Amazonカートに入っている本など②
最近読んだ本の所感も含め。
▼『花を見つめる詩人たち ——マーヴェルの庭とワーズワスの庭』(著 吉中孝志)
詩学や自然科学などの本に、何かと名前が出てくるワーズワス、に最近興味がある。最近、下記の本を読み終えた。
ワーズワスはイギリスのロマン派詩人……だそうだが、私はワーズワスにも英文学にも詳しくないため、一人の、しかし多くの人々に影響を与えた詩人だ、という目でこの本を読んだ。
ワーズワスは自然を詠んでいるが、その「自然」が写実というよりも、彼の目で見た現実の景色と彼の心の表象(イメージ)が結びついたものであるということ、つまり彼の「詩の世界」は現実世界と精神世界の複合領域である、という部分が面白いと思った。
ワーズワスの詩に出てくる自然はいきいきとして、時に美しく、時に恐ろしい。ワーズワスが自然に対して感じとっていた霊性、そして畏怖のようなものは、現代に生きている自分の感覚にも通じるところがあるような気がする。
彼の詩は対象をありのまま描写する詩ではないけれど、彼の感じているもの、つまり彼が自然という対象に向き合った時に感じとる生命エネルギーの神秘や調和(「静謐」という項目がある)を、彼の感じとったままに描写する詩なのだと思う。私は彼の<幻想の世界>である、彼の詩を好きだと思う。同じように彼の詩を好きだと思う者、彼の詩に心を打たれた者が、国や時代を超えて、愛してきたのではないだろうかと思った。
「花を見つめる詩人たち」では、ワーズワスのほかに17世紀の形而上詩人アンドリュー・マーヴェル、そして二人を思想的に繋ぐヘンリー・ヴォーンの作品を紹介しているらしい。上記のようなワーズワスに対する興味に加え、個人的に植物や庭にも興味があるため読んでみたい。
また、「自然と幻想」の次に読み始めた本にもワーズワスの名前が出てきた。何か運命的なものを感じる。
好きな哲学者の著作を読む時、「我々」という言葉の意味の中に私が入っていない可能性がある、ということを考えたことがなかったため衝撃だった。
「我々」と自分が言う時、私が思い浮かべるのはどんな人だろうか。きっと今の私には、「我々」と言いながら、あらゆる立場の、あらゆる考え方を持ったすべての人々を想像することができない。私の想像の向こう側にも誰かが存在していて、私が「我々」と言って「私の想像できる範囲でのすべての人」を囲い込む時、そこに存在している誰かのことを「我々」という輪から排斥してしまうことをとても恐ろしいと思った。
多数の「我々」、というのがいいなと思う。そしてその「我々」が独自の歴史や文化を持っているということも。まずは自分のイメージする「我々」という範囲を壊しながら、自分の知らなかった「我々」の育んできた、カリブ海思想という独自の歴史に触れてみたいと思う。
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