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人には人に言えない壮絶な人生の経験がある。決して誇らしくは語れない。でもその先に待っている人生の輝き。それが私の人生。。🥺💘

今から十数年前私はある児童養護施設にボランティアにいった。
別に誰に頼まれた訳でもなく、その当時、なぜそこに行ったのかその理由を今考えてもよく分からない!

ただ分かっているのは当時私は心を病んでいたということ。
それまで30年夫と連れ添い、その間夫の浮気は止むことなくまるで蝶が花から花へと移っていくように浮気を繰り返えされた。

私の心は休まることなど一度たりとてなかった。いつも悔しい想いとその想いを納める場所が心のどこにもなかった。

おまけに夫の両親との同居。毎日6時間の家の掃除。
朝9時から午後の3時まで毎日掃除を18年間。娘が高校を卒業するまでした。

掃除が終わると直ぐ様買い物に出かけ、5時きっかりに入浴♨️する舅のために風呂を沸かす。今はボタン1つで風呂は簡単に沸く時代だが当時はある時間で止めてお湯を撹拌するという作業が必要だった。

そして5時半きっちりに夕食の舅。お酒は熱燗で一本半。最後は必ず果物のデザート。それが姑のルーティンだった。

姑はと言えば、それまで住み込みの女中がいたので自身の化粧バッグ以外に重たいものも持ったこともなく布団の上げ下ろしさえしない人だった。

女中が辞めてからそれらがすべて私の仕事になった。そうやって私は舅姑に28年間努めた。

話を戻すが、そんな状況で当時私は浮気が発覚しても誰にも言えずただ悶々とする日々の連続に耐えてきた。

30年間辛抱し、最後に夫の母を見送り、私の頭を押さえる人間もいなくなって私はそれまでの縛りから解放された。

それからの人生は夫の海外の出張にも付いていくようになり、そこで驚いたのはその出張先の自宅のマンションに夫が出張の度に女性を寝泊まりさせていたことが分かった!

滞在中、何度も無言電話が鳴り、夫はそれが誰か分かっていた。そう、愛人である。

それが行く度に無言電話が鳴り、数ヶ月が過ぎた頃、私が受話器📞を取るとたどたどしい日本語で『貴女、奥さん?私○○です!』

その名前はかつて何度も聞いたことのある夫の一番のお気に入りだった愛人の名前だった。別れたと何度も聞かされていたのに実は全く別れていなかったのだった。

こともあろうことか、この私が今そこに寝ているベッドに夫と一緒に寝ていたのである。

許しがたい屈辱!

それまでなんとか収めていた悔しさや憎悪、怒りが一気に爆発した!

その後、私と夫は夫の浮気問題で一年近く喧嘩した。
無論海外にあったそのマンションは総改装。あるものすべて捨てた!

二人の喧嘩は壮絶で身も心も磨り減らした。私は精神的に不安定になり、心療内科に通っていた。診断は躁鬱病の鬱状態と言われた。

当時一人娘は医者になっていたがそんな私たちを見て耐え難かったようで離婚を勧められた。娘だけじゃなくても回り全てに離婚を勧められたのである。

私も決心し、この夫からある程度の財産を分与して貰い、夫の友人を証人に総額1億円を払えと云って承諾を取っても、その友人が帰ると話をすり替えてなぜか不思議と離婚を承諾しないのである。

当時は我が家もまだ潤沢と言えるかどうかは分からないがそれなりに財産があったから、1億という話がでたが、夫は私に愛情があるのではなくただそのお金が払いたくない。その理由だけで離婚をしなかったのだと思う。今ではそんなお金、我が家にはある筈もなく、そんなことあったっけって笑い話になる程更に時を重ねた。

当時は目が覚めると憂鬱で中々布団から出るのも、それよりなにより身の置き場がなく、夫を観ると悔しさと腹立たしさが募った!

まるで二人の喧嘩は昔『ローズ家の戦争』というアメリカの映画があったが、正にあのような熾烈な争いを経験した!

お互い憎き存在になり、酔って私を階段から突き落とそうとしたがさっと身を交わしたので反対に夫がその勢いで階段から足を踏み外し救急車騒ぎをしたこともあった。無論軽傷だったが普通の喧嘩の域を越えていた。

ある時は警察まで我が家に来る事態になり、近所でも好奇な目で見られ訝しがられた!

というのもあんなにも激しく喧嘩し、その声が近所にまでとどろき、次の日にはまるでなにもなかったかのように夫婦が仲睦まじく腕組みして歩く姿はさぞや稀有に映ったことだろう…。

今では笑い話であるが…🤭

そんな私が児童養護施設に申し出てボランティアを数ヶ月させてもらった。

当時施設は立て替えたばかりで新しく明るい建物で30名?程の下は何歳だったか忘れたが18歳(高3)までの子供たちが共同生活を送っていた。

当時の私の仕事は主に職員が中々手が回らないトイレ掃除と6人部屋の子供たちの部屋の掃除とベッドメイキングだった。
子供たちは皆明るく、外見そとみは普通の子達と何ら変わらない。

でもふとした時の表情に影がみえるのである。みな、何かしらの問題をかかえてここに来ているのである。

親がネグレストで育児放棄してここに来ている兄弟。はたまた離婚して父親が引き取ったが育てられなくてそこにいる中3の男の子。

その日はたまたま土曜日でお父さんが夕方迎えに来るというので楽しくて笑みがこぼれっぱなしで事務所の職員と楽しく会話していたところに電話がなり、お父さんが来れなくなったという。男の子の顔は一瞬で曇り、扉をおもいっきりバタンと閉めて走っていった。
私はそれを見て驚いているといいこなんだけどねぇと職員の方がぽつりと
言った。

ある時、部屋を掃除してベッドを片付けていると、布団袋の中にありったけのオモチャやそのこのお気に入りが詰め込まれていた。そのベッドの男の子はまだ小学校の低学年。まだまだ母親に甘えたい歳。それを見つけた時、言葉を失った。そして涙が止まらなかった。私にはそのこがどのこかは分からなかったが、でも、子供の気持ちになった時、夜が寂しくて辛くて、布団袋にものを隠す心理を深く理解することはできなかったが、皆、そこにいる子達はなにかしらの問題を抱えているのを肌で感じた。

ある子はモノを片付けられない。それだけじゃなく、ノートのマスの中に字をおさめられない。つまり、書き文字がマスや行から大きくはみ出してしまうのです。専門用語ではそのことを、ディスグラフィアというそうです。

私はその時、世の中にはさまざまな環境や生い立ちがあり、如何に自分が幸せの中にいるかその時痛感し、とても貴重な体験になり、それまでの夫と私のことなど、取るに足らない問題だと気づいたのです。

そんな夫でしたが、浮気をすること以外は人として人の上に立ち、経営者としてまた教育者として人のトップに立ち、その仕事振りは一人の人間として尊敬できるところがあり、だから今まで夫婦をやってこれたのだと改めて認識した。
夫婦は長い間に山あり谷ありの人生で色々経験しなくてもいいことまでたくさん経験してきたが後悔はない。

次に生まれ変わった時はもうこんな亭主は懲り懲りだけど、たくさん余計なことまで今世学ばせてもらったことは感謝に値するかもしれない、たぶん⁉️。。。🥺💘

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