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エリートでないと幸せになれない⁈

息子には、大らかで自由に育って欲しいと思っていたが、私の本当の願いは「エリートになって欲しい」だった。

妊娠中に砂糖を取ると胎児の脳に良くないと本に書いてあると、甘いもの命の私が一度たりとも甘いものは口にしなかったし、毎日お腹に向かって読み聞かせをした。

生まれてからは七田式をやり、ナーサリーという幼児教室にも入れ、英才教育の真似事をした。

とにかく完璧な子育てをして、私の理想の子供に育てたかったのだと思う。泣くとすぐに抱き、泣き声を聞きたくないからずっと抱き続けた。息子のことが気になって気になって仕方ない。本来なら大らかだったかもしれない息子が、私の過干渉によって繊細になったのかもしれない。

人は千差万別で、いろんな幸せがあるし、幸せはその人の心が決めるのに、私はこうでなければ幸せではないと決めつけ、自分が親にされたのと同じことを繰り返していた。

息子が育てにくかったのは、こだわりが強いからである。自分の中で決めていることがその通りにならないと、大変なことになった。

たとえば、パジャマのボタンはどんなに時間がかかっても自分でとめる。私が手伝わないと一生できないので、わからないように手助けしたが、手を出したことがわかると大騒ぎ。なので、部屋を暖め、私は退屈しないように本を持っでそばにいた。手助けしても、1時間はゆうにかかったが、諦めることなくやりとげた。

今になればその粘り強さは素晴らしいことだと思えるが、未熟な母親だった私は面倒くさいと思ってしまったし、いつも私の後を「ママ、ママ」と追う息子は私を束縛する存在としか思えなかった。

子供と過ごせる時間は人生のほんの一部。子供ほど全面的に母親のことを好きでいてくれる存在はいないのに、私は疲れていた。

だが、幼児の時はほとんどすべてのことが私の目に入るのので、身体は大変でも心の悩みはたいしたことなかったと、後になって知ることになる。


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