように、真っ直ぐに引かれた水平線へ向かって、後退する。
 やがて、雲の全てが水平線の向こうへ引き下がると、まん丸の熱源が、ぽっかりと海の上に浮かび上がった。血の紅を海に注ぎ、太陽は今再び、夏の夕暮れに熱を流し込む。
 雨の上がった舗道は、むんむんと湯気立ち、世界は青と橙を交互に染めた空に覆われる。
 そして、緋色の太陽の影になったその場所に、したり、したり、と雨音を滴らせ、二足のローファーは置かれていた。
 合皮の皮が剥げ、でこぼこ模様を浮かび上がらせた一対と、よく手入れされ、馴染んだ脂が、玉になって水をはじく、もう一対。傍らには、色違いのスカーフがずぶ濡れのまま、脱ぎ去られて、寄り添い合っている。
 コンクリートブロックを並べて建てられた、直方体の形のバス停。時刻表には、一日にたった五本の運行が記されるのみで、ここに靴を脱ぎ去り、消えた彼女たちは、どこへ消えたのか。
 アスファルトから立ち上る陽炎を映して、映像は終わる。
 私は、私の領域として設定された仮想電脳で、くるりと宙返りを打ち、夏の映像をあるべき所へ投げ返す。整理番号、那由他の知覚外まで飛んでいった映像素子に対して、身体感覚を拡張し、棚でまるごとデータを受け止めた。棚の空いたスペースに向かって、針の穴を通すような投擲をするよりも、この方が確実だった。
 ここは、国連古文書管理事務局、永続的映像保管事業の電子サーバー。あらゆるインターネットにリンクし、そこへ投稿された動画を魚拓のように吸い上げるのが、ここの仕事だった。仮想電脳に取り付けられた丸窓は、いつも銀色に光り、そこだけが無性に明るい。写真の現像室を思わせる資料室は、いつも真っ暗で、動画を取り込む窓だけが明るかった。銀盤は生き物のようにうごめき、形を変え、色を変え、外の世界を映す鏡のようでもあった。窓の向こうで何かが動いたと思うと、水銀がゆらめき、パステルカラーに染まる。淡いピンクや青に始まり、泉の湧水が光を受けて、何色にも変化するように、データはやってきた。窓から取り入れられた動画は、百万年の後も、人類の営みを後世に残すという目的で集められている。
 改ざんも、編集もなく、あるのはただ上書きのみ。編纂の歴史すら記録する博物館。
 私の名はティフォン。その博物館の館長だ。勿論、それは比喩であるし、名前はある小説から取られたことを、私は知っている。博士と呼ばれる誰か。私は彼女の顔を知らないが、彼女が私の名付け親だということだけを、確かに記憶している。
 私は送られてきた動画を、棚に収める自動機械だ。永遠に続くかと思われる時間の中で、私は、映像を眺め、ある一つの真実を受け止め、悟っていく。
 人間が最後に、このサーバーに介入したのが、およそ千年前。インターネット上に、一日あたり、一兆時間もの動画が投稿された時代を越えて、私が保有する動画と、その延べ再生時間は、もう更新されない。
 可能性は二つ。サーバーが隔絶され、この仮想電脳が孤立していること。その場合は、銀の窓がいまだ光を放ち続けていることに疑問が残る。
 もう一つは、人類が滅亡した可能性。私は、こちらの案を目下、採用している。直前に見た二つの動画が指し示すように、例え人類が生き延びていても、かつての文明を維持できず、野生に近い状態にまで還っていると考えられる。
 どちらにしても、ここに収められた動画が顧みられることはない。
 百万年の耐用年数を、ただ擦り減らす。
 だから、私はどれほどあるか知れない動画を眺め、博士の横顔を探す。顔も知らない彼女の映像が、このどこかに隠れているかもしれない。名付けた彼女は不幸だろう。
 私は百万年の時間のために、私と彼女のかすかな因縁を、運命と上書きした。
 時は、神へと捧げる供物。博士が私に生きがいを与えるのなら、やはり彼女は神なのだから。

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