この街にも、河が流れている。
長い間住んでいた宝塚の街には、大きな河が流れていた。
駅前に用事がある時は、橋を渡る。
広くて長い橋だった。
夏は羽虫の大群が通行人に襲いかかり、冬は歩く姿のまま凍りついてしまうくらい寒い。
それでも思わず立ち止まるほどに、橋からの眺めは心に優しかった。
広々とした河原には朝も夕方も、犬のお散歩をする人たちが行き交う。
両岸に草がそよぎ、大きな白い鳥が羽を休めているのを見ることが出来た。
宝塚の街で、私はよく友達と一緒に橋を渡ったものだった。
岸辺に生茂る草木がきらきらと光る真昼や、月明かりが川面を照らす夜半。
お喋りをしながら風に吹かれ、羽虫を手で払って歩いた。
山河に囲まれた長閑な街を去り、引っ越した先の東京であいも変わらずのほほんと暮らしている。
最近は色々と新しいものを読んだり、書いたり、観たりしていた。
忙しいなー、でも充実しているなーと思っていたら、なんと9月も終わる勢いではないか。
そろそろ、「noteサボってない?」という非常に的確なご指摘や、早花は東京砂漠の露(砂?)と消えたという都市伝説が囁かれ出した。
私は、凄い元気です。
まだまだ気軽に出歩ける状況ではないと思っているのだが、楽しいことや興味を惹かれることばかりの毎日だ。
蚊の飛行みたいなか細さだった自室のWi-Fiを、小さめのカナブンくらいの強さにしてもらったり。
もう代わってあげたいほど不器用な美容師さんに、髪の毛をカラーリングしてもらったり(カットもしたかったが、その場で諦めた)。
よく通る道のお蕎麦屋さんの店先に飼われている大きな亀と、一方的に地味な友情を育んだり。
ささやかな変化に富んだ、忙しき今日この頃であった。
社会の雰囲気も、どんどん変わっていく。
この先、どんな日常が定着するのだろう。
これからの習慣や価値観、ひととの関わり方はどうなるのだろうか。
今現在、私はいまいち明確に掴みきれずにいる。
大それたことなど何も出来ないけれど、自分のアンテナをぴかぴかに磨き、自然の声や人間の心の変化をなるべく細やかにとらえていくしかない。
そんな中でも、少しだけ行動範囲が広がった。
用事があり、1ヶ月の間、しばしば通った街がある。
そこは海沿いの埋立地で、街中には大きな運河が流れていた。
背の高いマンションが建ち並び、駅前には大型ショッピングモール、美味しいパンがあるカフェに人が集まる。
少し歩くと、広い敷地に建つ倉庫や小さな工場、幾つもの団地が、四角い空の下に群れている。
まだ残暑厳しい頃は季節外れの夏雲がもくもくと空を埋め、街路樹が豊かに葉を茂らせていた。
ここは、漫画家の岡崎京子さんの作品に出てくる風景に似ていると思った。
イオンの匂いがする河口の街。
それは岡崎さんが描く「平坦な戦場」。
朝、私は賑やかな駅からとことこ歩く。
バスが走る大通りを進むと、運河にぶつかる。
大きな橋が架かっている。
その橋に並行してものすごく太いガス管が、橋の手摺りと空の隙間を埋め尽くしている。
自転車に乗った猛スピードのビジネスマンや、スタイリッシュな女性がかっこいいベビーカーを押して足早に通り過ぎる橋だ。
皆、とても急いでいる。
向こう側には、何があるのか。
私はこの新しい場所から、私の友達に呼び掛ける。
ねえ、この街にも河が流れているよ。
視界は巨大なビルや車でいっぱいで、空も水もコンクリートに縁取られているけれど。
橋に取り付けられたフェンス越しに見える河は、それでもちゃんと空の色を映している。
あの懐かしい岸辺は緑の勢いも落ち着き、黄金色の季節を迎える準備をしている頃だろう。
緑豊かな街に暮らす私の友達は、今日も大きな橋を渡る。
彼女に降り注ぐ陽光は水に照り輝き、風は川面を吹き渡って刻一刻と色を変える空へ昇る。
風の香りを纏い、友達はまっすぐに歩いていく。
忙しく行き交う人たちに逆らって、私は橋の上で足を止める。
人工物に切り取られ、ゆっくり流れゆく運河。
ガス管の隙間に見える黒々とした水面は、潔く美しいと思う。
平坦な戦場というほど、悲しい孤高の街ではない。私はここで生きている。
読んでくださり、本当に有難うございました。 あなたとの、この出会いを大切に思います。 これからも宜しくお願いします!