会社人生を振り返ってー退職願
一つ目の退職願
いつも鞄の中に退職願を入れていた。まだ、メーカーの内勤だったころ。
きっかけは覚えていないが、すぐに出せるように用意していたのだろう。でも、結局出さないまま月日が過ぎ、退職願の封筒も汚れてきた。
最初に出したのは、40代半ばの事だったか?鞄の中から出したのではなくて、改めて書いて持って行った。退職の本当の理由は覚えていない。きっと、そんな程度のいい加減なものだったのだろう。
課長が来て説得し、部長が来て説得したが、多分、形式程度のものだったのだろう、首を縦に振らなかった。退職の意思は堅い、として、本社に上げたようだ。それが、人事担当取締役の目にとまった。
当時の人事担当取締役は出世頭の一人で、私の一年先輩に当たる。仮にT取締役としておこう。T取締役が係長時代に一緒に仕事をしたこともあり、私を非常に買っていた。で、T取締役から直接電話があり、新しい事業部をつくる(作った、だったかな?)ので、そこで仕事をしないか、一度、事業部長の話を聞いて欲しい、と。
で、その事業部長も、私が入社した時の上司で、私を非常に買っていた。多分、T取締役から話が合った時に、是非に、と言ったのだと思う。
話を聞いてみると、おもしろい。研究者魂がむずむずする。これで、今まで救えなかった人が救えるのか、と思うと、ワクワクしてしまう。結局、退職願は取り下げ、その事業部でお世話になることになった。
普通は、いったん出した退職願を取り下げてはいけないらしい。冷や飯を食わされるからだそうだ。でも、この会社の場合は、そんなことは決して無かった。
ちょっと余談
ちょっと余談だけど、その事業部はしばらくして解散となる。政府の許認可が必要な事業だが、全く新しいものだったため、許認可が下りるまでに時間がかかりすぎ、本業を圧迫する、と言う理由だそうだ。
事業部のまとまりは良く、その話を聞いたのがたしか4/1のこと。その日の夕方に、飲み会(花見だったかな?)で、みんなで泣いた。どこかの記事で、社長が、「事業部の連中はやりたいという。私だってやりたい。」と言っていたと書いてあった。そう、私もやりたかった。
私たちのグループは、その時に事業化しようとしていたものとは別のものを開発しようとしていた。これも、命に関わること。現在は、どちらも他社から事業化されているようだ。残念。
二度目の退職願
2度目の退職願は、59才6ヶ月で出した。さすがに、これは良く覚えている。退職した会社内の詳しいことは書かないが、不満はたくさんあった。職場の雰囲気は文句なし。でも、職場内の業務も不満だったし、閑職になってしまったことも不満だった。新しく配属された研究員の教育担当になったことは、良かったけど。
このときの話は、違う側面から記事にしたので、興味のある方はそちらも参照して欲しい。
あと1年半ほどいると定年退職になって、持ち株会にあずけている株を手元に持ち出せる。未上場だ。近々、上場することは決っている。これを手放すのは、ある意味大損だ。でも、私は辞めたかったし、ここを逃すとこの転職は無理だと思っていた。
結論から言えば、定年まで待っても転職できた可能性は高い。このとき、株を手放してもらったお金は百数十万円、もし、定年まで待っていたら、その間に上場したので、売却したら一千万円は下らなかった。でも、その時、それも含めて、自分の考えて決めたこと。後悔はしていない。
それに、定年まで待っていたら、上の記事で書いたような、いいエージェントに恵まれたかどうかわからない。株を棒に振ったからこそ、代わりにいいエージェントに恵まれ、いい担当に恵まれ、いい会社に転職できたのだと、思うことにした。
三度目、四度目、五度目の退職願
そんなに出したのか、と、言われそうだけど(笑)
薬剤師は、医者と違って普通の会社員だけど、でも、普通の事務とか営業とか現場とかとは違う、ある種、独立独歩的な職種でもある。資格がきわめて重要な仕事だからだろうか。それとも、医療職だからだろうか。両方だろうか。
そういう意味では、比較的転職はしやすい。資格さえあれば、薬剤師不足の時代でもあり、贅沢を言わなければ簡単に転職できる時期だった。コロナ前は。
最初の会社は大手のチェーン店で、何もわからない60才近くの新入社員に、基礎からしっかり調剤の仕方を教えてくれた。私にできるだろうか、と言う不安を抱えて入社した身としては、これは非常に安心できた。
調剤の仕方にしても、その他の薬学的知識にしても、エリアマネージャーとか、本部とか、一人で調剤していてわからない時に聞ける人がいることも、大きな安心感に繫がった。大手調剤薬局チェーン店を勧めた転職エージェントの担当者に、とても感謝している。
投薬に必要な薬学的知識は、上に引用した記事で書いたように、必死になって自分で勉強した。もちろん、会社の、自分の子供より若い「先輩」たちに、聞けることはしっかり聞いた。先輩たちは快く教えてくれた。
しばらく仕事をしていると、他が見たくなった。薬剤師不足の時代である。そこそこ使える薬剤師が辞めると言い出したら、それは引き留められる。でも、「修行させて下さい」とエリアマネージャーに頼み込んで転職させてもらった。これが三度目の転職願い。
転職先は小規模のチェーン店で、私の所属店舗はまあまあだったけど、会社全体としては統制が効かず、ある意味ひどいところだった。小規模の会社はこんなものか、と愛想を尽かし、やはり大手チェーン店かな、と再度転職を試みた。
某大手チェーン店で面接をして見たけど、その時のエージェントが悪かったのか、担当者が悪かったのか、印象が良くない。細かいことは省くが、担当者抜きで面接したけど、担当者に話していた条件と、先方の言う内容が違う。
前回、前々回に転職した時のエージェントは、担当者が面接についてきたけどなぁ。
この会社は向こうから断ってきたけど、条件が違うのでこちらからもお断りだ。そうこうしているうちに、前の会社のエリアマネージャーから、転職するんだって?と、電話がかかってきた。いい条件で採用するからと言われ、前の仕事をしていて特に悪い印象はないし、懐かしくもあり、出戻ってきた。これが4回目。
エリアマネージャーは替わっていたが、薬剤師も調剤事務員も、私に良くしてくれた。以前に仕事をしていたのとは違う店舗だけど、応援にも行っていたし、その時の印象も良かったのだろう。
そして、もういい加減にしておくが、大手チェーン店の仕事はハードで、高齢になって辛くなってきたので、5回目の退職願を出した。今は、比較的楽な店舗で、イライラしながら(笑)仕事をしている。
上の記事も書いたけど、つくづく、いい環境に恵まれたと思う。
退職願を出した私を普通以上に扱ってくれた最初の会社、最初の転職時に的確なアドバイスと隅々まで行き届いたサポートをしてくれた転職エージェントの担当者、退職した私を再度好条件で採用してくれた某大手調剤薬局チェーン店………
運が良かったともいえるが、その運を呼び込んだのも私の実力だ、と勝手に思っている(笑)。
さて、いつまで仕事が続けられるのやら・・・。
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