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寛容とは

今日は、お休みの日の映画。
スペシャルズ! 〜政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話」を観た。
これ、9/20に観るはずだったが、電車が人身事故で止まって観に行けなかったリベンジ。日比谷ミッドタウンの画像だが、観たのはTOHOシネマズ シャンテだ。

ブリュノは自閉症ケア施設を運営し、マリクはくすぶっている若者に働く機会を与えて自閉症の人たちの面倒を診る。
この二人は、本当に人が、子供たちが好きなんだなと思った。自閉症の人たちがダンスをするシーンで、そう思った。温かい涙が出てしまった。すごくジワジワと心に染みてくる作品だった。
主人公のブリュノを演じたヴァンサン・カッセルのインタビュー記事がパンフレットにあり読んだ。『寛容』という言葉で表現していた。

元来は,異端や異教を許すという宗教上の態度についていわれたのであるが,やがて少数意見や反対意見の表明を許すか,否かという言論の自由の問題に転化し,ついには民主主義の基本原理の一つとなった。ボルテールは「君のいうことには反対であるが,君がそれをいう権利は死んでも守ろうと思う」と語り,これは寛容の精神をよく示した言葉として引用される。だが寛容には限界があるとされている。まず第1に,理性,良心,真理への信念に基づく言説にのみ適用すべきである。第2に,民主主義を破壊しようとする言動に適用してはならない。ワイマール共和国がこの限度を知らなかったために悲劇の道をたどったことは歴史的教訓として記憶されている。

主人公たちは、確かに、自閉症の人たちと向き合い、しっかり理解してあげようとしていた。若者たちもだ。ディランの優しさがまたいい。ヴァランタンを理解しようと、ディランなりに寄り添っていく。ディランという若者を通して、『寛容』という言葉の意味をなんとなく理解していく感じがした。
辞書の説明は、分かるのです。でも、本当に理解しているのか?たぶん理解していない。自分には理解できないような人たちを、どう理解しようとするか。
「違う」という言葉で片付けるのは簡単だ。
違うことを理解した上で、寄り添い、理解し、受け入れる。これって、実はすごく忍耐が必要で、勇気がいることなんだと思った。
日常にも、多くの「違う」ことがある。それを、ボクは、どうしているだろか?
最近は、もお上の人たちについていけないと、半ば諦めている自分がいる。本当に、上の人たちのことを理解しようとしているのか?
改めて、考えさせられる。答えは、出ていない。
そして、国の役人たちにブリュノが意見を聞かれるシーンの後半は、現代の仕組みが浮き彫りになっているなと思った。
色々なことが、効率で決まってくる。
お金や人の問題があるから、わからなくもない。
でも、効率だけで済ませてはいけないこともあるのではないだろうか。
今回のお話のテーマである自閉症、これは本人が望んでなったわけではない。そして、このような状況に苦労する家族がある。
綺麗事だけではないのだけれども、苦しんでいる人たちを助けられない仕組みというのは、何のためにあるのか。
仕事は、当然効率が重要。ただ、ちょっとした雑談や、一見無駄だと思えることが次に繋がったりする。
こういう、隙間にも、ちゃんと目を向けるべきなんだなと思った。

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