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茶道について2

付き合いで始めた茶道体験も、気がつけば2年が経っていた。アイドルの、きのポ、桜寝あしたさんを激推すようになってからもちょうど2年。それまでは死んでいるように生きてるだけだった白黒の景色に紫と緑(抹茶)の色がついて新しく生きる希望が生まれた瞬間でもあった。桜寝さん(通称らねちゃん)ほどではないにしても、茶道という謎の儀式に興味が惹かれたのも事実。

やり始める前は、茶道なんてやる必要が全く無いし、そもそも意味がわからないと思っていたし、いまだに意味はわからない。が、なんとな〜くわかる。

やってみて、つまりこういう事?とわかって、先生に「そう」と答えを教えてもらえる事が単純に面白く感じていた。小さな成功体験の積み重ね、答え合わせで生まれる小さな喜び。多分意味なんてないんだけどね。あったのかな。

その先生が昨日、逝去された。ちょっと意味がわからない。わからないことだらけだ。誰かに教えて欲しいが、大人は質問に答えたりしない。それが基本ルールだ。

先ほど最後のお別れをしてきた。訃報が届く関係というのはどこまでを指すのかわからないけど、少なくとも教え子として2年間も関わっていたのだから、かなり近しい関係性とも言える。

第一報を聞いた時は正直ショックだった。先週も会ったとこで、今までと変わらず普通に接していた。会話内容も鮮明で、冬仕様1回目の時で皆ワクワクしていた。それがまさか急に亡くなられるとは。原因はわからないけど、検査の結果、肺の血栓で呼吸が出来なくなって、ほぼ急死状態だそう。そんな事ってあるんやな、と思った。

仕事中に聞いたため、悲しみにくれそうになったけど忙しさで紛らわしていた。ジブリ映画もののけ姫のじこぼうが「大事なことは死にとらわれぬ事だ」みたいな事を言っていたのを思い出し、立ち直った。立ち直る才能だけはあると自負しているけど、冷血なのかなと悲しくもなる。感情って一体なんなんだ。


茶道のやり方というのは、千利休が提唱?継承?したやり方がある程度決まっているので、もし映画やドラマでそれっぽく撮影したければYouTubeや写真付きブログや本屋などで本を探せばいくらでも同じようなやり方が出てくるので、時間が無い場合そちらを参照した方が早い。しかし、これが私の生きる道と言わんばかりに作法を習得したいならトレーニングが必要になる。(映画「日日是好日」参照)


別に私はそんなものを求めていなかっただけに、気軽に「こんなん完全に覚えゲ―やん!こうしてこうやってこう!ハイ出来た!」と遊び感覚でいた。
茶道とか格好つけたことを言いつつ、実際には単なる覚えゲーやんけ、などと軽んじていたということは恥じていなかったけど、最後まで茶人として生きた先生の生き様を見てしまったからには今後は不明です。まだ飲み込めていない。

今まではただのお笑いの理論ではないけど「緊張と緩和の最高峰な世界」みたいに思っていただけだった。緊張している人は、ありえないミスをする事が多々ある。それに対して自分は気づいたけど空気が重くて当然ツッコミなんて入れずに無言で見て居る。でも先生がすぐに気づいてすかさず指摘する、しかもコミカルに、みたいな瞬間には思わず笑ってしまう。
ツッコミの入れ方もタイミングも絶妙で、厳しくもなくイヤミもなく、明らかに笑いを誘うような指摘の仕方で、絶対に自分は笑うはずがないと思っていただけに笑ってしまうのが意外で楽しかった。

今後どうなっていくのかわからないけど、これからの人生は自暴自棄にならず、特に丁寧に礼儀正しく生きていきたいなと思ったし、これまでの事は無駄ではなかったと信じたい。

私の運命が再び動き出した感はある。些か不謹慎ではあるが。あらゆるものに負けないよう強く強く生きる。それが私の生きる道。

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