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こんばんは。どこにでもいるような学生です。
日記とか言いながら1日坊主過ぎました。気ままに書こうと思います。
言い訳をするなら、人種差別のことから人種や国家、セクシャリティの差別は何かについて書いてたのですが、安易に言うべきで無いだろうし、悩みすぎて投稿出来ませんでした。
思ったことを発信して自他でそれを捉えることで、またそれを噛み砕いていく作業は大切だと思いますが、1度発することには責任が伴います。言葉って難しいと日々考えさせられます。
2020.6.10【怠惰】
自分の学校はようやく分散登校が始まるも、ピークの時は沢山の感染者が出てしまったことから未だに通常授業に戻れてない。正直、自粛前とあまり生活は変わらない。買い物は出来るようになったのはとても嬉しいが、頻繁に行っては元も子もない。
3月頭から5月いっぱいまでの休校期間。
毎日毎日ぐだぐだと。サボってテキトーに過ごしてた。
自分でも自覚してるしいい加減直さないとどうしようもないことだが、サボり癖がひどい。コツコツと、や、前倒しが本当に苦手だ。計画性も無く、例え立ててもすぐに崩れてしまう。
サボって怠けて提出ギリギリやきちんとこなせないことがだんだん増えてくる。ちゃんとやったら出来ることばかりなのに、と自責の念に駆られそんな自分が嫌になる。
書いていて気がついた。
出来ない自分を見るのが自分は出来ないんだなって。
失敗することは悪いことじゃありません!成長です!みたいな教科書テンプレ書きでよく見かける考えを勿論理解していたが自分事に落とし込んでない。
出来てない自分がいけない、みたいな自分の中での潜在意識がある。
別段これといった大きな経験があるわけでも無いが、なんとなく思い当たる節がある。一人っ子で母親が小さい頃は付きっきりで勉強を見てくれてたという有難い環境のおかげか、自分は根は真面目だ。100点取って普通に褒めてくれるも、普通すぎて、それが両者とも当たり前になっていた。そのため90点や80点のテストを取った時、怒りはしないが、どうしてそんな間違えをしたの?と信じられないような点数を取ったみたいな雰囲気で問われる。それの積み重ねで、間違えること・出来ないことは信じられない、自分にとって普通でないことに無意識のうちに刷り込まれたように思う。
今、ちゃんと気づけて良かった。
サボることだって自分の結果だ。しょうがない。
ただ、それを受け止めて、本当にそれで良いの?とその都度問えるようにしたい。
今よりも、5年後10年後の自分が1番幸せになれる最善の選択をしたい。
溜まりまくった課題を片すところから始めます。
なんか①と似たような内容になってしまいましたが笑
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