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夜からの手紙 ~月と陽のあいだに 外伝~ 

ハクシン(6)

 成長するにしたがって、私はますます歪な娘になりました。知識を詰め込む一方で、自分には実感できない感情すら上手に演じられるようになったのです。そして十二歳になる頃、性について好奇心をかき立てらるようになりました。書物で読んだ強烈な感情を体験してみたくなったのです。

 私の興味の対象になったのは、アンジュという近衛士官でした。
 初めて私の護衛についた時、アンジュは二十歳になったばかり。私を年の離れた小さい妹のように思っていたのかもしれません。護衛はもちろん、図書館で一緒に本を探してくれたり、時には話し相手になってくれる真面目で優しい青年でした。

 その日、私が図書館で探していた本は、書架の一番上の段にありました。手が届かなかった私は、アンジュを呼びました。背の高いアンジュは、伸ばした手を途中で止めました。私が欲しかったのは組本の中の一冊で、どれを取ったら良いか迷ったのでしょう。アンジュは、私の手が届くように、逞しい腕で抱き上げてくれました。
 目当ての本を掴んだ私をそっと下してくれた時、私の鼻がアンジュの胸に触れました。今まで知らなかった匂いが私の鼻の奥をくすぐりました。
 私はアンジュの腕を引いて屈ませると、「ありがとう」とささやいて頬にくちづけしました。
 アンジュの体がビクリと動き、耳が赤くなったのがわかりました。その反応が面白くて、それから私はわざと高いところにある本を求めるようになりました。

  初めは照れていたアンジュも、そのうち耳元を赤く染めることはなくなりました。つまらなくなった私は、ある日いつものように抱き上げてくれたアンジュの首に手を回すと、その唇に自分の唇を重ねました。あどけない頬へのくちづけとは違う、女のくちづけでした。
 驚いたアンジュは、私を床に下すと直立不動の姿勢になりました。
「私のことが嫌いなの?」
 アンジュの胸にそっと頬を寄せてささやくと、困ったように体を硬くしたアンジュは、いいえと答えました。
「私はあなたが好きよ。ずっと前から好き」
 私はアンジュの腕を引くと、背伸びをしてもう一度唇を重ねました。
 熱い吐息と一緒にアンジュの体から力が抜けて、長い腕が私の体を抱きしめました。私たちはそうして抱き合ったまま、何度も唇を重ねました。やがてアンジュは、夢から覚めたように私の体を離しました。私も黙ったまま本を抱えなおし、杖をついて次の書架へと歩き出しました。
 そして私たちは、何事もなかったように宮へ帰って行ったのです。

 そのあと私は、図書館へ行っても高い書架の本を探さなくなりました。
 けれども私もアンジュも、あの日のことを忘れたわけではありませんでした。むしろ知らぬふりを続けるうちに、互いの心の中に少しずつ熱が貯まっていき、やがていっぱいになった熱量は弾けて、激しく互いを求めあいました。昼下がりの人のいない宮の片隅で、私たちは抱き合い激しく深いくちづけを繰り返したのです。

 そんなことが何度かあった後、アンジュは皇帝陛下の近衛に転属になりました。そして「目と耳」と呼ばれる陛下直属の密偵の役割も担うようになりました。
 転属と同時に、アンジュは同じ譜代の家臣の娘と結婚しました。それを聞いたとき、私の胸はちくりと痛みましたが、すぐに忘れました。それは、後日あなたと叔父様の婚約を知った時の、やり場のない不快感とは全く違うものでした。アンジュとの関係は、私にとって興味本位のものに過ぎなかったからです。
 新しく着任した近衛士官とは、密かな時間を持つことすらありませんでした。新任の士官はアンジュほど美しくなかったし、よい匂いもしなかったからです。

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