こもクラブメルマガvol.36
こもクラブの皆様、こんにちは
塾長です
昨日、マコモ風呂に入る時に、
『なぜ争いがなくならないのか』
『どうすれば、争いというものが無くなっていくのか』
という問いをかけて、お風呂に入りながら瞑想をしました。
そこでいただいたメッセージがとても深く、なるほど!と思いましたので、
お伝えさせていただきます
まず、入浴して瞑想をするとすぐに、
過去にトラブルを起こして疎遠になった方のお顔が出てきて、
その頃のことを思い出しました。
当時は、お互いに相手のせいにして、水掛け論のような状態になり、
結局、疎遠になってしまいました
それについて今考えると、人々の争いの元というのは、
この人がこうなんだからこうだ、といった、
『人のせいにする』というところにあると考えられます。
人のせいにするということは
まず、相手に対する恨みや妬みが出てきて、
そして、その人の悪口を言ったりしながら、賛同者を探して、
その時点で同盟を見つけて相手を攻撃する体制に入り、
それが争いに発展していく、という仕組みであるとメッセージをいただきました。
逆に、人のせいにしない生き方というのは、
全ては自分の責任において、自分に必要であるから起きている
ということを昨日はとても痛感いたしました
今、例えば面白くない事柄や気まずい事柄に対して
「相手が・・・」という自分目線で見ると、
それは当たり前に争いへと発展していくわけです
️
そうではなく、自分の内側を観察し、なぜそうなったのかを考えるのです。
結局、相手をそういう気持ちにさせた『根本は自分にあり』
という考えをしていけば、
そこから争いに発展することはなく、
『自己の成長に発展していく』わけであります
人のせいにしないということは、我慢というのではなく、
自己の成長であり、発展のためにとても必要である
というふうにメッセージをいただきました。
やはり、縄文人が生きる世界に争いがなかったということは、
お互いがお互いを尊重し、人のせいにせず、
全ては自分の責任下において生きていたからこそ
争いがなかったというふうに私は考えます。
ですから、人のせいにしないということは、どうしても忘れがちですが、
ここは本当に重要だと、昨日改めてマコモさんに教えていただいたので
皆様にシェアさせていただきたいと思いました
以上です。
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