Amazonカートに入っている本など②

最近読んだ本の所感も含め。

▼『花を見つめる詩人たち ——マーヴェルの庭とワーズワスの庭』(著 吉中孝志)

詩学や自然科学などの本に、何かと名前が出てくるワーズワス、に最近興味がある。最近、下記の本を読み終えた。

ワーズワスはイギリスのロマン派詩人……だそうだが、私はワーズワスにも英文学にも詳しくないため、一人の、しかし多くの人々に影響を与えた詩人だ、という目でこの本を読んだ。
ワーズワスは自然を詠んでいるが、その「自然」が写実というよりも、彼の目で見た現実の景色と彼の心の表象(イメージ)が結びついたものであるということ、つまり彼の「詩の世界」は現実世界と精神世界の複合領域である、という部分が面白いと思った。

「洞窟」は、<現実の世界>と<精神の世界>との、また<目に見える世界>と<目に見えない世界>との複合領域として、神聖な回廊(略)や、聖堂を暗示していよう。この洞窟においては、<精神の世界>は<現実の世界>によって実体化され、一方、<現実の世界>は<精神の世界>によって霊性を付与され、結びつけられ、両世界の複合領域である神聖な<幻想の世界>が創造されるのである。

『自然と幻想 ワーズワスの詩の世界』(著 岩崎豊太郎)p196

ワーズワスの詩に出てくる自然はいきいきとして、時に美しく、時に恐ろしい。ワーズワスが自然に対して感じとっていた霊性、そして畏怖のようなものは、現代に生きている自分の感覚にも通じるところがあるような気がする。
彼の詩は対象をありのまま描写する詩ではないけれど、彼の感じているもの、つまり彼が自然という対象に向き合った時に感じとる生命エネルギーの神秘や調和(「静謐」という項目がある)を、彼の感じとったままに描写する詩なのだと思う。私は彼の<幻想の世界>である、彼の詩を好きだと思う。同じように彼の詩を好きだと思う者、彼の詩に心を打たれた者が、国や時代を超えて、愛してきたのではないだろうかと思った。

「花を見つめる詩人たち」では、ワーズワスのほかに17世紀の形而上詩人アンドリュー・マーヴェル、そして二人を思想的に繋ぐヘンリー・ヴォーンの作品を紹介しているらしい。上記のようなワーズワスに対する興味に加え、個人的に植物や庭にも興味があるため読んでみたい。

また、「自然と幻想」の次に読み始めた本にもワーズワスの名前が出てきた。何か運命的なものを感じる。

現代思想に蔓延する大胆にも「惑星的な我々」と標榜された主体性が持つ西洋中心性や白人至上主義、そしてそれらに隠された排他性に、トレス=セイランは警鐘を鳴らすのである。というのも、哲学や思想が提供する「我々」、「世界」、「地球」、「惑星」という包括的な用語は、西洋的もしくは白人主体を想定していることが多いからだ。トレス=セイランは、その主体性確保のために他者という立場に追い込まれた人々がいると述べる。

『私が諸島である カリブ海思想入門』p21

好きな哲学者の著作を読む時、「我々」という言葉の意味の中に私が入っていない可能性がある、ということを考えたことがなかったため衝撃だった。

「我々」と自分が言う時、私が思い浮かべるのはどんな人だろうか。きっと今の私には、「我々」と言いながら、あらゆる立場の、あらゆる考え方を持ったすべての人々を想像することができない。私の想像の向こう側にも誰かが存在していて、私が「我々」と言って「私の想像できる範囲でのすべての人」を囲い込む時、そこに存在している誰かのことを「我々」という輪から排斥してしまうことをとても恐ろしいと思った。

「私たちは、『我々』に住みつく多数の存在を認める一方で、多数の『我々』が住みつく世界の多様性というものも認めなければならない」。

『私が諸島である カリブ海思想入門』p21

多数の「我々」、というのがいいなと思う。そしてその「我々」が独自の歴史や文化を持っているということも。まずは自分のイメージする「我々」という範囲を壊しながら、自分の知らなかった「我々」の育んできた、カリブ海思想という独自の歴史に触れてみたいと思う。

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