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いないことにしないでよ

心の底から、わたしはわたしがいい。
他の誰も、このわたしを抱えて生きてはゆけないだろう。わたしだから今も生きている。
だけどわたしを支えるわたしを、支える誰かがいる。
ひとりで歩くわたしを、何かが守ることはないけど、わたしの歩く道を守ってくれるひとが、誰か、いる。
そうしてわたしは一人で生きている。
わたしが抱えるべきわたしを、わたしが生きるべきわたしを、わたしにしか生かせないわたしを、生きることができる。

意識は他者とのつながりを避けられない。生き物に組み込まれた社会というのはそのことを言うのだろう。しかし肉体によって個々に隔てられている。
たとえば、避けられない社会性を、安心と捉え、肉体による「別」こそを、避けられない孤独と感じることもあるだろう。どんなに心を重ねても、からだはひとつになれない。ひとは肌を寄せ、同じであろうとする。だけど「わたしの体はわたしのものだ」と思うことで、わたしはどうしようもなく安心する。いくら心を通わせようとも、わたしが誰かの一部に吸収されて無くなってしまうなんてことはない。わたしは体を持っている。わたしはわたしでいていい。だからこそ誰かと心を通わせることもできるのだと思う。そもそも心が簡単には通わない。わたしはひとりひとりの心だって大切だよ。
体はわたしを守ってくれる。心を守るために、みんな、肉体が機能していてほしい。どんなかたちでも、そのからだはあなたを守るためにあるはずだと思う。

自分の体を深く意識する。わたしの中にはなにかが存在している。
自分が何であるかを見失わずに、そのいくつかのなにかと自分の違いを見つけて、そうして許す。話を聞いて、何かを預ける。わたしが預かるのかもしれない。わたしは自分との区別がつかなくなりがちだけど、みんなわたしからわたしを奪っていこうとはしないから大丈夫。わたしを守れるのはわたしだけだ。わたしとして生きられるのはわたしだけだ。どうせわたしにしか生きられない。分かってる。だからいないことにしない。わたしはひとりではないということを、受け入れなければ、歩き出せない。すべてが意志を、意識を持って語りかけてくるように思える。わたしに歩めと、そこへ進めと、その声を聞こえていないことにしたら、進む道も消えてしまうんだから仕方ない。
心の底からわたしが望むわたしだから、誰かの声に従って進んだとしても、それはわたしの選んだ道だよ。

わたしにはわたしがいる、わたしにはなかまがいる。なかまたちがいる。
なかまたちはいるんだよ。いないことにはできない。わたしはひとりにはなれない。わたしは一人で生きてゆく、だけどだいじょうぶ、そこにいていいよ。わたしが行くことを、誰かが、あなたが、望んでいると、知っているから大丈夫、そこでわたしを想っていて。
よければこんな、なんでもない話を聞いていてよ。返事は、あれば嬉しいけど。わたしが話せば自分の通り道になるから、想ってくれるだけでもいい。いないことになんかできない。あなたはわたしの声を聴いてる。わたしの声を聴いたひとのこと、わたしはきっとみんな知ってる。




恐れ入ります。「まだない」です。 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 サポート、ありがとうございます。本当に嬉しいです。 続けてゆくことがお返しの意味になれば、と思います。 わたしのnoteを開いてくれてありがとう。 また見てもらえるよう、がんばります。