MANIJUを聴いて

僕の解釈は違う。佐野先輩も含めて初めてコヨーテバンドなのである。表記上は佐野元春 & ザ・コヨーテバンドだけど。この表記だと、一昔前の歌番組だったら、「それでは歌っていただきましょう。佐野元春さんで〜」。そして曲間に演奏コヨーテバンド的な。ああ〜、どうでもいい前置き終わり。

ギタリスト二人体制になった時、コヨーテバンドはよりギターロックに傾向したとされた。例えば、アルバム「Zooey」の「ポーラスタア」や「ビートニクス」はその片鱗を見ることができる。前作「 BLOOD MOON」はその傾向にあるが、改めて新作がポップだと言われるまでもなくバンドは元々そうだったんじゃないか。

新作「MANIJU」が手元に届いたのは、いわゆるフラゲした人たちから遅れること1日。ちょっと待て。発売日当日だから別に遅れてはいないぞ。まあ、それは良しとして。

この時アルバムをすぐに聴くことはなくシングルカットで先行配信された「純恋(すみれ)」をDL後初めて聴く。はやる気持ちを抑えてというものではなく、なかなかじっくり聴く時間がとれないこともあったが、いざアルバムを聴く段階でも開封後一週間以上半分も聴いてなかった。実際のところ、楽しみではあったが、それほど待ち遠しいという気がなかったのが正直なところで、SNS上の“異様な”盛り上がりにも気おくれというか。

誰の、どのアルバムでもそうだが、頭から聴くことはほとんどなく、曲目リストを見て気になったタイトルからランダムに聴いている。事前公開されたアートワークが話題を呼んだ「MANIJU」。僕が最初に選んだ曲はこじつけるなら、アートワークの彼女の涙を受け「悟りの涙」。そこから「朽ちたスズラン」へ。やれディラン風だとか、ビートルズだとかネットの世界で言われてる。僕がすぐに聴かなかったのは“不運にも”目にしてしまったそんな情報からの先入観に囚われるのを避けるためもあった。こうしてランダムに何曲か聞いた後全体を通してみる。

毎回言ってることではあるが、サウンド的にどうこうというのは僕の役目ではない。しかしながら確かによりポップだ。

スピーカーの前に正座して聴くと言った“正しい”ファンではない僕はかなりズレている。詩人の、取り分けビート詩人の言葉は目で見るものではなく感じるものである。だから僕はまずしばらくは歌詞を見ない。 同じ詩人として?相変わらずさすがとしか言いようがない。

今作について何か書くならば、ちゃんと聴かねばならない。自分の持っているいちばん性能の良いヘッドフォンで大きめの音量で「現実は見た目とは違う」を聴いた時、この曲のライヴ映像が脳裏に浮かんだ。オフィシャルなMVはまだどの曲のも観ていない。アッパーチューンはこの曲と「禅ビート」。この二曲は間違いなくライヴでも演奏されるだろう。捨て曲というものはないが、ライヴでおそらく全曲は演奏されない。となると、どの曲が惜しくも外れるのか?そんな観点からも聴いてみるのもおもしろい。どの曲だというのはあえて言わないし、それはあくまで個人の主観だ。

歌詞は見ないと前述したが、どの曲で誰がどの楽器を使っているというようなクレジットも見ない。ここのギターは深沼くんだな、ここはアッキーだとか。ここのシゲのドラミングがこうだとか。この時のシュンスケはこうだろうとか、キリンさんはこうだなとか想像しながら。それが僕流の聴き方なのだ。

そして、佐野先輩本人のコーラス部分は、やっぱりライヴでは深沼くんだよね?とかさ。真実はライヴで明らかになる。それはいつだって見た目とは違うのか否か。そういう楽しみ方もまた良いものだ。


#佐野元春 #MANIJU

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