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幼なじみの吉田裕平の活躍でレーサーを目指す / 5125高井雄基インタビュー

割引あり

出足型の調整がハマり、A2級に初昇格!

○レーサーになるまでの経歴

──出身は愛知県常滑市も高校は山梨学院大学付属高等学校へ進学。
中学でサッカーをやっていました。その学校には山梨学院高校にいた先生がいて、その先生に自分の脚力を認められて高校を紹介してもらいました。高校は3年間みっちり陸上に打ち込みました。

──大学への進学は?
最初は箱根駅伝に出場することを夢見ていたんですが、高校陸上のレベルがすごく高くて「これは厳しいな…」と思いました。それで卒業後は専門学校に進んで救急救命士免許の資格を取り、常滑市消防本部に勤めました。

──救急隊員からボートレーサーになったのは?
消防に入るとまず半年間、消防学校に行くんです。そこを卒業してから消防署に勤務するんですが、学校を含めて消防にいたのは1年4か月間。消防と救急の勤務は兼ねるので、救急車にも消防車にも乗っていました。
その頃、幼なじみの吉田裕平選手がレーサーになって活躍しだしたんです。吉田選手とは小学校、中学校と同じで、もちろん、お父さん(吉田徳夫元選手)がレーサーだったことも知っていました。さらに、自分の祖父がボートレース好きで、家ではずっとレジャーチャンネルがついていた。だけど、子供の頃にレーサーを目指す気持ちは全然ありませんでした。祖父にレーサーになることを勧められましたが、当時は「人に勧められることはやりたくない」という気持ちが強くて。吉田選手の活躍を見て、レーサーになりたいという気持ちが出てきて、養成所を受験しました。

──養成所時代は?
高校の陸上部も消防学校も厳しかったから、それと比べると養成所の生活は苦にならなかった。乗る方も人並みの成績を残せていましたから。

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