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イルミネーションスターズにとって「ヒカリ」とは? ー私たちは「光」について語らなければならない

イルミネといえば〜? …… 「ヒカリ〜〜!」

だと思いませんか?
もちろん、「仲良し」とか「三角形」とか色々あるんですが。
「イルミネーションスターズ」っていうユニット名とか、「輝きをみんなに届けよう!」っていう掛け声とか、1stシングルのタイトルが「ヒカリのdestination」なこととかを見るに、イルミネってすごい「ヒカリ」特攻型のユニットだなって思うんです。
「illumination」って日本語だと電飾の方のイルミネーションのイメージが強いですけど、辞書を引いてみると一番上に出でくる意味は「照らすこと/照らされること」で!
それってまさに「イルミネ」じゃん!!! って。
今回はそんなイルミネにとっての「ヒカリ」ってなんだろうっていうのを、シナリオイベントを中心に読み解いていきたいと思います。


はじめに

この記事ではイルミネにとって「ヒカリ」とは何かという視点からシナリオイベントを読んでいきます。
その中でシナリオイベントだけでなくイルミネのメンバー個人の共通コミュやカードのコミュの内容にも触れるので、一応ネタバレ注意です!
ただ、コミュを読んでいなくても内容が分かるように説明しつつ、コミュの魅力を伝えられるよう努めますので、イルミネまだあんまり読めてないという方も是非記事を読んで頂けたらと思います。

「ヒカリ」とは「まなざし」である

早速結論から書かせてもらうと
「ヒカリ」とは「まなざし」である
と私は読みました!
だいぶ飛躍した感じがあるのでここから丁寧に説明していきます。
まず「まなざし」ってなんぞやってことなんですが、ここでいう「まなざし」とは「見ること/見られること」を言います。
そして「見ること/見られること」がイルミネにとって「照らすこと/照らされること」として描かれていると捉えていくのが今回の記事です。

イルミネのファンやプロデューサー、イルミネを支えるたくさんのスタッフ達(以下、「私たち」という)がイルミネに向ける「まなざし」がイルミネを照らす一方で、イルミネが「私たち」を照らしてくれる。
また、イルミネのメンバーが互いに互いを照らし合う。
そういった双方向的な関係がイルミネーションスターズのシナリオイベントでは色濃く描かれています。

ここでの「見る」とはもちろん目で見ることもそうなんですが、「環境問題に目を向ける」という用法のように、関心を寄せること・認識することなども含む広い意味で使っていきます。
より抽象的に言えば、「まなざし」は、ある主体がある客体に向ける認識・感情の総体であるということです。
AからBに向かう矢印をイメージしてもらえればわかりやすいと思います!
もっと簡単に言えば「想い」みたいなものでしょうか。

そしてイルミネーションスターズのシナリオイベントでは特に、「まなざし」は「あなたのことを知りたい」という気持ち「あなた自身」のことを見る視線、「あなたを応援する」気持ちとして描き出されています。

ここまでの私の主張を簡単にまとめると
①イルミネにとっての「ヒカリ」とは「まなざし」である
②「まなざし」=「見ること/見られること」を通じて、「照らすこと/照らされること」という双方向的関係が描かれている
③「まなざし」は「あなたのことを知りたい」という気持ちや「あなた自身」のことを見る視線として描かれている

という感じになります。
それでは、ここからは各シナリオイベントのなかで「まなざし」がどのようなものとして描かれているかを見ていきましょう。

照らすこと、見ること、手を伸ばすこと

まず『Light up the illumination』 〜 『Star n dew by me』(私はこれらを初期三部作と呼んでいるのですが)では特に、最初に述べたような「見ること/見られること」を通じた双方向的な関係を構築することによって彼女たちが輝いていく様が描かれているように思います。
お互いに相手を思うこと、そして思いを届けようとすることによって、ユニットとしての「イルミネーションスターズ」が形成されていったと読むことができます。
そしてまた、そうした双方向的な関係が<プロデューサーとイルミネ>、<イルミネに触れた人たちとイルミネ>の間でも結ばれていくことで、「輝き」はよりたくさんの人に届くのです。

Light up the illumination

イルミネの一番最初のシナリオイベント『Light up the illumination』は、ユニットが結成される場面から始まり、ライブに向けて練習をしていく過程を通じてイルミネがイルミネになっていく物語を描いています。

このイベントの主眼は、「アイドルになりたい」という強い気持ちがつい先走ってしまう灯織との間に生じたすれ違いをどのように解消してイルミネーションスターズというユニットとして輝きはじめるのか、という点にありました。

ではまず、3人はどのようにしてすれ違いを解消したのでしょうか。

第3話『もう一度、ここから』より

それは、灯織がふたりに目を向け、ふたりのことを知ろうとし、ふたりの気持ちを信じること、そしてそれを伝えることによって、でした。

第3話のこのシーンのセリフすごい好きで!
「ふたりの、アイドルになりたいっていう気持ち、信じられてなかった」
って!
それって、今は信じられてるってことじゃないですか!!!
アイドルになることばかりに目が向いていた灯織が、真乃とめぐるを信じることでイルミネが始まったんだ!!!って大きな声が出てしまいますよね。

さて。こうしてすれ違いを解消したイルミネは、W.I.N.Gに向けて練習を重ねていきます。
灯織からふたりへの「まなざし」で話が展開された前半に対し、イベントの後半では、真乃やめぐるもまたユニットのメンバーをよく見て、信頼し、大切に思っていることが描かれます。

第5話『3人だから灯せたもの』より
第6話『想いを重ねて、支えを光に』より

イルミネーションスターズは、お互いがお互いを思い合うことによって輝きはじめたユニットなのだとしみじみと感じ、私の頬を伝った涙が川の水位を上昇させるのでした。

エンディング『illumination STARS』より

イベントの最終場面、ライブを目前にしたイルミネの様子が描かれます。
ここで真乃の言う「みんなの力で、きらきら、輝ける」というのは、イルミネのメンバーだけじゃなくて、プロデューサーやライブのスタッフさんたち、イルミネのファンたち、そういう人たちを含めて「みんな」なんだろうなって思います。
イルミネーションスターズの内部だけではなく、イルミネが輝いてほしいと思うたくさんの人たちの「まなざし」に照らされることでイルミネはもっと強く輝くんだ、と確信にも近い予感を与えこのシナリオイベントは締めくくられるのでした。

Catch the shiny tail

このシナリオイベントでは、真乃が自分がセンターになることについて悩みながらも、プロデューサーや灯織・めぐるとの会話を通じて真乃をセンターとするイルミネが、ひいてはシャイニーカラーズが形作られていきます。

真乃の悩みは、特別だとは思えない自分にセンターが務まるのか、というものでした。

第5話『私の場所』より


そしてもちろん、このイベントの主眼は、真乃がその悩みをどう乗り越えていくのか、という点にありました。

「みんな特別だし、みんな普通の女の子だ」というプロデューサーのあまりにも有名な台詞を端緒としながらも、真乃は「隣にいてほしい」というめぐると灯織の言葉を受けて、「灯織ちゃんの隣」と「めぐるちゃんの隣」として自分が「真ん中」であることを肯定します。

第6話『あのね、あるの、悩み事』より

さて、ここでなぜ真乃が灯織とめぐるの言葉によって「真ん中」であることを肯定できたのでしょうか。
それは、真乃が灯織とめぐるを特別だと思っているのと同じように、灯織やめぐるも真乃のことを特別だと思っているということが真乃にも感じられたからなのだ、と私は思いました。

「隣にいて」というシンプルで短い言葉の奥に、「あなたのことを特別だと思っている」「あなたを必要としている人がここにいる」という力強いメッセージを感じずにはいられないのです。

Star n dew by me

『Light up the illumination』では灯織に、『Catch the shiny tail』では真乃に焦点を当てながら、相手を思う気持ちの相互作用(=「まなざし」の相互作用)によって輝きを増していくイルミネを見ることができました。
そしてこのイベント、『Star n dew by me』ではめぐるに焦点が当てられます。

鬼ごっこの番組の企画で、とある高校の学園祭に訪れたイルミネーションスターズ。
オニに捕まってオニになってしまっためぐるの葛藤と、真乃・灯織の心の揺れ動きが学園祭らしい盛り上がりの中で繊細に描かれていきます。

第5話『invent laughter』より

明るくて元気なイメージのあるめぐるが抱える、「居場所」に対する不安が、読み味に切なさを加えてくれるのが印象的です。
物語の後半、めぐるをオニから取り戻したい真乃と灯織が「交渉チケット」を使って、守らなければならない『宝物』とめぐるを交換する場面からが、このシナリオイベントの山場となっています。
イルミネが守っていた『宝物』、それは…… 『光』でした。

『光』を取り戻すために、光り輝くライブを成功させるミッションへと駆け出していくイルミネーションスターズ。
めぐるは別れを惜しむような挨拶をして、「代わりに、ここに歌を置いていくよ」と一日のお返しの気持ちを込めます。
伸ばされた手に必ず触れることを約束して、披露したのは『We can go now!』。
学園にイルミネーションスターズの歌が響き渡ります。

ライブは成功し、光を取り戻して、学園祭は無事に後夜祭を迎えることができました。
さて。ではどうしてライブは成功したのでしょうか。
ライブが成功することって、実はあたりまえじゃないんです。
そして、今回のライブが成功したのは、高校の生徒さんたちが見てくれたからだと私は思います。
これもあたりまえのことのような気がしてしまうのですが、とても大事なこで。
なぜなら今回のイベントが学園祭で、学園祭の主役はやっぱり高校生たちだからです。

第4話『ううん』より

イルミネは「アイドルの仕事」として学園祭に来ています。そしてその「仕事」とは、関わる人を笑顔にすること、番組を見る人に楽しんでもらうことです。
一方で、高校生たちも、学園祭に来る人に楽しんでもらおうと思ってこの日を迎えています。
だからこそ、イルミネがミッションを通じて学園祭を全力で楽しんでくれたことは、高校生たちにとってはすごく嬉しいことだったはずです。
学園祭にアイドルが来るってなったときに、生徒全員がそれを歓迎していたっていうことはきっとなくて。
そうなったときにやっぱり、イルミネがみんなを楽しませるという一方的な関係ではなくて、お互いに楽しむ/楽しませるという双方向の関係を築くことができたのは、とても大事なことだったのではないでしょうか。
「イルミネ… 誰?」の状態から、学園祭を楽しむイルミネを見て「イルミネ… 好きだ!」の状態になった人が必ずいます。それもたくさんです。

第5話『invent laughter』より

こうしてイルミネを「見たい」と思ってくれた高校生たちがたくさんいたからこそ、その「まなざし」が集まって強い「ヒカリ」になり、光り輝くライブが成功したのだと私は思うのです。

見えないこと、伝わらないこと、届かないこと

さて、ここまでのイベントでは主に「ヒカリ」が照らす/照らされるものとして機能し、イルミネとたくさんの人たちを繋げ輝かせているという側面を読んできました。
しかし「ヒカリ」、「まなざし」には別の側面もあります。
それは、「届かないこと」です。
他者である限り、相手をことを完全に理解することはできない。
人のことをよく見て、真っ直ぐに向き合おうとすればするほど、だんだんと人の心の見えなさを知ることになります。
その兆しは『Catch the shiny tail』で既に描かれ始めていました。

第6話『あのね、あるの、悩み事』より

そして、『Catch the shiny tail』〜『Star n dew by me』の時期を通じて、八宮めぐるのpSRカード【チエルアルコは流星の】などによって問題提起されていると読み取ることができると思います。

【チエルアルコは流星の】『異邦の青、浮遊する』より
【チエルアルコは流星の】『同調の水、されど』より

そんな、他者の心の見えなさ・わからなさにイルミネがどう向き合っていくのか、というテーマがここから先のシナリオイベントで繰り返し描かれます。

くもりガラスの銀曜日

「忘れものをたどる連作短編」と紹介される『くもりガラスの銀曜日』は、「現在」と「過去」を行き来しながら過ごした時間に想いを馳せていくシナリオイベントです。

第1話『食パンとベーコン』より

お互いをまだ知らなかった頃の「過去」とたくさんのことを知った「現在」を対比させながら、忘れてしまった小さな思い出たちが優しい雨音の中でぽつぽつと思い出されたり、思い出されなかったりする。
タイトルに込められた「くもりガラス」「銀曜日」という言葉が印象的なモチーフとして描かれていくイベントです。
このイベントではイルミネが通うようになった静かな雰囲気の喫茶店『満天星』(『ドーダン』)が「過去」と「現在」に共通する空間として登場します。
そしてこの『満天星』の特徴こそが「くもりガラス」です。
「見えそうで、見えない」くもりガラスの向こう側が綺麗だと、イルミネの3人は感じています。

第3話『ひんやりと星の匙』より

そして、「くもりガラスの向こうが見えないこと」が、「他者の心が見えないこと」を象徴していると捉えることができます。

もちろん、他者の心が見えないということは、不安なことです。
「自分のなりたいアイドル」について思うところのある灯織が、自分の気持ちをうまく伝えられないこと、真乃やめぐるの気持ちを全部は知ることができないことにもどかしさを感じている様子には、きゅっと胸を締め付けられました。

第6話『くもりガラスの銀曜日』より

しかし灯織は、くもりガラスで光が遮られるからこそ綺麗に見えるのだという気づきを通して、「見えなさ」「伝わらなさ」に対して一つの応答を導きます。
それは。
見たいと思い続けること、知りたいと思い続けること、でした。

第6話『くもりガラスの銀曜日』より

くもりガラスの向こう側の中庭を見ませんか、という店主の提案を断ることで、見たいと思い続けるという意思を表明しています。
そして、見ることのできない他者の心を知りたいと思い続ける気持ちは、真乃やめぐるも同じでした。

エンディング『星空を、ひとつまみ』より
エンディング『星空を、ひとつまみ』より

そんなイルミネちゃんたちとプロデューサーはイベントの最終場面、『満天星』で偶然一緒になります。
そこでプロデューサーは、イルミネの新曲リリースに合わせたインタビューの資料を見せようとしますが、鞄の中からなかなか見つかりません。
探しているうちに鞄からいろんなものが出てきます。
それはイルミネの「知らない」プロデューサーにまつわるもので。
結局、「私たちの知らないプロデューサーさんが、いっぱい隠れた鞄」からは、お目当ての「資料」は見つかりませんでした。

エンディング『星空を、ひとつまみ』より

ここで資料が見つからなかったのは、「知りたいと思い続けよう」というイルミネの気持ちを再確認しているようで、どこかあたたかい結びだと感じられます。

そんなイルミネの新曲は、きっと『トライアングル』だったのではないでしょうか。

キミの好きなこと したいこと
まるごと知りたいよ 教えてね

『トライアングル』イルミネーションスターズ

青のReflection

『くもりガラスの銀曜日』では、偶然気持ちが揃う日のことを「銀曜日」と呼んでいたことが描かれていましたが、このシナリオイベント『青のReflection』では、気持ちがぶつかり合うこと・喧嘩することに焦点を当てて話が展開します。

事の発端はイルミネが参加する番組のコメンテーターとのやり取りにありました。
「喧嘩をしない」というイルミネの発言に対して、喧嘩をしないのは「自分」がないだけなのではないかと疑問を投げかけるコメンテーター。

第1話『こいぬは先触れワルツを踊る』

真乃はうまく言葉をまとめられず、コメンテーターは「ぶつかり合いたくないからじゃなくて……」の続きを聞かせてほしい、とイルミネちゃんたちに「宿題」を出します。
番組の企画は、星の形の入れ物に秘密の願い事を入れ、それを探し出す、というもの。
そんな「星探し」のロケに協力してくれる地域の子どもたちのなかで、喧嘩になっている3人の男の子たちを真乃が見かけます。
「子どもたちに楽しんでもらいたい」という気持ちがあった真乃は、そのうちのひとりに声をかけてみますが、うまくいくませんでした。
灯織・めぐると合流した真乃は、ふたりにそのことを相談し、今度は3人で一緒に男の子たちに声をかけようと決めます。
しかし、いざ声をかけようという場面で、真乃はふたりに「待って」と声をあげました。

第5話『瞳を凝らして、見える光』より

それは、男の子たちが自分の言葉で、自分の気持ちを伝えることを優先してあげたいという真乃の気遣いでした。
結果的に、男の子たちは自分たちで仲直りすることができ、一件落着となります。
本当にいいお姉さんたちすぎませんか!!!
羨ましい。正直羨ましい。私もイルミネお姉さん達に見守られたい。

さて。
そんな出来事の噂を聞きつけたコメンテーターに、何もしなかった理由を話す真乃。

第6話『結んで、春の大三角』

説明していくなかで、それが「宿題」への答えになっていると気づかされます。
喧嘩にならないのは、ぶつかり合いたくないからじゃなくて、喧嘩以外にも気持ちの伝え方があるから。
喧嘩をする・しないに優劣があるわけではないことは、真乃たちもわかっていました。
大事なのは自分の気持ちをどう伝えるか、またそれを自分自身で考えられているか、ということなのです。

エンディング『地に満ちるは幾千の星』より

ものの見方は人によって違うもので、意見や気持ちがぶつかることが必ずあります。
他者である限り、同じものを見てさえ、同じ気持ちになる保証はどこにもないのです。

同イベント配布【Scoop up Scraps】『ハクチョウとクマのポルカ』より
壁の絵の見え方について話す3人


だからこそ、自分の気持ちを、自分の言葉で伝えたい。
そんなイルミネーションスターズの強い気持ちを感じられるシナリオイベントでした。

はこぶものたち

何かを見るということは、別の何かを見ないということ。
何かを照らすということは、別の何かを照らさないということ。
何かを運び、届けようとする人たちの物語。

『はこぶものたち』は、何かを届ける仕事に着目しながら、「届かないこと」「届かなかったこと」を浮き彫りにしていきます。
イルミネーションスターズは、「ヒカリ」が「届かなかったこと」にどう向き合うのでしょうか。

このシナリオイベントでは、3人がそれぞれに別の仕事に取り組む姿が描かれ、オンラインでの「報告会」などを通じて、お互いにお互いを応援しながら会えなかった時間を埋めていくように話が展開していきます。

第1話『小さな夜』より

フードデリバリー会社の宣伝をする真乃の仕事。「エシカル」な服を作るブランドの夏物の宣伝をするめぐるの仕事。そんなふたりに比べて少し仕事が落ち着いていた灯織のもとに舞い込んできたサッカー番組のナビゲーター役の仕事。
それぞれにたくさんのことを考えながら真摯に仕事に取り組む様子に、イルミネの成長を感じ、胸を打たれました。

第2話『みんなは頑張っている』より

そんななか、当のフードデリバリー会社がサッカーチームの経営に参入することに。
そのチームのリーグ戦のハーフタイムショーに出ないか、と広告会社の営業さんからイルミネへのオファーがあります。
プロデューサーが3人に意思を確認すると、3人はそれぞれ、あとのふたりがいいならと答え、出演が決まったのでした。

さて。
今回のイベントで特筆すべきなのは、これらの3つの仕事(フードデリバリー、洋服、サッカー)それぞれで、「ヒカリ」の届かなかった部分が描かれることです。

第3話『車輪』より
第6話『きみの座らないたくさんの席』より
第5話『みんなが』より

しかしこれらは、イルミネが「悪い」仕事をしたという話では決してなくて。
たくさんの人がいて、ひとりひとりが違う人間である限り、全ての人にとって「善い」ことなんてなく、誰かにとっての「善」は別の誰かにとっては「悪」でありうるというごく当然の話なんだと思います。
何かを照らそうとすれば、必ず照らされなかった部分が現れる。
だからこそ、何かを「まなざす」ときに見えなくなってしまった部分、「ヒカリ」の届かなかった部分とどう向き合うのか、ということがこのシナリオの焦点になりました。
そしてそれに対してのイルミネの応答は、「何度でも届け直すこと、そのために『あなた』のことを知ろう」というものでした。

エンディング『運ぶ人』より
エンディング『運ぶ人』より
「応援するのって……」

「ヒカリ」が届かないことは、きっとある。
それでも。
イルミネーションスターズは必ず「ヒカリ」を届けてくれるのでしょう。
「まだこの席に座っていないけれど、いつかこの席に座ることになるきみ」に。

For Your Eyes Only

ドラマパートの演技が話題となった『For Your Eyes Only』は、まさしく「まなざし」と「他者理解の不可能性」を描くシナリオイベントでした。
目=eye(あい)をモチーフとしながら、<文化祭の謎解きカフェの謎を作成するメンバーになった真乃の話>、<イルミネの3人が出演するミステリードラマ『誰かが、見ている』のドラマ内のストーリー>、が同時進行していきます。

ドラマで3人に与えられた役は、どこか少し本人の面影を残すような側面もあり、普段の3人を見てきた分ドラマの世界に惹き込まれてしまいますね!

第1話『めくる』より
同上
同上

さて、そんな今回のイベントでは、二つのストーリーそれぞれで、他者理解と伝達の困難、それに対する応答が描かれます。

(1)文化祭にまつわるストーリー
まずはじめに問題として描かれたのは、飲食物の提供にあたり、保健所に届出を出すべきか、という点でした。
真乃のクラスの大勢は届けをしなくていいと思っている一方で、真乃は届出を出した方がいいと考えています。
そしてそれをどう伝えるべきか、真乃は悩んでいました。

第3話『緩める』より

ここで少し、G.R.A.D.シナリオで、グループ課題のために予定を開けたことをクラスメイトにうまく話せなかった真乃のことが思い出されます。

櫻木真乃G.R.A.D. 『足元、ぐるりとゆがんで』より

真乃がクラスの人にうまく話せないこと、それはもちろん真乃の性格による部分もあるでしょうが、アイドルとして仕事をしている真乃とそうではない同級生たちでは見えている世界が少し違うことにも起因している面もあるとは言えないでしょうか。

そしてまた、そうした「社会」や「仕事」への認識の違いからもう一つ問題が生じています。
それは、ドラマ『誰かが、見ている』のSNSの反応のなかで、真乃の名前を出して、真乃のクラスの出し物を宣伝する投稿があったことでした。

第4話『絡まる』より

ここで描かれているのは、届出をしないでいいと思ったクラスメイトたちやこの投稿をしたクラスメイトが悪い、という話ではありません。
真乃、クラスメイト、教師、プロデューサー、ドラマのディレクター、それぞれに見えている世界が違うこと。その現れとしてこれらの問題が生じたにすぎないのです。
認識の違いから生まれる問題にどう向き合えばよいのか。
教師とプロデューサーの考えが描かれます。
教師は「考えることを、忘れないでほしい」と生徒たちに話しました。

第5話『私が、見ている』より

プロデューサーは真乃のクラスメイトに、意見の重さは同じだと知ってほしい、といいます。
それは、認識の違いを正すのではなく、違いを認めたうえで尊重しよう、という意味だったのだと推察できると思います。

(2)『誰かが、見ている』のストーリー
出演者同士の間でも情報が隠されているこのドラマでは、「共感覚」という特殊な目を題材に、他者理解の不可能性が提示されました。

第2話『誰かが、見ている』より

ドラマ内で起こる一連の事件は、「共感覚」という特殊な目を持つ『マノ』が、自分の見る世界をわかってくれる人を探すためにおこしたものだったのですが、同じ世界を見ることができないことについて、『ヒオリ』はこのように応答します。

エンディング『ほどかれる』より

一方で、めぐるはこのように応答しています。

第6話『解かれる』より

知ろうという意思。気持ちを伝えること。
これらはこれまでのイベント『くもりガラスの銀曜日』『青のReflection』『はこぶものたち』で描かれてきたことでもありました。
そしてこの二つのことは、根本的にはそう変わらないものだと思います。
それは、知ろうとすることと伝えることは表裏の関係にあるからです。
「わたし」が「あなた」を知ろうとすること。「あなた」が「わたし」に伝えること。そういう表裏の関係にある双方向の矢印をイルミネーションスターズは「ヒカリ」として大切にしてきたのでしょう。

ヒカリと夜の音楽、またはクロノスタシス

オープニング『はじまり、それからまどろみ』より

お泊まり会をしている「今」とイルミネになった「あの日」。
イルミネのファンだった二人組の少女。
少しずつ変わっていくことをプロデューサーのモノローグと共に振り返ります。

「ずっと」も「絶対」も、きっとない。
「わかってて、ただ、言わないだけ」

話題を呼んだ5thライブを終え、シャニマス6年目の最初のシナリオイベントとなった『ヒカリと夜の音楽、またはクロノスタシス』。
「ずっと」がないことをテーマに、イルミネの3人と、ファンの2人組の少女を対比させながら描いていくイベントとなりました。

イルミネの結成の頃から熱心にファンをしていた2人組の少女たちは、些細なきっかけから少しずつ疎遠になり、そのうちのひとりはイルミネをファンとして追わなくなってしまいます。
そして、もうひとりの子がずっと書いてくれていた流れ星のファンレターもやがて届かなくなり。

第6話『きのうが、永遠になった』より
同上

「ずっと」がないこと。「絶対」がないこと。
「ヒカリ」が「届かなく」なってしまうこと。

それをわかったうえで、イルミネーションスターズは、プロデューサーは、こう言うんです。
「絶対!」
と。

エンディング『響き渡れ、どこまでも』より
同上

だって、イルミネーションスターズの願いは、「輝き」を「みんなに」「届ける」ことだから。

「今はもう席に座っていないきみ」も、いつかふと何かのきっかけでイルミネーションスターズの歌を聴いて、イルミネが大好きだったあの時間を思い出し、きっと少し愛おしくなったりするのでしょう。

そのためにイルミネは「今」歌います。
歌が時間を超えて、「きみ」に届いてくれると、信じて。

第6話『きのうが、永遠になった』より

絆光記

さて。
つい先日、新しいシナリオイベントが始まりました。
そのタイトルは『絆光記』。
読み方は「はんこうき」でよいでしょう。

このイベントでは、ある映画の宣伝隊長を務めることになったイルミネと、連動企画として行った漁港でのワークショップ、そしてそれに帯同したルポライターを主軸として物語が進みます。
ルポライターの独白としての『白紙の文書』が時折顔の覗かせ、読み手に緊張感を与えながら、「光」のあり方を問いかける。
ある種必然的に、イルミネにとっての「ヒカリ」のあり方を考えさせれる物語でした。

まずイベントの前半、真乃・灯織・めぐるそれぞれに、うまく言葉を届けられなかった場面が描写されます。
真乃は宗教勧誘のような人に、灯織は道で困っている人に、めぐるは共演したアイドルに。

第3話『ナラティブⅢ』より
めぐるに憧れながらも、折れてしまったアイドルに対して

こうした「届かないこと」「届けられなかったこと」自体はこれまで見てきたように、繰り返しイルミネが向き合ってきたことでもありました。
しかしながら今回は、もう少し踏み込んで、「ヒカリ」を拒むものたちが登場します。
それは、灯織が声をかけた困っていた人であり、企画で訪れた漁港の「現地の女子3」であり、ルポライターでした。

第4話『ナラティブⅣ』より

彼らに共通するのは、文中の言葉を借りるなら「ポジティブ・アレルギー」であり、眩しさを前に目を閉じてしまうような変えられない性質でした。
そしてこの物語は、そんな彼らにイルミネーションスターズの「言葉」が届くというものではなかったと思います。
それにもかかわらず、この物語の結末では、「現地の女子3」はイルミネのファンになり、ルポライターは映画の炎上の余波を受けていたイルミネにとって「光」ともなるようないい記事を書くのです。
ここでは、一番初めに見たような照らす/照らされるという双方向の関係が成立していて、「ヒカリ」は届いているのです。
ではなぜ、「言葉」が届いていないのに「ヒカリ」は届いたのでしょうか。

それは、「言葉」が届かなくても、「想い」は届くからです。

ひどく幼稚で、非現実な願いにすぎないと思うでしょうか。
私はそうは思いません。
「走る」ことのような肉体的な行為を通じて。あるいは、第三者を介して。あるいは、音楽を通じて。
イルミネーションスターズの「知ろうとし続けよう」「言葉を探し続けよう」「伝え続けよう」という強い「想い」は「絶対に」伝わると私は信じているのです。

第4話『ナラティブⅣ』より
めぐると競走をして

この物語は、見えなくて、わからなくて、伝わらなくて、届かなくて、そういうないない尽しに思えてしまうような世界へのイルミネーションスターズなりの力強い「反抗記」でもありました。
それは、ルポライターが誰にも見せなかった「反抗記」の代わりに、イルミネーションスターズが大きく掲げた「反抗旗」で、その旗には「輝きをみんなに届けよう!」という「汎光」の標語が書かれているのです。

あとがき 前書きに代えて

あいさつが遅くなりました。
八宮めぐる担当イルミネPの真鯛といいます。
花と花火が咲き乱れた6thライブを終え、放心状態だった私にイルミネの新イベの報せが届いたのは、ツアーファイナルからほんの数日後のことでした。
わくわくしながらイベントを読み終え、気がついたらこんなものを書いてしまいました。
このnoteではイルミネにとっての「ヒカリ」について考えていきましたが、私にとっての「ヒカリ」はイルミネそれ自体であります。
眩しくて力強い太陽のような、それでいて憂鬱な夜を和らげてくれる優しい星のような、毎日を過ごすのに欠かせない大切な存在です。
そんなイルミネを見つめる私の「まなざし」は彼女たちを照らす「ヒカリ」の一部になれているでしょうか。
そんなふうに考えていると、毎日はちょっとずつ素敵なものに変わっていると感じます。

ゴールデンウィークの終わり
帰りの電車にて



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