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地テシ:237 前略、カメラロールの上より 2021秋

去る11/23に行われました「狐晴明九尾狩」ディレイビューイングはお楽しみ頂けましたでしょうか。多分楽しかったんだろうなあ。まあ、私だって見ようと思えば見られたのでしょうが、今はまだいいやとか思っています。

さて、まあそんなワケでね、久しぶりに舞台のない日々を送っております。舞台が目前にないってのはちょっと気が楽ですね。その替わりに舞台の準備をしたり舞台を観に行ったり舞台のチラシを作ったりしています。なんだ、舞台舞台ってうるさいなあ。いや、一年半前にはその舞台が全くできなかったのですから、今はありがたい話なんです。連呼したくもなるってもんでしょう。


つい先日までは「狐晴明」に関するお話をたっぷり書いておりましたが、その反動と言いますか、何かのテーマについて長々と書く気分ではないのですよ。ホントはゲームについてとか、見つけた興味深い建物についてとか、色々と書きたいのではありますが、上手くまとまらないのね。
ですので、今回はこの秋にiPhoneで撮りためた莫大な写真の中からいくつかご紹介していきたいと思います。ノンジャンルで。いや、「狐晴明」に関する写真もあるから早めに出しておこうと思いましてね。


皆さんもケータイやスマホの中には莫大な写真が入っていると思います。私も気になる建物とか風景があるとついつい撮ってしまうタチなのですが、その撮ったモノの面白さを説明するのは難しいよねえ。
自分が気になったから、面白かったから撮ったのですけれども、その面白さを説明するのは結構難しかったりします。古っぽいアパートをリノベーションしたオシャレなお店とかなら映えるでしょうけれども、私の場合は昭和中期の高度成長期に建てられたアパートがただ建っているだけで気に入っちゃうんですよ。でも、それはよく考えたらただの古いアパートです。よく考えなくても古いアパートです。でも、なんだかカッコいいんですよね。

そんな私のカメラロールから、比較的説明しやすい写真をいくつかご紹介してみたいと思います。今回は建物の写真は少ないからご安心下さい。

まずは「狐晴明」関係から。と言いますのも以前に、私の衣裳にプリントされている紋にご注目下さいと書いたじゃないですか。その回答を書いておこうと思いまして。

私が演じた藤原近頼には二種類の衣裳がありましたが、そのどちらにも同じ紋がプリントされていました。その紋というのが「Appleマーク」と「PS5コントローラ」をモチーフとしたモノだったんですよ。

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こちらは後半に着る黒ベースの衣裳ですが、前半のオレンジベースの衣裳にも同じ紋が入っています。

Appleマークってのは、もちろんあのApple社のかじられリンゴですよ。私がMacユーザーであるコトをご存じだった衣裳デザイン・堂本教子さんの粋な計らいです。藤や剣片喰(けんかたばみ)の紋を組みあわせてオシャレなリンゴマークにして頂きました。
もう一つがPS5コントローラ紋だったのには驚きました。私がPS5ユーザーであるコトをどこからか聞いたのでしょうか。こちらも藤紋をベースに花菱などをあしらって美しく仕上げて頂いています。

ていうか、ゲーム好きのための紋ならば、PS4でもSwitchでも良かったのに、特徴的なPS5コントローラにして頂いたあたりに堂本さんの愛を感じます。ありがとうございます。
ついでの様に書きますが、PS5のコントローラはホントにスゴイよ。最先端の技術が詰まった最高のコントローラだよ。いや、この話とは関係ないんだけどね。

さらにもう一つ。東京公演の終盤に、堂本さんから素敵なプレゼントを頂きましたよ!

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近頼の衣裳を仕立てた布が余ったらしくて、その布でテーブルマットを作って下さいました。テーブルマット? ランチョンマット? こういうのって何て言うんでしたっけ。
舞台俳優は自分の鏡前(かがみまえ。メイクをする場所)の机部分に、手ぬぐいなどの下掛けを敷くコトが多いのです。私も大きめの和柄ハンカチなどを敷いているのですが、おそらくこのマットは鏡前の下掛けとして下さったのだと思います。嬉しかったので、そのまま大阪公演にも連れて行って使わせて頂きましたよ。


次はその大阪で撮った写真たちを。今回はスケジュールがタイトだったり情勢的にも外出しづらいコトもあって、余り遠出せずに大人しくしておりました。そんなワケでね、公演会場であるオリックス劇場の近場をぶらぶらとしたりしておりました。

オリックス劇場のある「西区新町」は江戸時代には幕府公認である新町遊郭が置かれており、京の島原・江戸の吉原と並んで三大遊郭の一つだったのです。
明治以降は徐々に廃れていきましたが、大正時代に「新町演舞場」が建てられたりするくらいには時代の空気も残っていたようです。新町演舞場って新橋演舞場と一文字違いなので気になっていたのです。
新町演舞場は後に企業の社屋として使われたりしていましたが、2014年に解体され、現在はマンションが建っております。うわー、2014年かー。もっと早く行って写真撮っておけば良かったなー。
現在はマンションの裏手に記念碑だけが残っておりましたよ。

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そのマンションの隣の公園にはこんな石碑がありました。

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「ここに砂場ありき」。ああ、公園だしな。砂場もあったんだろうな。いやいや違う違う。この「砂場」というのは現在でも続く蕎麦屋の老舗「砂場」のこと。
戦国時代末期、この辺りは大阪城築城の際に資材としての砂や砂利の置き場とされ、大勢集まった工夫たちのために蕎麦を出す店ができ、それが砂場と呼ばれるようになったのだとか。それが後に江戸に進出して現在まで続く老舗となったのです。
蕎麦屋にしては砂場って店名は不思議なのですが、このような歴史があるのですね。


続いても大阪から。先ほどの新町演舞場と砂場跡は劇場の南西側でしたが、今度は劇場の北東側。大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺にある「坐摩神社」です。

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坐摩神社。難しい漢字ですね。「いかすりじんじゃ」と読みます。まあ「ざまじんじゃ」と呼ばれたりもするようですが。三つの鳥居が合体したような「三ツ鳥居」は全国でも珍しいんですよ。
元々は現在の天満橋駅の辺りである「渡辺津(わたなべのつ)」にあったのですが、秀吉の大阪城築城の際に現在地に遷座されました。今日二回目ですね、「大阪城築城の際」というフレーズを書いたのは。大阪の歴史に於いてそれほど重要だってコトですよ、大阪城は。

でね、この坐摩神社の住所が面白い。先ほども書きましたが「大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺」なんです。番地が面白くないですか。渡辺と付いています。これには興味深い逸話があるのです。

平安時代中期、大江山の酒呑童子退治で有名な源頼光の配下に渡辺綱という武士がいます。この渡辺綱には一条戻橋の上で女に化けた鬼の腕を切り落としたという逸話があります。そう! 安倍晴明とも縁の深い、あの一条戻橋ですよ。そもそも渡辺綱と安倍晴明は生年も30年ほどしか違わない同時代人なのです。
鬼の腕を切り落とした綱は主人の頼光に報告し、心配に思った頼光が晴明に占ってもらったところ、「鬼の腕を封印して七日間の物忌み(謹慎潔斎)をするように」と助言されます。しかし、七日目に綱の乳母に化けた鬼を家に入れてしまい、腕を取り返されるという話が残されていますので、晴明との因縁も浅からぬワケです。
が、この話は今は関係ありません。関係ないのかよ。関係ない話を書いたのかよ。いや、せっかく安倍晴明が主人公の舞台をやった後だからさ。ついでに書いておこうと思いまして。

ここからが本題。その渡辺綱が住んでいたのが、先ほど書いた渡辺津なんです。というよりも、渡辺津に住んだから渡辺綱と名乗るようになり、そして全国の渡辺さんの祖になったと言われているのです。全国の渡辺さんの祖先だってんだからスゴイよねえ。坐摩神社の宮司さんも渡辺綱の子孫なんだそうです。
坐摩神社が現在地に遷座された後に、その一帯は渡辺町と呼ばれるようになりました。それが平成元年の東区南区合併の際に消えてしまうことになりましてね。で、全国の渡辺さんから猛反対が起こり、住民運動にまで発展したことから、苦肉の策として「久太郎町四丁目渡辺」となったんだそうです。ホントに苦肉の策だな。だから久太郎町四丁目の番地は「1番、2番、3番、渡辺」なんですって。唐突に、渡辺。

そんな逸話を聞いていたものだから、いつか坐摩神社に行ってみたいと思っていたんだよね。でも劇場からこんなに近いところにあったとは意外でした。というか、散歩してたら偶然見つけただけなんですけどね。


ちなみに坐摩神社の境内には「上方落語寄席発祥の地」の碑もありました。

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江戸中期までは路上での大道芸だった落語ですが、初代桂文治がこの境内に寄席を建て、室内での興行としての落語を始めたのだそうです。

最後は東京に戻って西武線で発見した、ドラえもん50周年を記念した「DORAEMON-GO!」の写真を。

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扉部分がドラえもんの顔になっているトコロが秀逸です。でも色味だけでもドラえもんだって判るのはスゴイね。さすが50周年。でも、なんだか脱力するよね。

脱力したところで、また来週。