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夜逃げみたいに行ってしまわないで

散歩でいいんだよ。

あの道を歩きたいなと思い浮かべたのは、もう去った場所のことだった。今暮らしている町じゃない。
ふと浮かんだ別のイメージも、また離れて久しい場所だった。
後ろ向きな気持ちではない。暮らしていた時に抱いていたのは明るい気持ちだけではなかったはずだ、懐かしむ、愛しむように思い浮かべたのが新鮮で嬉しかった。
書くことというのは、現在地の分からなくなる行為だとしばしば思う、これはわたしの気持ちじゃないと思う。
それは実際誰か他のひとの気持ちに触れて出て来る言葉であることもあるのだろうし、だけど過ぎた自分の心を話している時もあるんだろう。
本当に過ぎたかな。
まだそこに居るのかな。

ゆうべ感傷を愛したかと思えば今日は案の定新しい季節に胸が躍るような気持ちだ。本当のわたしはどちらかなんてのは答えの無い問いで、だって「その場所」に暮らしていた過去は存在しているのだし、現在暮らしている町だっていずれ過ぎた場所になるだろう。
案外不思議なのだけど、わたしはもっと一つの場所に長くいられない人間なのだろうと思っていた。それがむしろ、ずっとそこに住んで、模様替えを楽しむように少しずつ歩く場所を変えてはいつかすべてを知りたいと思うようである。
それでも実際、離れる時を迎えると、これが嫌なのだ、離れがたいのと新しくなるのが楽しみなのとで葛藤するのが本当に。苦手だと思う。だから感慨を持たずに点々としている方が性に合っているのではないかと思っていたんだよ。

町というのは比喩ですが、ずっと暮らして行ける場所だと思うには、自分に何が必要なのか。「町に何があるか」じゃないんだよね、自分が町に許されるかということをわたしは気にかけたりするけれど、少しずつ行動範囲を広げながら、どこまでも歩いていけるような場所があればいいなと思う。無いものを求めたりしなくても、あるもので暮らしていける生き方がやっぱり好きなのだと思う。
逃げと責められることもあったような気もするけど、そうではないことは自分で分かっている。これがわたしの関わり方でいいんだよ。何度もそこへ歩いていくよ。
こんにちは。


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恐れ入ります。「まだない」です。 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 サポート、ありがとうございます。本当に嬉しいです。 続けてゆくことがお返しの意味になれば、と思います。 わたしのnoteを開いてくれてありがとう。 また見てもらえるよう、がんばります。