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「好きな作家」

読書が好きであると伝えると、好きな作家を尋ねられることが多い。

好きな作家は確かにいる。
ただその作家の書いた作品が全て好きなわけではない。
当然あり得ることでおかしなことではない。

むしろ、この作家のこの作品が好きだ、と私は答えたい。

気に入った作品に出会った時に、この作者は他にどんなものを書いているのか気になるのは自然なことだろう。御多分に洩れず私も必ず考える。そして調べる。便利な時代で、インターネットですぐに情報が手に入るのだから。調べた情報に基づき、興味のわいたものを何点か選び読んでみる。

ところが今ひとつ共感できないものが出てくることがある。本当に同じ人が書いた作品なのか疑わしくさえある。そんな時はすぐさま読むのを止めるようにしている。

人生の中で、読書に割ける時間はある程度限られている。

読み始めてからしばらくして、自分には合わないと気がつく、そんな時は無理せずに読むのを中止する。これが自分の経験の中で一番賢いやり方なのである。
無理して読み終えて時間と労力の無駄な使い方に後で気づくという経験を幾度も重ねてきた。早い時は、最初の一ページで終了することもある。

若い頃は、それを心得ておらずに、薦められたものだからなどと理由をつけて、苦労して読破したものだ。それこそ子供時代や学生時代は、読書感想文という名目で仕方なく読むこともあった。普段あまり読まない人間には有効なやり方かもしれないが、読書好きには重荷だった時もある。

ところが、つまらないと感じていた学校の教科書の中で、好きな作品を見つけたことがある。
中学、高校時代に数点気に入った作品に出会った。ところがそういう作品に限って授業では取り上げずに飛ばされた記憶もある。残念だが、つまりは受験のための授業だったせいだろう。

そして親が薦める作品はというと、やはり偏っていた。彼らはすでに人間形成ができているのだから、好みがはっきりしていて当たり前だ。
子供時代にはいかに良書と言われるものであるかが基準であり、成長してからはもっぱら自身の好みの作品を薦められた。
例えば、父は時代物が好きで、母はミステリーや怪談話が好きだった。
私はそのどれも好まなかった。

好きな作家はいるかと誰かにきかれた時、私は作者と作品名、またはこの作家の初期の作品が好きとか、このジャンルのものが良いと思うなどと答えるようにしている。




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