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月と陽のあいだに 229

落葉の章

ハクシン(10)

 白玲は、力が抜けたように椅子の背にもたれて、ぼんやりと空を見つめていた。隣に座ったシノンがその手を握った。そんな二人を守るように、ナダルがじっと立っていた。

 広間に満ちていた淡い光が赤みを帯びて、窓際に置かれた香炉の影が、長く尖って床に伸びた。
「私、信じたくなかったの。ハクシンが私を嫌っていること」
 ようやく我に返ったように、白玲がぽつりとつぶやいた。
「私はハクシンが羨ましかったわ。美しくて賢くて、立派なご両親に愛されて、私の欲しいものをみんな持っていたから。輝陽国から身一つでやってきた私は、お祖父様の庇護に頼るしかなかったのだもの。
 でもハクシンは、そんな私と仲良くしてくれた。長い時間、一緒に本の話をしたわ。それがとても楽しくて、嫌われているなんて思いたくなかった」
 白玲は、ほっと大きなため息をついた。

「ハクシンとアンジュが言ったように、私の出自やお祖父様の庇護を快く思わない人がいることはわかっているわ。でもね、それは夫やお腹の子には何の関係もなかったわ。ばちが当たるなら、私だけでよかったのに……」
 白玲の大きな黒い目に涙が盛り上がって頬を伝った。

「ネイサン殿下のことも、姫宮様のことも、トーランのことも、白玲殿下に何の罪もありません」
 口を開きかけたシノンを制するように、それまで黙っていたナダルが言った。
「コヘル卿が貴州府陽神殿におられた殿下を見出され、月蛾国このくにへお迎えになるように陛下に進言なさった時、陛下は念を押されました。『白玲が、誰かに嫁いで子を産むことが幸せだと思うだけの娘なら、このまま輝陽国あのくにに置いてやろう。月蛾国このくにに来れば、良いことよりも苦労の方が多かろうから』と。
 それでもコヘル卿は、殿下をお迎えするよう、陛下に強く勧められたのです」
ナダルは息を継ぐと続けた。
「陛下は、アイハル殿下のことを負い目に感じていらっしゃるかもしれません。けれども、それだけで白玲殿下に目をかけられるほど、甘い方ではありません。
 タミア卿やネイサン殿下に師事することや、官吏になることをお許しになったのも、殿下が将来この国を背負って立つ一人になるとお考えになったからでしょう。陛下が臣下に地位を与える時の基準は、ただ一つ。この国と民のために役立つかどうかです。
 殿下がご自分を卑下されることは、殿下をお認めになった陛下を貶めることと同じです」

 普段口数の少ないナダルの心からの言葉だった。
「ハクシンの言葉に振り回されてはダメよ。あんな自分勝手な理屈は通らない。愛情をちらつかせて他人を利用して、自分の手を汚さずに人を害するなんて、人間として失格よ」
 シノンが白玲の手を握った。
「あなたは自分にできることをして、お祖父様のお気持ちに応えなさい。私たちはあなたの味方よ」
 白玲は頷いて立ち上がると、シノンの肩にそっと頭を寄せた。そんな白玲を、シノンがそっと抱き寄せた。

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