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言葉の農夫へ 「生から日常を駆逐せよ」

  月曜日から金曜日までPCをカタカタと打ち、適当な食事を摂り、通帳に刻印された数字と睨み合い、誰それからの連絡を待つ。それが私の日常である。
  どこにでもありふれた日常である。

  そして訪れた土曜日の午後、私は昼食を摂ったあとの身体の重みに心を委ね、自分の生き様や自分の「日常」について、じっとり考えていた。

  ・・・日常が即ち「生」ではないのだ。私は日常にかまけて、それをすっかり忘れていた。日常の中に如何に「生」を組み込んで過ごすか、恐らくその難しさに現代人特有の苦悩は集約されるだろう。(だからマインドフルネスが流行るのだし、手作り料理を極める人がいたりする。)さて本題に立ち返る。私本来の「生」は一体何処へと搔き消えてしまったのだろう?そしてこの問いは思わぬ不安をも引き寄せた。私の「生」が遠のき、私から浮遊しなおざりにされるほど、「死」の概念も同様に遠のき、或いは相対的に抑圧されていく。その代償はきっと大きい。ぱんと弾けた抑圧が心の底から私の意識へと浸水し、やがて計り知れない死の恐怖として、晩年を襲うのだろうと。

「死」が「生」を誠実に全うした者に訪れる、最期の抱擁だとしたら。
「死」が日常にかまけて「生」きることを忘れた者にとっての、最期の罰あるいは悔恨だとしたら。

  私はタナトフォビア(死恐怖症)である。「余命」「不治の病」‥(これ以上は書くことすら怖ろしい。)そういった言葉が目に飛び込んでくると、すかさずそこから目を逸らすか、ネットであれば瞬時に非表示設定にする。そんな私が、何の為にこの人生を生きているかと問われれば、迷わずこう答える。「自分の最期に納得する為です。私は"それ"を受け入れる為の準備態勢を、生涯を懸けて整えているのです。」

  自分の死を納得し受け入れるにはどうすれば良いか。それは冒頭に記した「”日常”というせわしなさに甘んじることなく"生"を踏みしめること」に他ならない。私の思う"生"とは、朝陽の眩しさに目を覚まし、野菜の感触や繊維の流れに注意を払いつつ丁寧に調理をし、食事をし、陽が高くなれば木の実を集め、畑を耕し、陽が落ちるころには夕食を摂り、夜は布団の中で"生きているということの不思議”に思いを馳せて眠りに落ちる。そんな一日のことである。
  生きる、というたったひとつのことに、注意を集中させること。生きることの本質に耳を澄ませて行動すること。

  突然だが、私は宮沢賢治の詩が好きだ。農業という究極の現実と生涯寄り添った人。詩を彩る豊穣な想像力とその煌めきが、「飯を喰う」という現実の前であっさり敗北してしまうその様、その諦念やリアリズムがもたらす哀愁(としか言いようがない)が好きなのだ。
  これこそが「生きる」ということ。

  ・・遡ること紀元前。秦の始皇帝は、私と同じように自らの「死」を恐れていた。それはもう、どこまでも恐れていた。民の征服、焚書坑儒、儒家の生き埋め。一方では、自分の遺体が奪われないよう、生前に制作させた墓に水銀の河を流した。そして多数のしもべを使い、不老不死の薬を探させた。その生涯は、およそ本来の「生」とはかけ離れた始皇帝なりの「日常」だったのではなかろうか。結局、彼は49歳で客死した。これでは生の充実も何もない、と私は思う。
  (ちなみに元の皇帝フビライもタナトフォビアだったという。)

  結局「死」の恐怖を乗り越えるには、「日常」というモヤを振り払い、自分自身の「生」の在るべき在りようについて、試行錯誤を重ね、生涯を懸けて模索していくしかないようだ。ならば、まずは「命」を知ることからか?よし作物でも育ててみようか・・・。けれども、ここに想いを綴ることだって、自らの畑を耕すという意味では立派な耕作ではないかと思う。私はそう信じてこれを書いている。

  言葉の農夫になりたいな。