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気付いてもらう、ということ

先日、車で子どもを家に連れて帰っているときの出来事だ。
商店街は夕方になると車の交通量も自転車の数もぐっと上がる。
冬になると陽が沈むのも早いので、かなり危ないルートになる。

かくいう私も、両脇を気をつけて
自転車と接触しないように気をつけて車を走らせる。
相手は自転車とは言え、接触でもすれば自動車側が加害者になる。

ひやっとするような自転車の並列縦列2台走行も
ここは我慢…と速度を落としてとろとろと後ろについたりする。

冬の夕方の商店街は時間帯も道幅もリスクが高い。

その日も寒い夕方だった。
子どもを乗せていた私は助手席を気にしながら運転していた。
すると前方のほうで異様に車が避けていく場所があった。

ゆっくり近づいてみると自転車が一台置かれていた。
しゃがんでいる学生もいた。

「うわ〜危ないなー」と思いつつゆっくりそばを通り過ぎる。
怪我でもしたんだろうか、と観察してみると
どうやらチェーンをいじっていた。

チェーンが外れてしまったのか、手探りでペダル辺りをぐるぐるといじっていた。
そのまま見届けて私は角を曲がる。
もうすぐ自宅だ。どうしよう。

駐車場に車を停めて、子どもを家の中まで連れて行き、
様子を見てこよう、と思い立って商店街まで歩いて戻った。

もう居ないかもしれないな、と角を曲がる。いたいた。
さっきうずくまっていた場所でやはり車から見たようにチェーンをいじっていた。


私は思い切って学生に声をかけた。
「どうしたの」

部活帰りの半袖半ズボン体操服姿ではっと顔をあげる学生。
「チェーンが切れちゃって」とこちらから目を逸らしてチェーンを触る。

「そうだったんだね。うーん。どうする?
電話貸してあげるから家に電話する?」

ウーン…と黙ってしまった。

「とにかく、ここは車がたくさん通るし、くらくなると危ないから広い空き地まで移動したら良いよ。手伝うよ」と私は続けた。

すると学生がすっくと立ち上がって
「自転車を押せば進むからいいです。帰ります。」
そう言い放った。

あ、そう。と私の返事を聞かないままスタスタと自転車を押して進んでいく。
その背中に向かって
「気をつけてねー!頑張って〜」と
なんとも言えないトーンで声をかけるしか出来なかった。

商店街の少し先を行けば、閉店してしまったけど店主が自宅として使う自転車屋さんがあったはず。
チェーンを繋いでもらえるかもしれないな、ついてったらよかったな
と少し後ろめたい気持ちに。

とは言え、見知らぬ人について来られても怖いよな、と思い直し
私も子どもの待つ家に帰った。

話しかけるまで、あの子はどうするつもりだったんだろう。
ふとそんなことを考える。

誰かに話しかけてもらったから諦めて帰ろうと思ったのかな。
理不尽なできごと(この場合だとチェーンが切れる)は降りかかってくるけれど
自分一人で受け止め切れないときもある。

そんな時に誰かに聞いてもらうと、なんとなく前を向ける気もする。
もういいか、とか、前に進まなきゃいけないよな、とか。

誰かに気付いてもらったり、聞いてもらうと少し一歩進める。

そんなことってある気がする。

どうして自分がこんな目に。
ということがあって、今の自分の状況を自分じゃない誰かに知ってもらうと
「そうか、今自分はここにいるんだ」と
確認できる。

解決してほしい訳でもなく、救ってほしいわけでもない。

ただ今ここにこうして自分は居るんだよ、と気付いてもらうことって
結構パワーをもらえることなのかもしれない。

何も出来なかったな〜という気持ちで、あんまり消化できてないけど
そんな自分の今を知ってほしい、そんな日記。


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