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わたしたちは生きていたい


体の不調は脳の酷使。
心の不安は体の酷使。
脳の不全は心の酷使。

今日考えてるのはそんなこと。

今、欠けてることは何かな?今、さぼってるやつは誰かな?今、話を聞いてあげられるのは、誰かな?相談しよう。わたしはわたしを機能させたい。それで、聞いてもらいたい話があるよ。見てもらいたい自分がいるよ。どうやったら、わたしのなかみを全部、ここに、あるようにできるかなあ。

「わたしたち」の世界はつながっている。
ここを開いて、もっと他の誰かとも共有できたらとは思うのだけど、ずっと怖くて閉じこもっていた。
「わたしたち」の関係を、理解してほしいわけじゃない。
だけど、それを理解してもらうことが、一番の近道かもしれないとも思う。

きっと、誰か、何か、同じものが、見えているひとはいるんじゃないかと、思うのだけれども。どう働きかけたらいいんだろう。

わたしたちはわたしたちだ。誰に認められることが無くても。それで生きられないなら構わない。だけど、同じように世界を混ぜられるものが、もっとあるならば?現実とわたしたちをつなげる方法があるのなら?生きたいよ。わたしたちは生きていたいから、開いていく。あるいは、閉じたままでつないでいくこともできるのかもしれないから、保っておく。わたしたちは可能なら、「非現実の側」にいたい。つなげることができないならば。その時の、覚悟ならできている。つながる世界があるのなら、その方が、ちょっと覚悟がいる。

まだ、言葉にすると真実味がない。言葉にすることをわたし自身が嫌がっている。わたしにとって最も真実に近い形で伝えることができていない。
何度でもアプローチします。
わたしたちには後が無い。だけど、「わたしたち」を表現する方法がまだ分かりません。


なおくんがいる。
なおくんは、わたしたちが世界を共有していることを示したような存在だと思う。なおくんの存在も、うまく説明することができない。

いろいろなおくん。

わたしの向かいたい一つのイメージを、現している気がしたんだよ。
ね。きっと誰かが出会ってくれると、いつも信じて歩き出す。

「わたしたち」は「わたしたち」だから、切り離されずに生きていたい。
ボスはボスだし、なおくんも、みんないるけど、わたしだし、わたしじゃない。共同体のような何か。きょうどうたい。ことばはへんだね。わたしたちはわたしたちでしかない。

ひとりぼっちがあつまっても、何人いてもひとりぼっちだ。ふたりならふたりぼっち。さんにんでもさんにんぼっち。
だけど、もっとたくさんのひとりぼっちが集まったら、その先に、別の未来があるのかな?「居場所を持たないままで居ていい場所」になりたい。わたしは「まだない教科書」になりたい。町になりたい。芸術でいたい。季節をしらせる風がいい。

ひとりぼっちでもいいんだと思う。
わたしたちはわたしたちだけど、ひとりじゃなくならなくていいんだと思う。
世界は重なっていくけれど、わたしたちは、同じにならなくてもいいんだと思う。たくさんの「わたし」と「わたし」で、世界は「わたしたち」になっていく。

あなたともなかよくなりたい。


恐れ入ります。「まだない」です。 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 サポート、ありがとうございます。本当に嬉しいです。 続けてゆくことがお返しの意味になれば、と思います。 わたしのnoteを開いてくれてありがとう。 また見てもらえるよう、がんばります。