「記す」理由 その1

昨年末に掲載された岐阜新聞『素描』。
年末から年初にかけて9回分アップしおえました。

岐阜新聞は県内でしか読めそうにないこともあって
友人のうちの何人かの人なら、
興味を持ってくれるのではないかと思い。

アップしたらしたで
読んでどう思われたんだろうと
かなり気になるけど
感想を聞くのは怖いもので
誰にも聞けない。
そんな自分がおかしいです。

何年生きてきても、
表現することの葛藤っていうものは
無くならないものですね。

でも書いておこうと。
そう生きてきてしまったし。
今更どうした、です。

今回の、突然舞い込んだ新聞への執筆依頼。
その大ごとに最初はかなり怯みました。
私にとってはとんでもなく大ごとで
もちろんすぐに断ろうと思いました。

3週間前に打診されたというのも、
9回の連載を果たして書けるかどうか大いに疑問で。
引き受けてしまったら、自分を追い込む日々になるのは間違いなく。
生業が繁忙期と被るのに大丈夫なのか。
それに、
そもそも
『新聞に公開してまで書く必要があるものがあるのか』
ということが大いに疑問で。
そんなものあるわけないと、即座に思ったし。

一旦、考え直すと、
いや、一つだけ。
書いておいても悪くはないと思えることがありました。

この十年間、
移住後に出会った仲間
私にとっては
この地で生きていけることになった恩人のみなさん
と一緒に
コワーキングスペースという場作りをしたことでした。

そして、それをいろんな人が使ってくれて、
人の活動が生まれたこと。
それはとんでもなく刺激的で
驚くことが多かった。

これについては特異なことだったのではないかと
記録しておく意味がないわけではないのではと思えました。

そして
その始終を書き記すことができるのは、
間違いなく自分しかいないとも思いました。
それでやっと
引き受ける気持ちになりました。

それでも、書き始めると、
心がぐらぐら揺れました。
あ、やばい、
今週はもう書けないかも知れない‥と
弱気になること毎回。

そうなりながら
もともと横着な性分で
自分が不安になることや
未経験のことにぶち当たると
だからこそやってみたら面白いんじゃないかと
そんな風に思う質です。

こうしてひとつ
納得できる理由を見つけて
書くことにしました。

それでも「9回書き切れる」かどうかわかりませんでした。
ただ
こう思いました。

人生には不慮の死ということは受け入れるべきことで、
だからその点は
無責任に突っ走っていいんだろうと、
その都度開き直って
最後まで書きました。

こんな風に
今までしっかり考えることのなかったことを
いろいろ考える刺激的な2ヶ月でした。

よかったです。

特に強く、心に残ったことは
「記す」ということの意味を
じっくり考え直す機会になったことでした。
「自分という個人が記す」ことの意味を
一点だけ明確にすることができました。
それは生きていることの理由の一つでもあるのだとわかりました。

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