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昼の月

 2023年の元旦を迎えた。
 ここ南関東は、年末からずっと穏やかな晴天が続いている。掃き清められたような昼下がりの青空に、白い半月が浮かんでいる。
 今年も、一人で散歩をした。私の住む街は開発住宅地。計画された道路に、同じような広さの土地。似たような家が行儀良く並ぶ。
 その街の周りを緩やかな里山が囲む。雑木林と小さなせせらぎや、トトロが出てきそうな小道もある。
 散歩の目的地は、里山の中にある小さな神社。古くからここに住む人の家並みの間に燻銀色の鳥居があって、その奥に細い登りの石段が続いている。この神社の御神体は、男性の象徴をかたどっているという。氏子の家に嫁いだ嫁はこの神社に参詣して、子宝に恵まれるように御神体に触れるのだとか。たまたま知り合った氏子である旧家の奥方から聞いた話だ。
 私は子宝を願ったわけではない。もし神様がおわすなら、ささやかな夢が叶うように、新しい物語を紡ぐことができますように。他に詣でる人もない、雑木林の中の神様にお願いする。昼下がりの月のような淡々あわあわとした願いが、私の暮らしを彩る。

 子育てや仕事から離れると、日常は一層平坦なものになる。大晦日も元旦も他の日も、自分で区切らなければ何の変哲もない同じような一日になる。季節の行事にことさら拘るのは、そうやってなんとなく流れていってしまう日々に、楔を打ちたいからだ。
時間を、ただ流れるままにしてはならないと、自分に言い聞かせるためだ。
 日々は過ぎていく。私が諦めようと、もがこうと、そんなことにはお構いなく。だからこそ私は執着する。私がここにいることの意味に。
 新しい区切りの一日、心あらたに今日を生きようと思う。

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