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白鯨の白さについて

多くの自然物の場合、大理石、椿、真珠などのように、白さは気品を高めて美しさを増し、そのものに具わる得がたい美質をかがやかすかのごとくであり、多くの民族はこの色をば何らかの形で高貴なものとして認めており、かの古の蛮国ペグウの大王たちすら、その権威を讃えるさまざまの美名のうちで「白象の王」なる総合を最高としたし…

白鯨 メルヴィル 白鯨の白さについて

T氏の所にイカがやってきた。
「象は白い象が最高の称号にもなっていますね?馬も王様が乗るのは白い馬ですね?そして、人間も白色人種が観念上の優位を持っていますね?」
T氏は寝起きだったので、「はあ」と生返事をした。
「じゃあ、私、白イカになりたいんですよ」
イカは興奮しているのか全身をネオン色に点滅させていた。
「ちなみに今は何て呼ばれているの?」
T氏はサングラスを出して、それを装着した。まぶしさは幾分おさまった。
「赤イカと呼ばれたり、白イカと呼ばれたりしています。でも私、白鯨を呼んでですね、白イカと呼ばれたいと熱烈に思いまして…!」
ふむふむ、とT氏は話を聞いた。
「でもどうしてあなたは赤イカと呼ばれたり、白イカと呼ばれたりするんでしょう。僕にはネオンイカに思えるけど、あはは」
T氏が笑うと、イカは勢いよく墨を吐いた。
目の前が真っ暗になり、生臭いにおいが漂った。イカは怒ったのだ。
「本質を見ようとしない愚かな者が名づけるからそんなことが起こるのです。私たちは、赤にもなり、白にもなり、そして何色にでもなれる」
イカはギラギラした色を瞬かせてそう言った。
「でも私ひとりの一存であなた方を白イカに統一することもできないでしょう」
T氏は水中に漂う墨を手で払いながらそう言った。
「いや、私はあなたに白イカと認定してもらえればそれでいいんです」
イカはそう言って、T氏の手首に足を巻き付けた。手を握った感じを出している。
「そうですか。いいですよ。あなたは白イカだと認定します」
T氏はあっさりとイカを白イカに認定した。でも何の意味があるのだろう?
「ありがとうございます!そして、これだけは忘れないでください。あなたは私を白イカと認定した。私は赤にも青にも何色にもなれるけど」
白イカは蛍光色に身を包んでいた。
「ええ、忘れませんよ。あなたは蛍光カラーのイカだけど、白イカだということを」
海の底には白い砂浜が広がっていた。
チンアナゴは白イカがまくし立てている間、砂の下で様子を伺っていた。
イカの墨はすっかり晴れていた。

白イカがどこかへ行ってしまうと、チンアナゴが顔を出した。
「あなたも大変なことを言ってしまいましたね」
幻滅したような言いぐさであった。
「何?イカのことかい?」
T氏は段ボールに横になってリラックスしていた。
「象はほとんどが灰色の生き物だから白い象がありがたいんでしょう?馬だってそうでしょう?人に至っては、今時そんなことを言ったら総スカンでしょうよ」
T氏は、まあね、と相槌を打った。
「でも、僕ひとりがあのイカを白イカに認定したからって世界が変わるわけでもないでしょう」
チンアナゴは分かってないな、という感じでため息をついた。
「あなたはネオンカラーのイカを白イカに認定した。その愚かな行為を後生忘れずにおくがいい」
チンアナゴはそう言い渡した。
何だか判決のようだった。
ひどい言いぐさじゃないか。
「何なら君を白チンアナゴに認定したっていいんだぜ」
T氏はそう言った。
チンアナゴは砂に潜ってしまった。
穴に潜った勢いで舞った砂はしばらく水中を漂って、そのうちチンアナゴの穴の上に降り積もった。

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