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マゴムスメ・ライブラリー 14

 加賀野のおじさんを訪ねて真冬の盛岡を訪れたのは、今から2年前のことだった。
 列車から降り立つと、街はすっかり白雪に埋もれていた。
 さくさくと歩く盛岡の人たちの中で、私だけが大苦戦していた。
 雪でも歩けるブーツを履いていたのに、ちっとも前に進まない。
 
 雪道で転んでしまうのは、雪のせいじゃなくて歩き方のせいよ、と祖母はよく言う。
 「怖がってつま先から地面につけたり、かかとから踏み込むのもだめ。足の裏全体を、下に押す感じで歩くの」
 そう言っていたことを思い出して、えいっと足に体重を乗せた。
 なるほど。少しずつ、爪先が前に進み始めた。

 
 私の祖母は、盛岡で生まれ育った。
 冷え込む季節は多くの苦労があったはずだが、雪なんて日常だったからねえと笑うばかりだ。
 「ねえ、ばあばは雪で遊んだ?」
 そう尋ねると、祖母は「もちろん」と口角を上げた。
 物心がついた頃から雪に慣れきってはいても、やっぱり子どもは雪遊びが好きなようだ。
 「雪だるまを作るとね、必ず、手が霜焼けになっちゃうの。痒くて痛くて、いつも泣いてた」
 霜焼けになると分かっているのに、白銀の庭を見るたびに祖母は飛び出して行った。
 大きな雪の玉を、ふたつ。
 石ころや木の葉で顔を作る。
 束の間さしこむ冬の陽光が、庭木の枝先にしがみついた雪片を溶かしていく。

 ああ思い出した、と祖母は声を少しだけ高くした。
 「お父さんがね、霜焼けになった手をあっためてくれたのよ」
 祖母の父……私のひいおじいちゃんは、物静かな人だったという。
 子どもたちをガミガミと叱ることはないが、落ち着いた口調で諭されると自然に背筋が伸びたそうだ。
 そんなひいおじいちゃんが、祖母の霜焼けの手を見た時は、声をあげて駆け寄った。
「けいこ、けいこ、手が冷たいか。そう言ってね、私の手をとって、火鉢にかざしてくれた」
 かじかんだ真っ赤な手が、次第に熱を帯びてくる。
 幼い祖母は兄弟たちと一緒に、またあくる日も雪の中に駆け出していった。


  
 私が知る暖房器具は安全で、あっという間に心地よい温度になる。
 それに比べて、火鉢には速暖機能など付いていないし、気をつけないと火傷をしてしまう道具だ。
 でも、ひとたび火が入ると、体を芯からじっくりあたためてくれたという。
 そういうあつさは、時間が経っても消えなかった。
 
 それから80年の月日が流れた盛岡で、私は白い町を見ていた。
 おじさんの家までタクシーを使い、ぽかぽかの車内で快適に過ごしたところまでは、現代の便利さを実感していた。
 しかし、タクシーを降り、道路から家の玄関までのたった数メートルで、私は雪だまりにはまった。
 あと数分長く歩いていたら、幼い頃の祖母と兄弟たちが作ったような雪だるまになっていたに違いない。

 コートの裾にびっしりと雪をくっつけ「おじさん、こんにちはー!」と言いながら元気よく現れた私を見て、おじさんは喜ぶよりもドン引きしていた。
 「まあ、あったまれ……」と促され、ストーブの前に両手をかざす。
 時代が移り変わっても、人が誰かを思う温度は変わらない。
 あの日の雪の冷たさは、お父さんの優しさ。
 びしょ濡れのコートは、おじさんの笑い顔。
 まるで小さな祖母の手のように、私の両手はだんだんぬくもりを取り戻していった。




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