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上昇する、脈を打つように歩む


風呂あがりに洗面台の前に立ってスキンケアをする。手のひらに出した少量の化粧水をもう一方の手で広げて馴染ませるのが好きだ。丁寧なスキンケアはあまりしない。毎日素早く顔を洗う。化粧水を使うにしても、多少潤う程度でいい。でも、時々は質感の重いものにも触りたくなる。香りのするものは本当にときどき。好きな匂いは落ち着く。元気がない時はむしろ匂いがしないほうがいい。好きなものは、気分がいい時に取っておく。
湯に浸かって薄ら充血した目と目が合う。ぼんやりした顔を鏡に映して、強烈に幸せを感じる時がある。幸せの実感は日々の中、突然訪れる。

自分で髪を切る。もう数年、当たり前になった。自分の髪の質感が好きだ。髪の色が好きだ。名残惜しいくらいの長さになったら切る。新しい髪型はいつも嬉しい。「自分で切れる限界まで短く」を毎回の目標にする。上達する。頭の形が分かる。髪を洗うのも乾かすのも嫌いな作業じゃないけど、かかる時間が短くなれば清々する。思い立ってやるのがいい。

人から「似合うイメージ」を与えてもらうことが決して嫌いではなかった。しかしそれを受け入れ続けると、選択肢は「自分で選べない人向け」に寄っていく。自分で選ぶことが得意でない人が困らない選択肢が用意されているのはいいことだ。一方で、自分で選びたい人がそうできないのはあまりよくない。でも、すべての人が「全部を」自分で選べる・選びたいわけではない。どっちもある、が、なかなか無い。どっちもあって、「どちらでもない」がやっと選べるのに。
「誰かに選んでもらったイメージを身に着ける」というのも一つの自分の選択だけど、傍から見れば「自分が無い」のと大差ないだろう。
わたしは、ずっと「選べない人」で生きていくわけにはいかなかった。しかし選びたいはずの項目がまだ無い。

人の声が見えると何も選択できなくなる。この世界は、自分で選ぶことを奪うようにできていると感じることが多い。わたしの選択は「反映されない」。わたしが抗っているせいなんだろうか。流れに乗ってみようとしたもののできなかったのなら、自分でなんとかしていくしかない。
ひとはひとと関わらずには生きられないと言う。関わっていくしかないと思う、生きている以上、生きているということから切り離すことはどうしたってできない。
だけどわたしには「それでは生きてはいけない」と言われる方を選んで生き延びるしか、生きる道が無いと思う。
まるで生きようとしていないように見えるだろうか。自ら進んで、生きることに背いているように見えるだろうか。わたしはわたしが生きられる方法を、必死で探しているというのに。
わたしはわたしを失っては生きられない。わたしを失わずに生きるには、それ以外の何もかもを失うしかないのだと思う。

こんなふうにしか生きられない。「こんなふうにしか生きられない」と言わなくても生きていける世界ならいいと思う。
わたしにはわたしがいるから大丈夫。
こんなに身一つで、心許ない姿で、一体何を見つけられるんだろう。それでも今何かに出会わなければ。
わたしは誰の邪魔にもなりたくない。できるだけ僅かなスペースで、なるべく急いで通り過ぎるから、少しだけ、存在することを許して欲しい。

大丈夫、わたしにはわたしがいる。

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恐れ入ります。「まだない」です。 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 サポート、ありがとうございます。本当に嬉しいです。 続けてゆくことがお返しの意味になれば、と思います。 わたしのnoteを開いてくれてありがとう。 また見てもらえるよう、がんばります。